surrealism
メンタルに問題がある。日本で生活する上で、各人の社会的生命を脅かす言葉だ。メンタルって精神的とか心理的とかそういう方向性を雑に指す言葉のようで、メンタルっていったい何だ?エビデンスを示せ!って反撃できそうなものだが、宣告者もさるもので、当人がやらかした頃合いを見計らって厳かにそう告げるのである。
草が生える状況である。
世のスナッパーという無益な奉仕者もその圧力のもとに生きざるをえない。
構図、主題、画角、適切な機材… そのへんを少しでも逸脱するとまずは駄作とされるらしい。メーカーや写真家が設定した緑地内で満足してろって感じである。
時にライカとかフィルムカメラを使っている人々は、一般的な金銭感覚上、ただの見栄っ張りの浪費者のように見えるが、または、そのナイーブな心情を、わかりきった偶像的な何者かで覆い隠さなければならない理由もあるだろう。
テーブルフォト、カプチーノの写真。
私には非常に儀式的な作法を感じる。
質感、明暗がすばらしい。
まったくもってバカバカしいことすら、全力を持って持ち上げなければならない。ますます厳粛な思いである。
仮にノスタルジアや希望というものが空にあるなら世界はもっと平和であろう。
それを独り占めしたような錯覚があたかも写真愛好家の特権かのように
野良猫、家猫、自慢の猫。
こうも肖像権がバイアスとして機能するならば、猫族はますます迷惑することであろう。
人々のシルエットに人生を読む。
写真家に備わった超能力である。
さて、メンタルに問題がある。
人はしばしば過ちを犯すものだ。ヒトを不快にしたり、法と罪のグレーゾーンをうっかり越境してしまうこともあるかもしれない。
その心や思考に問題があるならば、問題があるのである。ただ孤独なヒトが次第に増えてくるこの国で、もっと深刻なのは無関心である。
さて、孤独は恐ろしい。相容れない壁に閉ざされた迷路における彷徨の末。
境界に浮かんだ見慣れない何か。それは分離したあなたの心だ。おそらく越境したほうが良い。写真はその重要な一つの道具だと信じている。
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