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フランス争奪戦とイギリスの議会政治の始まり

フランス人によって成立したイングランド王国は、フランスとの領土をめぐる争いを経て、王朝を中心とした議会政治の基礎を築きました。本記事では、イングランド王国の成立とジョン王とフィリップ2世の争い、その後の両国の国家体制の展開を自分なりに解説させて頂きます。

イングランド王国の成立

1066年:ノルマン・コンクエスト
ノルマンディー公ウィリアム(ウィリアム征服王)がイングランド王に即位。ノルマン朝が成立し、フランス系貴族による統治が始まる。
※注目点:Doomesday Bookを作成し税制を強化した。国王に対し,領主層からの忠誠を誓わせ,集権的な封建体制を取ろうとした。

ノルマン朝からプランタジネット朝へ

ノルマン朝の後、プランタジネット朝が成立。アンジュー伯アンリ(ヘンリー2世)が王位を継ぎ、広大なフランス領を支配する。
※注目点:ヘンリー2世は、妻の父親(アンジュー伯)の領地を引き継いだ。

ジョン王とフィリップ2世の争い

1189年:ヘンリー2世の死去
息子リチャード1世が即位。その後、弟ジョンが後継者となる。
1202年:フィリップ2世との争い
フランス国王フィリップ2世がジョン王の領土を狙い、領地を奪うための戦争を開始。ジョン王は敗北し、フランス内の多くの領地を失う。
1215年:マグナ・カルタの承認
戦争の失敗と専横政治への貴族の不満から、ジョン王は大憲章(マグナ・カルタ)を承認。貴族の権利を認め、課税には貴族の同意が必要とされる。
※注目点:ジョン王は、カンタベリー大司教の任命を自身で行おうとしたことにより、ローマ教皇から破門を宣告される。

議会政治の基礎の形成

シモン・ド・モンフォールの反乱(1264年 - 1265年)
ヘンリー3世の治世において、貴族の不満が爆発し、シモン・ド・モンフォールが反乱を起こす。これにより議会の招集が促進される。
二院制議会の確立
14世紀までに、貴族院と庶民院からなる二院制の議会制度が形作られる。

フランスとイングランドの国家体制の展開

フランスの王権強化
フィリップ2世は王権を強化し、国内の統一を進める。カペー朝がヴァロワ朝へと移行し、王権がさらに強化される。

イングランドの議会政治
大憲章の影響で、王権は制限され、貴族が政治に参画する体制が整う。これが後の議会政治の基礎となる。

結論

フランスとの領土争いを通じて、イングランドでは議会政治が発展し、フランスでは王権が強化されていきました。この時期の歴史は、百年戦争を経て両国がそれぞれ異なる政治体制を築く基盤となりました。

引用文献
イギリスの封建社会と身分制議会 | 世界の歴史まっぷ (sekainorekisi.com)
イギリス議会主義のはじまり【ゼロから世界史20講】 (youtube.com)
イギリス (y-history.net)

次回もまた中世ヨーロッパについて書きたいと考えています。最後まで読んで頂いてありがとうございます。


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