『だから日本に助産師さんが必要です』令和版にあたり
2001年、全国の母親たちから寄せられた助産婦さんへのメッセージ文集『だから日本に助産婦さんが必要です』を出版しました。当時は、保健婦・助産婦・看護婦を一つにする「保助看一本化案」が浮上し、“助産婦”から“助産師”へ名称が変更され、そして助産婦学校が次々と閉鎖されていた時期でした。
「助産婦がいなくなっては困る」
助産婦のケアを受けた母親たちに声をかけたところ、全国から体験談が寄せられ、分厚い冊子になりました。当時の看護学校、助産婦学校へ寄贈し、当時の助産婦たちの教科書的な存在となりました。また、議員会館にも出向き、国会議員へ手渡して、助産婦の存続と教育の重要性を伝えにいきました。
お産の環境はこの30年間で、大きく様変わりしています。
1990年代に始まった日本における自然出産運動のムーブメント。
アクティブバース・フリースタイル出産、バースプランの導入、浣腸・剃毛・導尿などの医療行為のルーティンの見直しや廃止、夫の立ち合い出産、母子同室・同床への移行、など「出産の主体は産む女性と生まれてくる子ども」であることが強調されてきました。
自宅出産や助産院だけでなく、病院でも分娩台を降りて、畳で四つん這いのお産が導入され、助産師の寄り添いによる“産む人が主体となった自然分娩”に注目が高まりました。あわせて、赤ちゃんを母乳で育てていく支援も開花していきました。
2006年以降、産科医師不足による産科閉鎖が各地で相次ぎました。「産む主体性としての女性」といった悠長なことは言っていられず、妊娠したらすぐさま近くの病院に分娩予約をしなければ産む場所がなくなる、といった事態すら生じました。
2020年に発生したCOVID-19の感染拡大。コロナ禍の影響で対面による産前産後指導の自粛が余儀なくされ、家庭で孤独に産前産後を過ごす女性が多くなりました。オンラインでの両親学級やサポートが急速に増えましたが、母子と支援者とのコミュニケーションを肌のぬくもりで感じる機会が失われました。
効率的で衛生的で、自分が組んだ予定通りに暮らしていた大人が、非効率で先の見えない、答えがわからない子育ての世界に、心身共になじむまでには、時間がかかります。
コロナ禍の感染対策による面会や立ち合い出産の禁止に限ったことではなく、「赤ちゃんの世話がこんなにも大変だとは思わなかった!!」と、怒りと悲しみで不安定になり、早々に我が子を手離したいと感じてしまう女性は少なくありません。
そして、現在のお産と子育て環境。
高齢出産は増加の一途をたどり、不妊治療の件数はぐんぐん伸びています。
出生前診断が導入され、妊娠初期に「産む・産まない」の決断に直面する、新たな山場が増えています。
無痛分娩を選ぶ人が増えました。帝王切開率も上がっています。
それなのに、入院日数が以前より短くなり、2,3日で退院する病院もあらわれました。「産ませるだけ」で、産後支援への連携もないままに、です。
母乳育児を選ばない人が増えました。産後の女性に「無理をしない、させない」ことへの過度な配慮からか、母乳育児の良さを伝えることに医療側が消極的になっています。一方では、早々に職場復帰する女性と男性の育児参加の増加によるものとも推測されます。
そして「産後うつ」の疾患者も急増。
妊娠しづらい、妊娠を継続しづらい、産みづらい、育てづらい、愛しづらい・・・
これが日本の妊産婦を取り巻く現状です。
お産と子育ての安心には、助産師の寄り添いが欠かせません。赤ちゃんを待つとき、迎えるとき、見送るとき。自然なお産を望む人、医療の手助けが必要な人。家族で産む人、一人で産み育てていく人。
誰もが尊重されて、適切な寄り添いを得られるお産環境をつくりたい。次世代に引き継ぎたい。
そんな想いから、実際にお産を体験した人たちの声を、『だから日本に助産婦さんが必要です』の令和版としてここにお届けすることにしました。現在のお産環境において、助産師を求める妊産婦さんの切実な声とともに、かけがえのないいのちの誕生にまつわる貴重なエピソードを記録として残していきます。
お母さんたちがいかに助産師の寄り添いに助けられ、あるいは助産師の寄り添いを求め、お父さんを含めた家族がどれだけ救われているか。
これらのエピソードからおのずと伝わると信じて・・・
2021年6月
記:齋藤麻紀子 大竹かおり 佐藤鼓子
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