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(3枚目)真・女神転生Ⅴvengeanceプレイ記録

スクショと記録とネタバレがあるよ

新規追加クエスト

新規追加クエスト「名探偵ピクシー」
電撃をつかう
シリーズの代表キャラクター
オマージュですね(名推理)

対話を重ねるふたり

ふたりの対話が意味するもの

タオとヨーコ
クエストを終えるたびに、ふたりが対話するシーンがはさまれていく
対照的な性格のふたりだが、彼女たちの対話するシーンは「慈悲」と「峻険」の二つの柱を象徴していると言ってよいだろう

タオが「慈悲」を象徴するキャラクターとして、ヨーコが「峻険」を象徴するキャラクターとして、ひとつの出来事に対して「考え方の違い」を投げかけるとともに、プレイヤーであるあなたに「どう考えるか」と問いかけている構造になっている

ユダヤ神秘思想のカバラでは「慈悲」と「峻険」そして「均衡」を代表する三本の柱をらせん状に巡ることで神の真意に近づくことができると考えられていた
それはとりもなおさず、思考をめぐらせ、思索にふけることで哲学的な悟りの境地にいたることでもあった

ナホビノであるプレイヤーは、ふたりの対話を通じて「慈悲と峻険」の間をとりもつ「均衡」を考えなければならない

それはとりもなおさず「どちらがより正しい選択か」を示す「根拠」を考えることにほかならないのだ


事態は急展開をむかえる


東京では人々が塩化する事件が発生
ナホビノたちはべテル全軍攻勢に加わらず、塩化事件を追うことに
いよいよ「復讐の女神編」独自の展開に


唯一なる創造主は「自らの姿に似せて」ヒトを造ったとされている
で、あるならば、異教の神を悪魔と貶める創造主とおなじように、ヒトもまた他者を貶めるとカディシュトゥは言う
唯一神以前の世界に立ち返ることで、世界は自由なものとなる
そのようにカディシュトゥは主張するが――

創造主より以前の世界

本当に自由だったと言えるのだろうか

カディシュトゥが主張する「創造主」とは、神聖な4文字にてあらわされる唯一神を指していると考えられる
現実の歴史でいうならば、イエスが誕生し、ローマ帝国がキリスト教を国教化した「紀元後」の世界が「創造主が王座に座った世界」にあたるといえる

それでは「紀元前」の世界は本当に自由だったと言えるのだろうか
ローマ帝国誕生以前の文明の中心地、とりわけ中東メソポタミアの歴史を見てみると、実際のところは「自由」とは遠い「対立の多い歴史」だったことがわかる

河川と交易による依存関係で栄えていた都市文明

中東にあるティグリス河とユーフラテス河に挟まれた地域で栄えていったメソポタミア文明は都市国家のもと人々が暮らしていた
都市国家ではそれぞれの神を崇める「多様性」があったともいえるが、実際の生活では単体で生活に必要な物資を揃えておらず、河川を通じた交易によって、つまりそれぞれの都市が持つ物資に依存しあうことで文明を築き上げていた

都市国家では戦争や遠征なども時折発生している
虐げるものと虐げられるもの、とはいうが、あるときには踏みつける勝利者であっても、あるときには踏みつけられる敗者になるときもけして珍しくはなかったといえる

古代人と現代人も、同じように考え、同じように病んだ

都市文明が栄えたメソポタミアだが、都市の「外」に棲む人間に対しては、都市生活に洗練されていない「野蛮人」と見なしていた
紀元前の世界が、素朴な人間社会であったということはまったくなく、むしろ現代に生きる我々と同じように考え、同じような病理を抱いて生きていたことがわかっている

メソポタミア文明のひとつ、シュメール文明における「ことわざ」は粘土板の形でのこっているが、その内容を見ると
「ライオン(支配者のたとえ)は懇意を聞き入れ同時にすべてを奪う」
「カメのような諍い好きは行く所々で厄介を起こす」
「正直者の建てた家は嘘つきによって壊される」
などなど、とても数千年前とは思えないくらい現代社会に当てはまるような言葉が多い

事件を追ってナホビノは新宿へ


「ヒトの塩化」は旧約聖書におけるソドムとゴモラの逸話に基づく
しかし、塩と化したのは「滅ぼされた街の人々」ではない
むしろ「塩」は腐敗を防ぐ作用や調味料としての側面などから、イエスの山上垂訓では敬虔な人間を指して「地の塩」と例えられたりもしている

新宿にある病院から、魔界化ははじまった

20年前に発生した「東京受胎」
新宿にある病院から魔界化がはじまったとミマンは言う
真Ⅲと真Ⅴのつながりを匂わせる台詞だ

ある人には凶鳥グルル ある人には霊鳥ガルーダ

凶鳥グルルは、霊鳥ガルーダが「人間によって悪魔と見なされた」姿
その根本にあるのは、インドとスリランカの対立
インドの人にとっては霊鳥ガルーダであっても、スリランカの人にとっては凶鳥グルル
異なる神を奉じる「多様性」ゆえに生じた対立が、それぞれの神を悪魔と見なして貶めている


グルルのクエストは、間接的にひとつの疑問を投げかけている
「天使」と呼ばれる「神の使い」
だが天使もまた「対立する側から見れば悪魔という存在」になるのではないか

「正しさ」はいったいどこにある?

「理想の形」はヒトによって違う
そうであるならば、あなたにとっての「正しさ」はどこにあるだろうか?
思いを「伝える」ことで対話ははじまっていく
それぞれが主張する「正しさ」もまた、対話によって示されていくだろう
たとえその先に相容れない結果が待っていたとしても、その過程は「自分なりの正しさ」という哲学につながっていくことだろう


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