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私のマタニティブルー体験記~「うれしくない」は持ってていい

今思えば、あれはマタニティブルーだったのかもしれない、と
この記事を書き出してから思い至った。

1人目の時も2人目の時も、私は妊娠している間とても苦しかった。
誤解を恐れずに言うのなら、
私は子どもが出来たことを素直に「うれしい」と喜べなくて。そのことは私を責めるに足る「悪」だった。

けれどその「悪」を記録として残しておこうと思った時、笑ってくれる小さい顔がちょこんちょこんと隣にいて、あれはあれで仕方なかったなと認めることが出来た。

もし、同じ思いをしている人がいたら、この記事を読むことで1人ではないと気付いてほしい。
その気持ちは別に持っててもいいよ。
大事なのはそのあとだから。今はいいよ。

追記
子どもが欲しくても出来ずに苦しんでいる人にとって、この記事は不快になるかもしれない。

マタニティブルーってなに?

マタニティブルーとは、妊娠・出産でホルモンバランスが乱れ、気持ちが不安定になる「心の悩み」なんだそう。

産後数日から2週間程度とする場合もあるけど、産前も含めていいみたい。
ひどい場合には「産後うつ」に移行してしまうから、注意が必要。

注意が必要だったんですねー、私。

具体的につらかったこと

まず妊娠がわかった時、まっっっっったく喜べなかった。
嫌だったわけじゃないけど、「えっ」という驚きと、「まじか…」という戸惑いがあふれてきたのを覚えている。

もうまずこれが「悪」ポイント1。

仕事面

今でも大好きなお店

喜べなかった大きな理由が仕事だった。
私は結婚して大分に引っ越してきていて、この時点でまだ4か月くらしか経っていなかった。
しかもずっと憧れていた大好きな場所での仕事が始まったばかりで、オープニングスタッフとして学ぶことだらけの毎日だった。
それを辞めなきゃいけなくなる。

え、社長になんて言うの?どうすんの?
これからもっとキャリアアップしてバリバリ働く理想の自分を目指していく予定だったのにどうすんの?
どうすんのどうすんの?

どうしようもない。
どうしようもなかった。

私にはただ、お腹にいる子を見ていることしか出来なかった。

環境面

結婚して間もなく、知り合いもほぼいない土地。私の周りはどうだったか。

私の実家はもちろん県外。だから手伝いに来てもらえることはない。
義実家は県内だったけど、当時住んでいたところが車で片道1時間はかかる山あいの田舎だったから、そう頻繁に何かをお願いできないなという遠慮もあった。

先に子どもがいた姉からは、里帰り出産することをアドバイスされたけど、私は全く考えていなかった。
なぜなら、私はこの大分の地で生きていくから。
子どもは、私と夫の家族だから。
大変かもしれないけど、それも2人ですることだと考えていた。
別に里帰りしても良かったんだろうなと今では思います。
頼れるものは頼れ。

肉親はもちろん、友達もいない土地で、私は仕事をやめるといっそう家でひとりぼっちだった。
夫以外と会話することもなく、ただぼーっと日々を過ごしていた。

産婦人科でのあれこれ

当時通っていた産婦人科は、良くも悪くも適当というか、ざっくばらんだった。
特に印象に残っているのは、子どもが逆子になっていると言われ、逆子体操を指示されたこと。

しばらく続けた次の検診時、逆子が治っていることに気づかず体操をしていた私におじいちゃん先生は
「逆子かどうかわかるでしょう~普通」
と笑って言った。

いやわかんねーよ!

まぁそいうおおらかさが良いという人もいて、
変にプレッシャーをかけられることもなかったので、確かに良い先生だったんだろうけど

初めての妊娠でわからないことだらけの私には
不親切というか、漠然とした不安が解消されることはなかった。

うつチェックがこわかった

検診へ行くと、妊婦さんのメンタルチェックとしてアンケートを取ることがある。
その中の質問に

「妊娠がわかったとき、うれしかったですか?」

という項目がある。
この質問がこわかった。

正直に「うれしくなかった」と答えると、ものすごい心配そうな顔で担当の方が「どんな気持ちで…?」と尋ねてくる。
あー私あぶないやつ認定されるんだなと思ってしまう。

この辺難しい。
本当は素直に吐き出したら良かったんだろうな。
うつもそうだけど、「私は大丈夫」と思うことが一番危ない。
「私もやばいかもしれない」と疑っていい。
得られるサポートは得ていい。
でも私は当時、ごまかすだけだった。

だって私が「悪」であることを責められている気がしたから。

赤ちゃんとのハッピーな生活を全然イメージできない。
「悪」ポイント1。

周囲が喜んでくれたことがうれしかった

義理の兄弟たちからのプレゼント

それでも良かったのは、私が喜べない分、周りが喜んでくれたことだった。
まず何より夫が一番喜んでいた。
そして家族も、心配していた職場も、すごく気を使ってくれた。
そのことにとても助けられた。
あぁ私はこの子を産んでもいいんだなぁと思えた。

私がうれしくなかった分、「おめでとう」の言葉には複雑な気持ちがあった。

でも勝手に喜んで盛り上がってるのを見るのはなんか他人事みたいで、客観視できて楽だったのかもしれない。

私が1人で頑張って子どもを育てるわけじゃないんだと、言葉にせずとも教えてもらっている気がしていた。

「悪」でない気持ちなどない

自分を責めたり、それが悲しかったり、色んな気持ちが入り混じった10か月後、32時間もかかって私たちのもとにどっしりとした赤ちゃんがきた。

自分が産んだという実感や、こみあげてくる喜び…みたいなのはなかった。
きつすぎた陣痛がやっと終わったこと、疲れ切った身体にいっぱいいっぱいだった。

ただ、個室に移動するまでの数時間、赤ちゃんと2人きりの処置室。
ほぎゃほぎゃと一生懸命に泣く赤ちゃんはかわいかった。
後からこの泣き声がうるさく思うんだろうなとわかってたけど、その時は全然苦痛じゃなかった。
後悔なんかすこしもなかった。

しわしわの手にびびった

今、こうして思い出していると、当時の私が目の前にいたところでかけられる言葉など何も思いつかない。
渦巻く気持ちを察することも出来なかったろうと思う。

けど、今でも言われて覚えている言葉がいくつかある。

「愛することが許されている」

そう言ったのは通っている教会の牧師先生。
私たちは罪のある生き物。
しかしイエスキリストによって、誰かを、子どもを、愛することがこんな私にさえ許されている。
子どもを愛していいんだよ、と言われている。
私が、自分で頑張って子どもを愛するのではない。
神さまが、愛していいよと助けてくれる。

そしてクリスチャンの友人が言った言葉。

「子どもは神様のもので、いつか神様にお返しするもの」だと。

私のものでもないし、私がどうこうするものでもない。子どもは神様のもの。そして私も神様のもの。

この二つの言葉は、自分でなんとかしなきゃ、
良い母親にならなきゃと頑張ってた自分を
ふっと解放してくれた言葉だ。

「うれしくない」と思っていた「悪」である私は、当たり前だったんだ。
だって罪びとだから。
仕方ないことだったんだ。
それでも子どもを愛することができるんだ。
一緒に生きていいよって、言われているんだ。

今は、2人の子どもが夫とともに私と生きてくれる家族になっている。
すぐに怒ってしまう私を、私はいつも情けなく思うけど
マタニティブルーだったころを、胸張って言えるわけじゃないけれど。

でも間違いなどなにもなかったと改めて感じる妊娠期間だった。

もしこれを同じ気持ちで読む人がいたなら、
どうか自分を責めないでほしい。
そして一人でないということをわかってほしい。

あなたが頼っていい場所は行政でも産婦人科でも友達でも家族でも
たくさんあるよ。
そしてなにより、神様があなたを許してくれる。
罪を、わかるなら。

「悪」でないことなどなにもない。
そう教えてくれた私のマタニティブルー体験。



追記

子どもが欲しくても出来ずに苦しんでいる人にとって、この記事は理解できないだろう。
また、どうして「苦しい」のに子どもを作ったのか、と疑問に思う人もいるだろう。

私たちはそれが神に与えられたものなら、私たちではなく神が今必要としていることだと思って、受け入れる"信仰"がある。

ただもっと考える余地はあったと思う。当時、5年近く遠距離恋愛をしての結婚で、舞い上がってた部分はあった。
夫は子どもを欲しがってたし、快楽と流れに身を任せたのも事実。

本当に今子どもを授かる覚悟があるのか、神様に祈ってなかったなぁと最近になって夫と反省した。
世間で言う「計画性」の部分だろう。

でも結果的にやはり後悔はない。今まで書いてきたことを知るための期間だったのかもしれないとも思う。全ては主の御心のまま。その御心を祈りながら知ろうと思う。

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