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幼稚園年少組の私が給食を食べられず担任に絡まれていた話

ちょっとトラウマティックな(というか憎しみでしかない)思い出。

画像を貶すわけではないですよ。
コッペパンと牛乳がどうしても苦手だったんですよ。
コッペパンってパサパサやん。牛乳は臭くて嫌い。
しかもまだ紙パック牛乳ならいいですよ,ストローは飲みやすいし。
違うんよ。うちの地域は瓶で配るスタイルで,さらに幼稚園児には多いからってお椀に注がれてたんよ。
全く飲み物と思えんかったし,お椀にたっぷり入ってたら飲む気が余計に失せて。
コッペパンも全然喉を通らなくて。
少食なタイプというわけではなくて断然米派の,母上曰く白米大好きなお子様だったらしい。
でも幼稚園の給食は米は出なくて,必ずコッペパンと牛乳が毎回登場した。あのね,牛乳ってどんなおかずにも合わないでしょ。(ど偏見)
スイーツは知らんよ。
塩っけのあるおかずね。

ということは,毎度毎度全然食が進まないわけですよ。
当時の担任は毎回給食食べるの遅いたった一人の私にうんざりしていたんでしょう。
当時4歳の私になら何言っても理解できないだろうと思って好き放題言ってましたよね。

「ぴあじぇちゃんのせいで仕事が進まない」毎回必ず言っていましたね。
みんなの前で,他の先生の前では満面の笑みで猫撫で声なのに,ものすごく不機嫌そうに愚痴愚痴一生毒を吐き続けていましたね。
仕事できないならもう私のこと放ってどっか行ってほしいと思ってましたよ。

「残したらうさぎに食べさせるよ」これも常套句でしたね。
私が「食べさせてあげて」と残すと,「えーうさぎが可哀想!」「あーあ,可哀想なうさぎ」。
4歳児ながら理不尽だなぁと思っていましたよ。

大体先生が隣に座ってネチネチ言うから全然喉を通らないんだ,と薄々気づいていましたよ。
みんなが外遊びしてるのに混ざろうとして,私が頑張って食べ終わって,急いで靴履いて飛び出した瞬間,「はーい遊びの時間終わりだよ〜」。
あれはなくないですか。
いや靴履く前にラグあったし先に言えよ,と思いましたよ。

当時私が何も言い返さなかったのは,給食を食べられない自分が全面的に悪いと思っていたからです。
でも今思えば,4歳児に対する対応としておかしくない?

色々と鮮明に覚えていますよ。
エピソード記憶は言語の発達に伴って始まりますからね。
私の出生直後は慣れない土地でぼっちだった母親が,我が子しか話し相手いなかったんでめちゃめちゃ話しかけてたそうですよ。
おかげさまで本もすらすら読めるし語彙力めちゃめちゃ豊富だったんですよ。
だからはっきりと覚えていますよ。

中庭で各自お弁当を広げて食べた日,早く食べ終わった私に対して「お弁当だったら早く食べられるんだね!」と笑っていましたね。
なんで私が給食遅いのかこの人は全然理解できてないんだな,と呆れて無視しました。
コッペパンと牛乳が嫌いだから。
先生が隣でネチネチ言ってくるから。

しかもこの先生は,私の給食中にクラスメイトや他の先生が通りがかって様子を覗きに来ると,「ぴあじぇちゃん頑張って食べてるんだよね〜」と態度を豹変させるんです。

全体の前ではいい先生を貫いていたのかというと,実はそうでもなくて,断片的な記憶しかないのですが,確か年少のクラスで劇(絵本「てぶくろ」)をすることになった時,練習が若干不穏な雰囲気でしたよね。
手袋の中に小動物がどんどん隠れていく流れで,手袋の中で少しでも動いたらやり直し,でしたよね。
劇の進行を妨げるわけではないので,みんな叱責されてもよくわかっていない面持ちで従っていました。
発表当日,母はなんだか統制された劇だなと思って見ていたそうです。

イヤな年少時代でしたが,なんと年中でも同じ担任だったんです。
ただしクラスは2クラスから1クラスに。
人数が増えて先生も大変そうでした。
私は先生の集合の呼びかけに応じず無視して遊んでいる子供になりました。
先生はキレてたけど人数が多かったから,放置するようになった。
ある日,給食のカレーを4番目くらいに食べ終わりました。
あれ,今日はいけそうな気がする,と思って不思議な達成感に包まれました。
でも先生が「あれ!ぴあじぇちゃん!珍しいね!すごい!」と言った声で我に返り,一瞥してフン!と無視しました。
徹底的に反抗しました。あれは全部わざとでした。

しかしある時,トイレが間に合わなかったことがありました。
個室に入る直前で,お手洗いには誰もいなくて,暗い中震えていました。
粗相をしたことは恥ずかしくなかったのですが,絶対に担任にはバレてほしくありませんでした。
怖かったんです。
給食を食べられなかった頃みたいに,また叱られる。
ひどく怯えて誰の助けも呼べませんでした。
そのうちクラスメイトが気づいて,囃し立てたりするので別の学年の先生が気づいてくれました。
「大丈夫だよ」と抱っこしてくれましたが,私はずっと「〇〇先生には言わないで!」と繰り返し泣き叫んでいました。
その先生は私の尋常じゃない様子に「大丈夫だって,〇〇先生はきっと怒らないよ」と驚いていましたが,私はもちろん担任が他の先生の前では良い格好するとわかっているので「絶対怒る!」と譲りませんでした。
そのうち担任が来て,その先生は私を引き継いでいきました。
少々曖昧な記憶ですが,この時担任は何も言わず後片付けをして,なんだか不気味なくらい静かでした。

実は,私は年少の時にもトイレでトラブルを起こしたことがあったんです。
鍵穴に指を突っ込む遊びが流行っていて,私は全ての指でトライし,ある日親指を突っ込み,抜けなくなりました。
力を込めて抜いたら,血まみれになっていました。
友達が「先生呼んでくるわ!」と力強く言い,いろんな子が見に来たので先生も叱責することはありませんでしたが,私は固まって動けませんでした。
どこで怪我したのかもうまく説明できませんでした。
親が迎えに来るまで,トイレで先生に抱っこされてどこで怪我したのか場所を教えるように言われた時も,二人きりなのに猫撫で声の先生が本当に怖くて,全然違うところを「ここ?」と聞かれて頷いたりしていました。

粗相のこともあり,もう二度とヘマはしないと決めました。

年長になり,初めて担任が変わりました。
年少の頃から大人が大好きだったので,いろんなクラスの先生と仲良しで,年長の担任もよく見知った先生でした。
先生たちは「ぴあじぇちゃんとお喋りするの楽しい〜」と言ってくれましたが,私はお世辞だろうと思っていて「先生のこと好き!」と媚びは売りまくっていました。
担任になったらどうなるかわからない,他の先生の目の届かないところで態度がガラッと変わるかもしれない,と今回も警戒はしていました。

年長でもまたヘマをしてしまったんです。
木工作品の釘打ちで,自分の親指に強かに金槌を振り下ろしてしまって。(どうやら,いまだに親指に災難が降りかかることが多いと本日気づきました)
ビリビリと親指が痺れて。
たまたま担任の先生が近くで作業していて,うわしまった!と思いました。
先生は「今金槌当たった!?」と私のそばに飛んできました。
「ごめんなさいごめんなさい!!」怒られると思って咄嗟に親指を隠してめちゃめちゃ謝りました。
先生はギョッとして怪我のことはさておき「なんで謝るん?」と怪訝な表情で尋ねてきました。
「だって怒られるから。失敗したら怒られるから」
「怒るわけないやん」
先生は呆れたように言いました。
先生の言葉にものすごく驚きました。
「〇〇先生の時はそうやったもん!失敗したら怒られるもん」
「えー,そんなことないやろ」「ほんまやもん!」
私が必死に食い下がるからか,そのうち先生も真剣な顔つきになり,
「私は怒らへんよ」ときっぱり断言しました。
「怪我したら心配するのは当たり前やん。ふざけてたらあかんけど仕方ないこともあるやろ。ぴあじぇちゃん真剣にやってたやん」
「うん。でも違うところに釘打っちゃった」
「そんなんやり直したらいいやん!」
先生は明るく釘を引き抜いてくれました。
「そうやんな,そうやんな!」
私もやっと納得できて,今までの理不尽から解放される気分で,本当に嬉しくなりました。

なんだかんだで年長の担任とは仲が良く,「劇の監督はぴあじぇちゃんがやってな」と幼稚園児らしからぬ役を任せてもらったりしました。(実は先生が楽したかったのか?)
この劇に関しても,私が当時本を読みまくっていたからか「ぴあじぇちゃん今度の劇の台本何がいいと思う?」と相談されました。
エルマーの冒険を提案すると,「先生もそれがいいと思っててん」。
「えー先生わざと合わせたやろ!」
「いやいや」
「じゃあ私が他の選んだら何て言ってた?」
「エルマーやな」
「どうせ先生が選ぶなら最初から私に聞かんといてよ!」
先生は否定するでもなく笑っていました。
私は少々呆れましたが嫌な気持ちは全然しませんでした。
今思えば,私は語彙力だけ豊富な扱いづらいマセガキだったんですが,子供相手に正直に接してくれて嬉しかったです。


ちょっと長くなりましたが,私の幼稚園時代のエピソードでした。
年少・年中の担任(同一人物)のことは今でも思い返すと苦々しい気持ちになりますが,結局年長の時のことを思い出すと,爽やかな気持ちで締め括れるんですよね。

給食食べるの遅いクソマセガキは腹立つでしょうが,こんな感じで一生覚えているやつもいるので,言葉わからんチビには何言っても伝わらんやろうと思わず,いろんな人に応援を頼んで,丁寧に対応してくださいますよう。

私しつこくずーっと覚えてますからね。

どうか小さい子供が理不尽な扱いを受けることが減りますように。






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