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そろばん塾の息子

 僕は、大阪府の北部、空港の近くにある街で育ちました。
 教師の両親の次男、4つ上に兄貴がいます。
 家ではそろばん塾をやっていて、僕も小さい頃から習ってました。家で習うから、玄関を回らずにそのまま家から教場に入っていくのが、他の子供と違っているようなみられ方をしているように思えてとても嫌だった覚えがあります。
 いつも、そろばんの音がパチパチとなっている、そんな生活でした。
 そろばんが終わると、家族揃って一緒にご飯。塾は8時30分に終わるので、晩御飯は9時スタート。
 そろばん塾が終わるまで、お腹が空いて、いつも台所でお菓子を漁って、晩ごはんまで凌いでました。

 何不自由なく、過ごしてきた子どもの頃

普通すぎる子ども

 小学校から、中学、高校とほんと家から近くの学校に言って、いわゆるフツーに過ごしてました。
 そうふつーすぎる子ども

 この普通というのがすごく嫌だった。
 普通が嫌いだったんです。

 クラスでは、人気を取る子どもっているじゃないですか。
 そんなふうな存在でいたかった。
 誰もが覚えているような存在。

 でも普通だったんです。
 そんなふうに振る舞おうと思えば出来たはず。
 でも、踏み込めなかった。
 何か、かっこつけて、自分に理由つけて、踏み込めなかった。

 そんな少年でした。

 小学生の頃からスイミングスクールに通ってて、走るのは遅いけど、泳ぐのはそれなり。そうそれなり。 
 中学でも高校でも、水泳部で、体育祭では目立たなくても、水泳大会だけは少し自尊心が満たされました。

 でもクラブでは二番手、三番手。エースにはなれるほどは早くなかった。中学の時に顧問の先生から一度だけ、キャプテンやらないか と声をかけられたけど、「いやいいです」とまたカッコつけて断る。
 本当はやりたかった半分気持ちがあったのに。

 そんなナイーブな少年でした。
 自分では死んだような中学・高校時代。今でもあまり覚えてない。

普通が嫌い

 でも、高校の時に、初めてライブに行って、体が震えるほどの音響を体感し、眩いライト、エネルギーの集まり。初めて生きてるんだって思えた瞬間がありました。
 その中でも、マドンナのコンサートに行った時、バックダンサーを見て、これだ!って思って、初めて自分で気持ちが動いた。
 ダンサーになりたい!

 でも当時、ダンサーは男性がとても少なく、どこで習うかよく知りませんでした。
 当時、ギターとか音楽を始めて、なんとなくこれもいいかなって60点くらいの自分でいることに安住している。1浪して大学に入ってからは軽音サークルに入るけど、やっぱりなんかやるせない。自分じゃない。
 サークルもやめて、また迷子になって、パントマイムなどに寄り道したり・・・一生このままかな、俺ってって思ってました。

 そう思って20歳の時、ようやく、本当にようやくダンススタジオの門を叩いた。自分の足で一歩踏み込んだ。本当に始めてです。

 ほんと恐々、スタジオのドアを開けたのを覚えてます。
 当時は、劇団にも所属していたので、オーディションに受かるには、他の人が持ってない何か特異なものが必要。そこでショーダンスとタップダンスを始めることにしました。

 ここでもいいわけが必要だったんですよね。

 ダンスを始めると、本当に夢中になって、オーディションとか劇団とか、本当関係なくなった。始めて、自分というものを見つけたきがした。

 でもそうこうしているうちに、卒業。社会に出たら、ダンスなんてできない。
 まず考えたのは、ダンスを続けたい。始めて本当の自分を見つけられたんだから。
 続けるには、プロになる。でも、そこまで上手くない。
 じゃ、社会から逃げよう。

 そこで大学院。でもこれはゼミの先生に見透かされて断念。

 次に選んだのが、公務員。定時で帰れて、暇だろうから、そのうちにプロになれるようダンスを練習しよう。そう考えたんです。
 でも全ての試験に落ちた。

 もう、この頃になると、承認要求とか、プロになるとか、関係なく、ただ単にダンスを続けたい。それしかありませんでした。

 結果、地元の経営コンサルタントの会社に就職。
 僕の社会人デビューです。

 小さい頃から

 普通が嫌い
 フクシンってどんな人?と聞かれると
 普通・・・・
 そう言われるのがたまらなく嫌いだった。
 でも普通じゃない自分に飛び込めなかった。

 この後悔や、マインドは、全ての行動に引き継がれていきます。


 


 

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