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「あたりまえ」じゃない日々に

5月のある日、突然それは始まった。なんとなく左足が痛いな、と思っていたのも束の間、時間が経つにつれて痛みが徐々に増し、初めは横になっていればなんとかなった痛みが、ついにはどんな姿勢でも和らぐことはなくなり、痛い痛いと子供のようにベソをかきながらただ耐えるしかなかった。まさしく青天の霹靂だった。

今の時代便利なもので、ネットを使えばなんだって調べることができる。症状を鑑みた結果、どうやら坐骨神経痛のようだった。

確かにそれまでも足の筋肉の張りなど感じていたことはあったけれど、まさかこんなに急に酷くなるものだとは思ってもいなかった。それからは整形外科に行ったり、カイロプラクティックに通ったり、初めは歩くこともままならず、痛みも強くて本当に辛い日々だった。元通りに動ける保証もなく、図らずもまた厳重なひとりステイホームを強いられることになり、精神的にも限界を迎えるところだった。終わりの見えないトンネルに、心身ともに疲れ果ててしまった。

しかし、なんとか牛歩のような回復スピードではあるけれど、ほんの少しずつ症状が緩和しているのが救いだった。2か月以上が過ぎて、ようやく少し光が見えてきてやっとこうして文章も書けるところまで心も回復してきたところである。まだまだ走ることはできないけれど、とりあえず歩くことはほぼ普通にできるようになった。時々痛みが出たり足に違和感があったりはするけれど、当初の真っ暗な状況を思えば万々歳だ。歩けることも当たり前ではない。今までこんなにも痛感したことはなかった。

あまり動けないので、とにかく色々なことを考えていた。自分にかかっていた負担。元々神経質だったり些細なことにもストレスを感じるタイプで発散も上手くない。しかも1年以上続いているコロナという負荷がずっとかかっている状態なので、普通よりも様々なことへのストレス耐性は低くなっていたのだと思う。幼稚園や学校のPTA関連の仕事が4月下旬にこれでもかってくらい重なっていて、物理的にも精神的にもストレスフルだった私はあっけなく潰れてしまった。自分のこと、自分の体を大切にしている余裕がなかった。なんでも「〜しなきゃ」と思っていた。大好きなお風呂も、気分転換になるのではなく、お風呂に入らなきゃと義務に感じて、がんじがらめになっていた。そりゃ、壊れるわ。

コロナによってみんなが自由に身動きが取れない今、気づかないうちにストレスを感じている人が本当に多いと思う。仕事のことや生活のこと深刻な悩みを抱えている人もたくさんいるはずで、やりきれない思いもたくさん溢れているはずだ。もしあんまり疲れを感じていないような人でも、見えない部分はダメージを受けているかもしれない。なかなか思い通りに行くことばかりではないけれど、今こそ、自分を含めてだけど、自分自身を大切にする時なんじゃないかな。時には頑張っている自分を褒めたり甘やかしたり立ち止まったり、閉塞感を覚える時代だからこそ、自分なりの小さな幸せを積み上げて行けたらいいなと考える今日この頃である。

なんて偉そうに言えるようなものでもないけど、自分自身への戒めも含めて、今の一瞬一瞬を大切にしていきたい。すぐ忘れちゃうんだけど、きちんと心に留めておかなくては。まだ立ち直りきれてはないところもあるんだけど、頑張って回復してくれている自分の体のためにも進みたい。

元の状態には戻れるかわからないけど、でもこのタイミングで気づかせてもらえて良かった。「あたりまえ」じゃない日々に。


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