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『お見舞い』

 あの日、曾祖母のお見舞いに行って、写真を撮った。まだ買ったばかりと言ってもいいほどの時間しか一緒にいなかったカメラを持って。あの頃はまだ、何故撮るのかとか、どう撮りたいのかとか、そういうことを気にせずにただなんとなくシャッターを切っていた。

 私の実家はその頃、祖父母と祖父の母である曾祖母の三人で暮らしていた。私は高校卒業と同時に家を出て、そのまま就職して一人暮らしをしている。私の母もその家に住んでいたが、私が家を出た後に再婚し、やはり家を出て再婚相手と暮らしていた。
 曾祖母は歳の割にはとても元気な人だったけれど、それでも百歳を超すと徐々に動きが緩慢になり、転んで大腿骨を骨折してからはずるずると斜面をずり落ちるように一人では出来ないことが増えていった。祖父母も高齢である。このままでは一家で共倒れとなると親戚一同で介護の体制を見直して曾祖母は施設に入所することになった。
 曾祖母は顔をくしゃくしゃにして笑う人だった。入所してからはその笑顔はどんどん減っていった。家や家族と離れると表情が失われていくことは、私の職業である看護師の経験からも知っていた。知っていたはずで、知っていただけだった。あの人の笑顔が失われていくのは信じられないような思いだった。

 あのときは何度目かの入院で、確か心不全だった。百余年生きているのに元気だと思っていた彼女の身体は、施設入所を機にその精神性で保たれていたのを表すかのように度々不調を示すことが増えていた。
 病室に行くと嬉しそうな言葉を発するがやはり表情は乏しい。祖父母と話したり持ってきた果物を食べる姿を何とはなしに撮影する。ふと撮った一枚にあどけない表情を見た。幼女のような無垢な眼差しで、しかし百年の遥かを漂わせた雰囲気。普段は表情の波間に隠されていた深い深い深層が覗けるような凪いだ瞳が印象に残る。私がいつも見ていた“ばあちゃん”ではなくて、長い時を生きている一人の人間の本質的な何かをみたような気がする。
「写真写してんのか」
 カメラを弄る私が気になったらしい。カメラに内蔵されたモニターでは小さくて見にくいから、スマートフォンに転送して撮った写真を見せてみる。彼女は自身の写真にどう反応するのか。

 目尻や頬、口元が動く。瞳に光が差す。
 「これ、おれかぁ。まぁシワシワになっちゃったなや」
 記憶にあるくしゃくしゃには足りないけれど、それでも久しぶりに見た楽しそうな表情。笑い声。祖母も画面を覗き込む。
「おれ、さっきこぉんな顔してたんだとよ」
 祖母も笑う。それを見てまた少し表情が柔らかくなる。笑えていなかったのはこちらもらしい。
 私の写真が彼女を笑顔にできた。それが実感としてわかった。胸の内が温かい掌で抱きしめられたような、少し泣きたいような気持ちが生じる。
 その感情ごと目の前の光景を切り取っておきたくて、またカメラを構えてシャッターを切った。

 あの日から数年経って、彼女は死んだ。もう会えない。笑ってくれない。新しい写真は撮れない。
 人の本当の死は、人に忘れられたときだという。
 彼女を忘れたくないと思っているのはもちろん、あの日の笑顔や嬉しさも忘れたくない。
 思い出や感情も忘れてしまえば消えて無くなって、無かったことと同じになってしまうような気がする。
 あの日の写真を見ると思い出せる。久方の微笑みも、胸がぎゅうっとなるような嬉しさも。
 思い出せると安心する。まだ生きている。

 もっとたくさん写真を撮れば良かった。もっと早くカメラを買っていれば良かった。
 消えて欲しくない思い出がたくさんあるのに、私はそれを残せていない。
 飼っていた兎に「元気かぁ」と話しかける声。
 私の髪を撫でる指先。
 くしゃくしゃの笑顔。

 あのお見舞いの日の笑い合う曾祖母の写真が入選して、大きな賞ではないけれど、少し誰かに認められた。撮影技術とやらがほんの少しついたらしい。それは思うように表現できるようになってきたということ。表現することは誰かに何かを伝えることだと思っている。あの日の写真は、私の「忘れたくない」という思いを後の日の私に伝えることができた。撮る技術が上がればもっと鮮明に残せるのかもしれない。勉強も練習も大事である。

 入選の報告に墓参りに行った。実家に着いてから仏花の用意を忘れたことに気がつく。田舎の集落であるから近所に花屋なんてない。畑や庭にもちょうど良い花は咲いていなかったから墓地までの道々で摘んだ野花を細い草で纏めて花束にした。
 墓を清めて線香をあげる。手を合わせる。ふと、幼いときに曾祖母と手を繋いで散歩したのを思い出す。そのときも野花を摘んだ。
 墓前に座って私が忘れたくないものを思い浮かべる。今しか残せないものがある。文章でも絵でも音楽でも良かったけれど、私は少しだけ写真を撮るのが得意らしい。嬉しさも悲しさも美しいものに打ち震える心もその光景と共に写真で残していける。
 レンズキャップを外して電源を入れる。ファインダーを覗いてピントを合わせる。シャッターを切る。野花の花束が切り取られて写る。
 忘れないように。消えて無くならないように。

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