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ブラボー大坂なおみ

私は子どもの頃からスポーツとは無縁(むえん)の世界で過ごしていた。小中学校には野球やドッジボール、バスケットボールなどの科目はあったものの、私はただ棒のように立ってボールをぶつけられるだけであった。ドッジボールは特に残酷(ざんこく)で一番先に狙われて、ボールが頭や顔にぶつかってひっくり返り何度も気を失ったことがある。なぜこんなスポーツがあるのだろうか。ただのいじめのように私には思えた。

 中学校の時、生徒のことを真剣に考える校長先生が現れた。その先生は紅林(くればやし)晃(あきら)先生といって、学校の空いているところにパークゴルフ場を作って下さった。私は昼休みにそこで一人静かにボールを蹴(け)っ飛ばしては、ニヤニヤしていた。一人で遊んでいる時に校長先生に見つかり、「小山内さん、それ楽しいかい?意見を聞かせてほしい。」と聞かれた。私は「すごく楽しいよ。ボールは今までぶつけられてばかりいたもの。でも今度は自分の足で蹴っ飛ばせるものね。先生、良いことを考えて下さったね。」と言った。先生は満面の笑みを浮かべて、「そうかい。嬉しいな。喜びを感じさせることが先生の役割だもんな。」とおっしゃった。私は“喜びと感じさせるのが教育”という言葉に感動をした。

 その校長先生はすぐに教育委員長になり学校からいなくなってしまった。(いい人はすぐに消えていく。なぜだ。)と私の心は怒っていた。その後、その先生は大学の事務局長になり、私がいちご会の寄付のお願いに行くと多額の寄付をくださった。「先生、やはり障がいのない子とある子を分けることはおかしいよ。そして学校の中でも普通学級と特殊学級に分けることは絶対にやってはいけないことだよ。先生どう思う?」と私が聞くと、先生は大きくて肉厚な手で私の手をぎゅっと握り、「そうだね。小山内さんの言うとおりだよ。今度時間を見つけてゆっくり話し合おうね。」とおっしゃった。数日後、先生から会う時間と場所が書かれた葉書が来た。しかし先生はそれから2週間後に天国に行ってしまって再会は叶わなかった。その時先生が私に何を言いたかったのか聞きたいと今でも思う。

 高校に入ると、アイディアマンの先生が現れ本格的な木製のボーリングを買ってきて楽しませてくれた。また卓球ができるように床にテープで線を引き、手の使える子は座ってラケットを持ち、私用には持ち手部分を細く削って足指に持てるようにしてくださった。床に転がりながら「工夫すれば私たち何でもできたんだね。」と笑うと、友達は「その通りだよ。僕たちは知恵遅れだといつもばかにされているけど、今度の先生は僕たちをそう扱わないもんな。学校に来るのが楽しくなったね。」と答えた。私は友達の言葉に感動を覚え、出会う人によって人生が暗くなったり、明るくなったりするのだなと思った。

 今年の大坂なおみさんのテニスは見事であった。1回目は負けたが、負けた悔しさをエネルギーにして2回目、3回目は勝利した。テニスはもちろん素敵であったが、マスクには差別され殺された黒人の7人の名前を書いていた。私はそれを見て、これほどかっこいい戦い方はないと思った。彼女はマスクに名前を書くことに悩んだと思う。勝てばよいけれど、負けたらマスコミに叩かれる、そのことも分かっていただろう。「スポーツマンは勝てば何でも言えるが、負けてしまうと何にも言えなくなる」と言った人がいた。なるほどな、厳しい世界だ。

 1950年代のアメリカではバスに乗る時、白人と黒人が分けられるといった人種差別があり、こうした差別の解消を訴える公民権運動が始まった。私はインターネットでそれを調べた時に、にわかには信じられなかった。日本では、1977年に神奈川県でバス会社が障がい者の乗車を拒否した。それに反対して主に脳性まひ者たちが運動を起こし、大勢でバスに乗ろうとした。バス会社や警察官が来て障がい者をバスから降ろした。さらに障がい者たちはバス会社の入り口に座りこみ、バスを出入りできなくした。私は原(はら)一男(かずお)監督の映画「さよならCP」でしか知らないことだ。バスに轢(ひ)かれて死んだらどうするのだろうとはらはらした。警察はその場からボランティアだけを引き抜いて連れていき、障がい者だけを置いていった。上手い作戦を考えるものだと、私は泣けてきた。その後その置き去りにされた障がい者たちはどうしたのだろう。親が迎えにきたのだろうか。ずっと疑問に思っている。

 2020年になってもアメリカでは人種差別があり、黒人の命を警察官が簡単に消す。大坂なおみさんはその姿に怒りを覚え、マスクに名前を書いた。テニスに負けても勝ってもいい、私は行動を起こさなければいけないと思ったのだろうか。かっこいい女性である。静かな戦いであるが、あのようなことをこれからも続けなければいけない。

 障がい者は今は命を守られているが、経済が危なくなってくるとアウシュビッツの世界に戻るかもしれない。福祉を良くするのは容易なことではないが、落ちていくのは簡単である。私はいつもそう思っている。私もマスクに心に秘めてあることを書こうかな。
 人間と人間の差別にピリオドはないのか。世界の歴史は戦争を繰り返している。地球が壊れるまで人間はその戦いを行うのだろうか。また温暖化現象で地球は本当に危ない。しかし世界中コロナの中でも大砲を打っている国もあるそうだ。なんて愚かなことだろう。しかし大坂なおみさんの勇気に拍手をしよう。彼女は厳しい戦いをこれからもさりげなくしていくのだろうか。

 私は近くのスーパーで「何かお手伝いすることはありませんか?」と申し出る親切な女性に会った。ヘルパーさんが遠慮せずにお願いすると、女性はすっと荷物を車に積んで「また何かあったら声をかけてください。」と言い手を振ってくださった。私は初心に帰りスーパーの前でヘルパー募集のビラを配ろうかと思いついた。マスクには「生活をサポートしてください!」と書こうか。

このnoteの原稿は、11月のいちご通信に載せるものです。

大坂なおみさんは強く静かな戦い方を選びました。しかし、心は揺れ動いたでしょう。私は、社会を変えるためにはこのような戦いを続けることが正しいことだと思います。みなさんは社会を変える為にどのような戦い方をしたいと考えたことがありますか?コロナで世界中の人たちは仕事を亡くし孤独です。助け合って生きることが大切ですね。マスクにどのような言葉を書きたいですか?一緒に語り合いましょう。

以下の記事より画像引用しています

https://www.sankei.com/sports/news/200908/spo2009080009-n1.html

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