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光るリングが揺れる

 昨日朝突然起きて左の喉が痛くて驚きました。風邪かコロナか、心臓が動きました。私は去年の11月からずっと風邪をひいています。熱が出たり、鼻水が出たり、くしゃみが止まらなかったり本当にドキドキしています。どこかでもうコロナにかかっているのかもしれないと思う時さえあります。しかし、ケアに来てくださっているヘルパーさん達は誰も風邪をひいていないので、安心です。しかし、いつコロナが来るか分かりません。

 私の部屋はどこもピカピカです。床は滑るくらい磨いています。雑巾はハイターを少し入れ洗っているので、どんどん白くなってきています。どちらが雑巾でどちらが顔拭きタオルなのか分からなくなってきています。清潔なのは良いことですが、たまには人間には菌がなければ弱くなってしまうと聞いたことがあります。

勇気ある母の後ろ姿

 子どもの頃、施設に居てお風呂の中にうんちがぷかぷか泳いでいました。私はそんなお風呂に入っていました。だから結膜炎で目が真っ赤になり、風邪があたると涙が止まりませんでした。

 母がそのことを心配し、水曜日に来て施設中の掃除を手伝っていました。廊下を拭いていると、すごいゴミが山のように出てきました。トイレもおしっこでびちゃびちゃであり、私はよくその床で滑って転んでいました。母が日曜日にも来て、トイレ掃除をしていました。他のお母さんたちも同意してくださって、母と一緒に掃除してくださる人が増えました。

 母は部屋のみんなにもお菓子やおもちゃを買ってきてあげていました。親の来ない子もたくさんいたのです。そのような子は土曜日になると荒れるのです。ある日、一人の女の子がカッターを振り回し部屋に居る子どもたちを傷つけたのです。

 母はその子に対して、「あなたは優しい子なんだよ。手が使えるから、みちこにお菓子を食べさせてね。あなたにも半分あげるから。」というと、その子は黙って母の腕にしがみついたのです。寂しかったんだなあと私は思い、おもちゃなどを貸してあげました。母は髪をとかしてあげ、リボンを付けてあげていました。するとその子は私に対しては、すごく優しくなり何でも手伝ってくれるようになりました。母は人間の心理をよく分かっていたんだなあと感心しました。

看護師さんのぬくもりは今も覚えている

 汚い施設にはちゃんと掃除婦がいたのですが、あまり働いている姿を見たことはありません。突然廊下で、「みちこちゃん、お母さんに言ってほしいことがあるの。面会に来ても掃除はしないで。」と掃除婦に言われました。私は小学校2年生の時でした。ショックで泣きそうになりました。大人は難しいなあと思いました。ある看護師さんには、「みちこちゃんのお母さんは職員を管理しに来ているんだね。」とも言われたことがあります。

 夜中大声で泣きました。母の何が悪いのか分かりませんでした。1人の当直の看護師さんが来て、私の泣いている姿を見つけ私の肩を抱き、「みちこちゃん、どうしたの?なんか悲しいことあった?」と聞いてくれたので、私はこの看護師さんには言っても良いと思い、泣きながら「看護師さん、うちのお母さん施設に邪魔なの?汚れたところを掃除したなら、職員にとって邪魔なの?私どう考えていいかわからなくなったの。母さんに来ないでと言ったほうがいいのかな?」と言うと、その看護師さんは私の体をがっちり抱きしめてくださり一緒に泣いていた。

 「みちこちゃんのお母さんは偉い人なんだよ。自分の子どもだけ可愛がらないでしょ?だから、友達たちはみちこちゃんに親切にしてくれるのね。私はあなたのお母さんを尊敬しているよ。泣かないで。来てほしくないという人もいるけれど、心では感謝している職員がいるんだよ。人はいろんな人がいるのよね。また泣きたいことがあったなら、私に言ってね。」と言ってくださった。私はあの看護師さんの匂いとぬくもりを忘れることはできない。(そっか大人って難しいんだな)と考えた。

天と地の差で生きている

 母はへそくりをよく施設に寄付していた。私には何も言わなかったけれど、事務室の前を通ると事務の女性がニコニコして「みちこちゃん、お母さん偉いね。」と頭を撫ででくれた。何もないときはちょっと怖い顔をしているのに、寄付したときだけはニコニコしていた。私はとても複雑であのような大人にはなりたくないと思った。寄付しない時もした時も同じように接してくれればいいのにと思った。昔の施設はこういうことがあったが、今はどうなのだろうか。コロナが消えたなら、私は施設を回って障がい者や職員の意見を聞きたい。

 しかし、私が施設に行くと職員が付いて回り歩くところも決められる時がある。障がい者に声をかけても、職員が傍にいるので障がい者はその人の目ばかりを見ている。何か本当のことを言いたいけれど言えないんだなと寂しく感じた。私の家がどこもかしこもピカピカになっているのを見て、施設にいた寂しそうな表情の人の顔が床に浮かんだ。同じ日本の障がい者でも天と地の差で生きているような気がする。

日本の障がい福祉は世界一の罠

 「地域に出ておいで」と、43年間言い続けてきたが、私の同級生は山奥の施設にいて恋愛も結婚も出産も経験なく死んでいくのだろうか。施設の建物は立派であり、職員もたくさんいる。お金の使い方がちょっと違うのかなと思う。

 自立生活をしている人を見ると、親の心が柔軟なのかもしれない。世界で有名になった乙武さんの母親は乙武さんが生まれてきたとき、抱き上げ「まあ可愛い」と言ったそうだ。このお母さんが居たからこそ、乙武さんはたくさんのことにチャレンジできたのだと思う。私は彼のお母さんの考え方を本にして読みたいといつも思っている。

 今世界で障がい福祉で一番お金をかけているのは日本であるそうだ。しかし、これには罠がある。障がい者達が色んな情報を仕入れ、行政に訴えられることが世界一になれる秘訣なのかもしれない。地域で生活する障がい者と施設で生活をする障がい者を隔てるこの壁をいつになったら取り払えるのか、ため息が出る。

 施設で働く職員たちも障がい者の幸せが何なのかを考えて、地域で暮らせる人を見つけ情報を勉強し教えてあげることが、もっともこれから重要な職員の責任ではないだろうか。

障がい者と職員は恋に落ちてはいけないのか

 デイサービスなどに来ている障がい者達に「熱があっても来いよ。」という職員の言葉を聞いたことがある。驚いたが一人でも休んだら、施設の利益が減るからである。

 また職員たちは次々と結婚し、薬指にリングが光っている。しかし、障がい者達は何年何十年経っても指輪を付けることはない。そういう現実を知ると私は悲しくなる。

 ある施設で美しい女性職員とイケメンの車いす男性が恋に落ちた。デートは誰にも見つからないようにしていた。しかし、同じ施設の職員に見つかり特別な付き合いはいけないと言われたそうだ。2人は私に会いに来てくれた。「私達はもうあの街にはいられません。違う街でひっそり暮らします。」と彼らは言った。私が「おめでたいことでしょう、なんで隠れるのよ?あなたは施設で働いて、旦那さんになる人は手が使えるから料理や洗濯をやってもらえばいいじゃないですか。」と明るく言っても、2人の顔は暗かった。私は大きな花束を渡し、「おめでとう。これドライフラワーになるから悲しくなったら見て。祝福している人もたくさんいるということを信じて。」と言った。2人はそれっきりどこに住んでいるか分からない。

 障がいがあっても同じ人間だ。なぜ職員と結ばれてはいけないのか?誰か教えて。障がい者も働き、恋愛・結婚の夢を持ってほしい。

 障がいが重くても、男性障がい者は働いていると結婚している人が多いように思う。なぜだろうか。

一人焼き肉は夢

 ちょっと話が暗くなりすぎた。私は焼き肉を食べに行きたい。コロナの前は2~3か月に1回秘書と焼き肉を食べに行った。時には割り勘、時にはおごる、時には500円頂く等という勝手な決まりごとを作り一緒に行っている。とても美味しい焼肉屋さんを知っている。あの味を思い出すと、生唾が出てくる。

 ある日焼き肉を食べていると、一人焼き肉の場所で一人の男性が夢中で食べていたのを見つけてしまった。私はその男性の後姿に目が離れなくなった。(うらやましいな。私も手がきいたなら、一度でいいから一人で焼き肉を食べたいものだ。)と焼き肉を思い出すと、そのシーンが思い出される。ロボットに食べさせてもらう日が来るのだろうか。

 大勢で食べるのは楽しいものだが、たまには肉だけを見つめて食べることが私の夢である。こういう夢を持っているということは地域でヘルパーの力を借り、生きているからこそ考えられることだと思う。早く焼き肉に行きたいな。まだだめかな?はあ~苦しい。(笑)


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