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映画『窓辺にて』を観て

公開中の映画『窓辺にて』を観た。ストーリーは以下の通り。

フリーライターの市川茂巳(稲垣吾郎)は、編集者である妻・紗衣(中村ゆり)が担当している売れっ子小説家と浮気しているのを知っている。しかし、それを妻には言えずにいた。また、浮気を知った時に自分の中に芽生えたある感情についても悩んでいた。ある日、とある文学賞の授賞式で出会った高校生作家・久保留亜(玉城ティナ)の受賞作「ラ・フランス」の内容に惹かれた市川は、久保にその小説にはモデルがいるのかと尋ねる。いるのであれば会わせてほしい、と…。
『窓辺にて』公式サイトより(https://www.madobenite.com/#)

以下、映画を観て思ったことを書きます。多少ネタバレも含まれるので、気になる方は読まないでください。
でも、この映画は登場人物の会話や表情、窓から差す光などに趣深さがあると思うので、これを読んだ後に観ても十分に楽しめる作品になっています。私はもう一度観たい。


この映画には、絶対的な悪も正義もなかった。"映画"という形で(ドラマなども同じように)何かを切り取る時、そこには分かりやすい悪や正義がある方が、オーディエンスの共感を得やすいだろう。ただ、それはあくまでも創作物の観やすさとして。

この映画に出てくる登場人物は、浮気をする、嘘をつく、浮気をした配偶者を怒れない、浮気をやめると言ったのにやめられない、と、そこだけ切り取れば悪であるように見える。
でも、その登場人物たちだって、仕事に悩み、家族愛に悩み、誰かを支えたくて、誰かの期待に応えたくて、日々を過ごしている。
現実の世界も同じで、100%の善人も100%の悪人も殆ど存在しないのだ。

だからこそ、私はこの映画の登場人物全員が愛おしくて仕方なかった。
浮気をもうやめると言ったにも関わらずまたしてしまって涙を流したなつが、どうかあの後報われてほしい。彼女にとっての本当の幸せを掴む未来はないだろうが、それでもどうか彼女の生活に光が差してほしい。
仕事への正義感も相まって担当作家の荒川円と浮気関係を持ってしまった紗衣さんもまた、その優しさに自分が潰されないように生きてほしい。
そして、誰にも苦悩を理解されずに生きてきた、誰にも不安を吐露出来ずに紗衣に甘えてしまった荒川円も、紗衣との日々が終わってしまっても、どうか心を病まずに生きていてほしい。最後に発表した紗衣との日々を綴った小説で筆をやめても書き続けても、どうか彼の心がまた健やかになってほしい。

最後に、荒川円は紗衣との日々を小説に綴った。茂巳は紗衣との日々を綴らなかった。その何れもが、それぞれの作家として最大の愛情表現だった。そして悲しいかな、ふたりにとって紗衣との日々を綴ることは、紗衣を過去にすることだった。しかし、紗衣は自分を描かれないことを、自分の存在をちっぽけなものとされているように感じていた。
その行き違いが、それぞれの価値観の、ある種の正義感のズレを孕んでいることがとても生々しく辛かった。

どこかの断面で切り取って仕舞えば、あなたが古くなってしまう。その恐ろしさが痛い程分かった。切り取ることがとても怖い。
でも、切り取られないこともまた怖いことだと、不安なことだということも痛い程分かる。

以前、私のエッセイで、どうかあなたの過去で在りたいと著したことがある。
文章や写真になって仕舞えば、それはもう過去になる。過去になることは、寂しい。でも、文章も写真も残らなければ、過去にもならずいつか風に吹かれて記憶から消えてしまうのではないか。そんな不安と共に夜に吸い込まれそうになることがある。

この映画はフィクションだが、心のどこかで、この映画の登場人物のその後を案じ自分と重ねることで、自分を救うことが出来る、そんな映画だった。


もしこれを読んだ方が『窓辺にて』を観ようか迷っているのであれば、是非ご覧いただきたい。

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