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「プロ」としての魅力を感じないプロゲーマー達

私自身がゲーム好きということもあり、プロゲーマーと呼ばれるプロのeスポーツ選手はやはり気になる存在です。
プロゲーマーは「プロ」の名を冠しているだけあってゲームプレイは一般プレイヤーのそれとはまったく違う次元をしており、ゲーム好き止まりの私とは比較の対象にすらならない程の技術を持っています。

そんなゲーマーの憧れの存在であり、ゲームという文化の地位向上のきっかけにもなっているプロゲーマーですが、一方で他業種の「プロ」と比較した時に非常に残念に感じることがあります。

彼らプロゲーマーとは、いわゆるスポンサーがついており、そのスポンサーからの収益や大会の賞金、はたまたYouTubeなどを利用した配信活動を通じて金銭を稼いでいます。
一体どこからがプロなのか、それは様々な意見があると思いますがここではとりあえず企業等のスポンサーが付き、ゲームの技術を通して安定した収益を得ていることがプロの条件だとして話をします。
つまりプロゲーマーとは、言い換えると「企業の看板を背負いながらゲームをプレイする者」ということです。

ここに私がプロゲーマーに対して残念に感じる理由があります。先ほども述べた通り、彼らはスポンサーとなっている企業の看板を背負っているわけですが、それはつまりプロゲーマーは他の個人や私的な集団で稼いでいるYouTuberやストリーマーとは違い、背負っている看板があるという、社会的に見ても明確な責任の伴う存在なのです

しかしどうでしょう、プロゲーマーのライブ配信などを覗いて見ると、相手プレイヤーに対する暴言や納得がいかない場面で行う台パン(ストレス解消の為に机等を叩く行為)などの行為を平気で配信中に行っています。
あげく、最近ではライブ配信中での失言によりプロを辞めさせられたプロゲーマーもいます。

彼らにとってそれらはエンターテイメントであり、ゲーム配信業界では普通のことなのかもしれません。私自身もゲーム実況をよく見るのでそういうノリが存在することは理解しています。しかし彼らは先にも述べた通りYouTuberやストリーマーではなく「プロ」のゲームプレイヤーなのです。
そこを肝心のプロゲーマー自身が理解していない人が多いことが非常に残念に感じます。

失言により辞めさせられたプロゲーマーの言い訳は「このぐらい他の人(YouTuberやストリーマーなど)だって言っている」です。
この考え方のそもそもの倫理的な間違いは置いておいて、こうした発言一つを見てもやはり「プロ」という存在がどういうものなのか、プロゲーマー自身が理解していなかったことが伺えます。

ゲームは「遊べば馬鹿になる」「人を簡単に殺すようになる」など悪い印象で語られてきた過去があります。そこからプロゲーマーという存在が生まれれ、近年ではeスポーツという形で取り上げられていることによって、ようやくその存在が社会的にオープンに認められるようになってきました。
ゲームを陰ながら遊んでいた少年少女はようやく堂々と日の光を浴びることが出来るようになったのです。そんな彼らの憧れの存在であるプロゲーマーが今のように配信中に暴言を吐いたり、乱暴行為を行ったり、あげく失言によって辞めさせられるようなら、「やっぱり所詮ゲームが上手いだけのやつか」と、ようやく社会的に認められてきたゲームという文化がまた影の存在となってしまします。

ゲームが社会的に認められていなかった時代を生きてきた人にとってはプロゲーマーはゲームをプレイする者が社会的に認められた存在である証明であり、今となっては子供たちから野球選手やサッカー選手と同じように憧れられる存在でもあります。

そんな全世界のゲームプレイヤーの希望の光でもあるプロゲーマーには、ゲームプレイで魅せるだけではなく、誰もが安心して配信を視聴することが出来て、かつ人間としても魅力的で憧れられる存在であって欲しいのです。


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