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リトル・マーメイド

 従前だと白人オンリーだったであろう役柄が、さまざまな人種の方が演じるようになってきました。多様性が前提にある社会にむけて、一歩ずつ歩みを進めているのでしょう。それでも、まだまだ固定されたイメージは根強くあります。

そのイメージはどうやってつくられたのか?


 このようなニュース記事をみると、たいていコメントには「昔からのイメージがくずれる」とか「差別はよくないと思うけれど、そこまでしなくてもいいんじゃないの?」とかが書かれています(実際、この記事のコメントもそんな感じです)。
 昔からのイメージって便利に使われます。伝統って言い方もされますかね。これって厄介で、素晴らしいから続いてきたんだ…!て勝手に読み替えされちゃいます。けれど、実際は素晴らしいどころか、排除の歴史だと思うんですよね。
 たとえば、お姫さまは可愛らしくて華奢で王子様を待っていて…というイメージ。近年ずいぶんと変化してきましたが、女は弱い!男に守られる!だから男を待つんだ!って社会が当たり前で、女はそれを受け入れなさいって雰囲気をつくっちゃってますよね。もともとそんなイメージをつくってしまっていた方だったディズニープリンセスですが、最近は強い女性や行動力のある女性をえがくようになりました。これも出始めのころは批判的なコメントが多かったと記憶しています。「イメージがくずれる…!」みたいにね。

当たり前をうたがい、行動へ…。

 今回の場合は、もともと白人でえがいていた作品をなんでわざわざ黒人にするの?って見方。あるいは、最近なんでも黒人にしてない?気ぃ使いすぎやない?って見方でしょうか。
 これ、反対に聞きたいです。黒人でもよかったのになんで白人でえがかれてたんですかね?

 私たちは、知らず知らずの間に、偏った当たり前を刷り込まされている。その偏りはマジョリティがフツーっていう社会をつくっている。それに気づいた時に、社会が変わろうとしている時に、「白人が当たり前なんだからそのままにしましょうよ」って言ってていいのでしょうか…?

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