差し詰め、35等星。

 2月18日。空はこんなに明るいのに、雪が降ったり止んだり時々吹雪いたり。でも陽射しは暖かいのでこのまま昼間のうちは積もる事はなさそう。雪が降るだけで簡単に心が揺さぶられる私は軽率に感動してしまい、この日に展示を見に行くだけでどことなく特別さが増すような気がして、気分はさながら文学人だ。

 という事で、今日はずっと楽しみにしていた最果タヒさんの展示『われわれはこの距離を守るべく生まれた、夜のために在る6等星なのです。』を見てきました。われわれを星に(しかも6等星に)見立てるなんて殊に素敵。私の好きな本のひとつに『宇宙のかけら』と言う本があります。その中に出て来るとても好きな一説

「だって、ぼくもおまえも、星のかけらでできているんだから」
『宇宙のかけら』著:竹内薫 /イラスト:片岡まみこ/出版:青土社

これは、主人公が飼い猫のカロアに、この宇宙のどこか遠い場所で星が死に爆発して、そのかけらが広がってとても長い時間をかけてこの星の、生命の、僕たちになったと語りかける場面です。この本は科学の事をとても丁寧に紐解いて、私たちが心で理解できるように書かれていて、死に漠然と不安を抱えていた子供の頃に出会いたかった、素敵な本の一つ。
閑話休題。展示名にとても心が震わされたのは、私たちが星のかけらである事をこんなにも詩的に表されていた事と、再開の感動もあったのかもしれません。

 一つ一つの作品に触れて語りたいけれども自分の言葉が不足して語りきれないので、特に印象に残ったものを二つ。
 まず入り口に展示されていた、透明な詩。透明な詩は真っ白な壁を背景に飾られ照明が当たり壁に影を落としています。その影が詩を可視化させていて、更には直視するよりもスマホ越しに見た方が言葉の輪郭が鮮明。さすがはスマホで詩を綴る作家さん。同じ空間にはループする詩。吊るされた輪っかの中に身を置くと目線の位置にぐるりと言葉が巡るというもの。自ら回転するとそれは永遠にループする詩になっていて、目から言葉がリフレインするように出来ています。立体物それ自体が詩のようでした。

 一番印象的だったのが、天井からぶら下がる詩のモビールの展示室。恐らく最果タヒ展と言って一番に思い浮かぶのは、この展示かもしれません。自分自身、最も長く滞在した場所です。最果さんのことば、詩の断片が数多にぶら下げられゆらゆらと揺れるて移ろう。揺れた断片達がランダムに連なる時にまるで別の詩が浮かび上がるようになっていました。偶然に連なる詩を捉えたり、時にはあの断片とこの断片を繋げたいと思いながら固唾を飲んみその瞬間を待ってみたり。最果さんの欠片を使ってこんなにも遊べる空間、なんて贅沢なんだろう。少しずつ移動して、壁面に綴られた詩とも時々重ね合わせて、最奥にある反射する詩とまた重ね合わせて、その反射光を捉えてみたり。何通りもの新しく発現した偶然の詩が(本当は計算された詩かもしれない)繋がっては離れ、分解されてまた別の詩になるのが楽しくて、ここには何時間でも滞在していたかった場所でした。

 詩を読む事は基本的には受け身で、その殆どが文章を(紙面であったり画面であったり)目で追い掛けるだけ、若しくは朗読や音楽として耳から入る事が多かったと思います。少なくとも自分の中では。手触りのない世界、私が知る詩の世界とはそういうものでした。だからこそ、その世界へ物理的に身を置くというのとても新鮮で貴重な文学体験となりました。機会があれば会期中にもう一度くらい行ってみたいと思いながら。

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