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『人生のカレンダー 「家」の再生の物語(仮)』④

人生何周目?

ところで、ちかちゃんの娘のさおりちゃんについて書き残しておきたい。

ちかちゃんは結婚してから5年間不妊治療を受けていて、もうできないかもとあきらめたときにさおりちゃんを授かった。

不妊治療はもう二度としたくないほどつらいものだったという。

彼女は、よく世間では不妊治療をやめたら自然と授かったりするということを耳にしたらしいが、本音を言えば「よろしゅうございますわなぁ、結構なこって!」というふてくされた気持だったようだ。

しかし、神様はきっと「そうふてくされなさんなw」と思ったに違いない。

夫婦二人で生きていく決心をし、家を建てようということになった際、妊娠が分かった。

こうやって生まれてきたのが、さおりちゃんである。

あるとき、この、さおりちゃんはとても不思議なことを言った。

「おうちが見えたの。新しいおうちのそばには女の人がいたの、さーちゃん、この家の子供になろうと思って、やってきたの」。

私とちかちゃんと話していて、さおりちゃんとの話になったとき、そんなことを話してくれたことがあった。

カウンセリングをしていると、時折、この手の話を聴くことがある。
胎内記憶を持っている人は、胎内にいたころの心地よさを語る人もいるし、母親が歌って聴かせた童謡を、生まれた後に好んで聴くこともある。

前世記憶を持っている人の場合、生き別れた妻に子供の姿になって会いに行き、信じられない女性に対して細かい状況を説明して納得してもらい、以後交流が続いているというケースもある。

これは、ある種のファンタジーと受け取ることもできるし、検証可能なものではないので、なんともいえない捕え難さはある。

しかも、ちかちゃんは心の病を抱えているので、妄想ではないかと考えることも出来そうだ。

しかし、私は医者ではないし、医学的な枠組みを気にしながらも、診断する気もないし、そもそもできないし、私の責任範囲はこのエピソードの意義を共に考えることでしかないので、よほどのものでない限り、こんな時はふんふんと聴いていればよいと割り切ることにしている。

ちかちゃんの語ってくれたさおりちゃんのエピソードはこれだけではない。

あるとき、母娘でお風呂に入っていたとき、
「ママ、悲しいことがあったら、泣いてもいいんやで」といって、頭をなでなでしてくれたという。

また、ある時、ちかちゃんが仕事のことで上司ともめたことがあり、これを当時6歳のさおりちゃんに話したところ、

「ママ、その上司の人に自分の気持ち話したん?」。

「いや、話してはいないけど…」。

「それやったら、上司の人にママの気持ちも伝えて、また話し合いやな」。

次の日、「ママ、上司の人に自分の気持ちを伝えて話し合ったん?」。

「ママの気持ちを伝えて話し合ったわ。うまくいったで!」。

「せやろ、だから言うたやん」。

そうかと思うと、7歳の現在でも、とても子供っぽかったりして、ちかちゃんが難しい顔をしていたりすると「ママー、スマイルスマイル!」といって踊ってくれたりする。

これはパパであるご主人様に対してもそうで、仕事から家に帰って仕事を引きずったままの顔であると、「スマイルスマイル!」といって踊ったかと思うと、「お馬さんになって!」といって、背中にまたがり、おしりをたたいてはしゃいだりする。

テレビで戦争の場面や災害の映像などを見るととても怖がるし、特に地震をとても心配したりする。

人のこころの動きにとても敏感なようだ。

まさに「申し子」である。

申し子の意味は以下の通り。

①神仏に祈ったおかげで授かった子。
②神仏など霊力を持つものから生まれた子。また、その分野で特に優れた能力を持つ人。


①は「もうできないかもとあきらめたときにさおりちゃんを授かった」のだから厳密にはちがうとしても、私が神様の立場に立って想像に想像を重ねると、ちかちゃんは妊活で相当つらい想いを耐えてきたのだし、今度こそと祈るような気持ちであったことは間違いないだろう。さらに、さおりちゃんの登場の仕方が神がかっているので、なんらかの祈りは神様に伝わっていたとしよう。
②において、すこしばかり心の安定に欠けるママを助けることにかけては優れた能力を持っているという点においては、まさにさおりちゃんは「申し子」であるといえる。

「いやー、すごいねぇ。子どもが親を選んで生まれてくるというのは、話には聴いていたけど、私も直接聴くとは思わなかったよ。本当にこういうことってあるんだねぇ」。

「本当ですねぇ。それでね、さおりは私よりとっても大人で落ち着いたところがあるので、精神的にはもう60代くらいなのではないかと思ったりするんですよ」。

「う~ん、ますます凄い」。

ちかちゃんがご主人に言われて救われたという言葉があって、

「あの人は人生何周目だ」というもの。

ご主人様は、とても生き辛さを抱えていたり、不器用に生きている人の人を「あの人は人生一周目だな」と言ったりするらしい。

さおりちゃんは、きっと人生を何周も何周も生まれ変わってきたのだろう。この経験を活かして、大きな課題を抱えているちかちゃんのところに助っ人としてやってきたに違いない。

「本当にそうですよね、いったい何周目なのかしら…。もう、師匠と呼ばせていただきますわw」。

カウンセリング的にはいろいろあるだろうが、共感の上にこういう生きる上の活力になるような物語が紡ぎ出されていけば、これはこれでよいのである。

しかし、もし神様がいたとして、このようにふてくされていたちかちゃんに配慮したのだとしたら、この世も捨てたもんじゃないな。

「人生のカレンダー」を読み解きながらクライアントを支えるということは、このような隠された意図を感じ取ることかもしれない…。




















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