ジョージア、ワインが生まれたところ “Our Blood is wine”

監督:Emily Railsback 案内役:Jeremy Quinn

・地中に甕(クヴェヴリ:qvevri)を埋め、その中に果汁を入れてワインを発酵&熟成。
→クヴェヴリは洗って使いまわす。現洗うのにも労力がいるため、高齢農家は閉業の危機。
・クヴェヴリは甕そのものの他、それを使った製法のことも指す。
・新石器時代、約8000年前からクヴェヴリは現在の形。埋葬の道具に用いられることも。
→アンフォラと似ている?アンフォラの方が前15世紀のレバノン辺り発祥と後。
・クヴェヴリ同士が近すぎると、温度が上がりすぎてしまう。
・ソ連は18品種を選抜し、他を淘汰した。20cはこの18品種のみを栽培。
→大量生産が目的。 ブランデーの背景と似ている? ジョージアの蒸留の歴史の確認が必要。
・ワイン生産をカヘティ州(kakheti)に集約、500品種が淘汰される。
・利点として、品質が安定した。
→ブドウ品種を混ぜているので、農家からは非常に不評。カトリック的?
 〇映画『落ち葉(1966)“Falling leaves” Otar Iosseliani』
→農家はこの作品に対して批判的。「人々がワインを破壊する様子を映している。」
・各家庭に半ヘクタール(500㎡、約1500坪)を分配。大農園は強制的に縮小。
→現在は国から買い戻している農家もある。
・メスへティ州(meskheti:正式名称Samtskhe-Javakheti)はソ連時代では国境を閉鎖され、それ以前はトルコ領だった。現在は大半がトルコ領となっている。
・Giorgiさんが地元のブドウ品種を調べ、元来のワインを造ろうと挑戦中。
→元々は森に自生するブドウをワインの原料にしていた。
・1620年頃にはこの地域ですでにブドウの製造の記録がある。
→洞窟都市に圧搾室と絞った果汁を通す穴が掘られている。果汁は革袋に入れてヴァルジアに運搬。
・地中にクヴェヴリを埋める意味は、①宗教的には母なる大地に一度預ける、②ペルセポネーのように冬の間だけ豊穣のデメテルの元から冥界のハデスのもとに預ける、③地中を経由しての復活による完成。が考えられる。
・クヴェヴリワインはジョージアワインの1パーセント程度。製法故多量生産が難しい。
・ソ連時代はブドウの搾りかすに砂糖と水を混ぜてワインもどきを造ることも。
→産業革命のフランスに似たような話が合ったような?
・現在(2018)のジョージアのワイン畑は35,000から40,000ヘクタール。
ソ連時代は140,000ヘクタールだった。
・肥料を一切使わず、手入れも頻繁にしないクヴェヴリはユネスコ世界無形文化遺産に2017に登録されている。
・アテニ(Atheni)でニカ・ヴァチェイシュヴィリ元文化相がワイナリーを設立。およそ300年ぶりにアテニの製法のワインが復活。

・“Foreign invaders have always sought to conquer this land.
They would first cut down the vineyards and prohibit song.” Rezo Gabriadze ジョージアの芸術家
→ここでいう侵略者はソ連やトルコ?トルコはイスラム的要素で畑を破壊?

映画公式サイト
https://www.uplink.co.jp/ourbloodiswine/#director

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?