日本鏡板工業株式会社 インタビューレポート

私たちは大阪経済大学の地域企業連携実習という授業の志プロジェクトの一環で、日本鏡板工業株式会社のWikipedia作成を担当することになりました。そのために2022年12月5日月曜日に、日本鏡板工業株式会社への訪問をおこないました。この企業訪問について、事前準備や訪問などの流れをレポートとしてまとめます。  

当日の流れ

まずは訪問当日の流れです。  

訪問当日は事前にリーダーから聞いていた集合時間、集合場所に全員が合流することができ、事前準備をしていてよかったと思いました。ただ、一つ改善点を上げるなら、ライターさんや大学の広報課のスタッフの方との合流が少し戸惑ったので、当日の服装など合流しやすい情報を伝えておくともっとスムーズに合流できたと考えます。  

全員揃うと、目的地である日本鏡板工業株式会社の本社まで歩いて行きました。目的地までの移動の際にも、どういう形で質問を行うか、誰がメモを取るかなど当日のインタビューの流れの最終確認を行い、全体で共通認識ができているかを確認しました。その後、工場と事務所を間違えるというミスはあったものの、予定時刻までに到着することができ、インタビューに移ることができました。  

インタビューでは、まず常務の岩間雅博さんが案内してくださり、その後、小林三郎社長とお会いすることができました。その際、最初に名刺交換を行いました。ここではまず大学の広報課のスタッフの方が最初の交換をしてくださったので私たちもそれを見習って、名刺交換を行うことができました。ここでの改善点は、名刺交換の作法やいただいた名刺の置き方など、社会人としてのマナーを確認しておけばよかったということです。別の授業で学んでいたものの、不安があり、当日も完璧にこなせたかといえばそうではなかったと思います。そのため、名刺に関するマナーを確認するべきであったと考えます。  

名刺交換の後、インタビューに移りました。インタビューではまずWikipedia項目の確認をおこないました。その確認が取れた後に具体的な項目に関する質問をおこなっていきました。質問を行う際に一番気をつけたことは、無言になる時間をなるべく少なくすることでした。質問と質問の間に気まずい間が生まれないように、インタビューに行った3人で協力し合いながら質問を続け、深掘りしてWikipediaに書くことができる内容を聞いて行きました。  
一通りインタビューが終わると、次は工場見学をさせていただきました。工場見学はホームページや出前講義、インタビューでお聞きした内容を実際に見ることで私たちの理解が深まったり、頭の中のイメージだったものが目で見えたりと、Wikipediaに書く側として事実をよりリアルに書くことができるようになりました。  
  
インタビュー中にお聞きしたことは下記の通りです。 
  
日本鏡板工業株式会社の親会社はロザイ工業株式会社であり、日本鏡板工業株式会社の小林社長のお兄様である小林太郎氏が社長をされています。そこでは耐火用レンガや工業用の炉を作っています。  小林社長は現在二代目で、社長に就任してから今年で17年目です。  日本鏡板工業株式会社の国内シェアは3割を占めています。  

ロゴの三本線の意味は、鏡板を三枚重ねて横から見たイメージと、お客さま、従業員、地域の方の三者をイメージしたのもの掛け合わせで三本線になっているとのことです。  

チャレンジ製品は、決まっている型番ではなく、加工するには難しい規格外のものや元々作っている以外のものを作っています。このような技術があることを知ってもらうためにチャレンジ製品を製作しています。社員の意見を聞いて、実際に社員がやってみたいと思ったことを実際にやってみているそうです。  

イメージキャラクターの鏡ミライは5年前に誕生しました。日本鏡板工業株式会社が金属の加工をしているため、一般の方から見たときに硬いイメージがありました。親しみやすいイメージにするために鏡ミライが誕生しました。5年前、擬人化が流行った際に一般のデザイナーに委託して、日本鏡板工業株式会社のイメージから誕生しました。今はお客様に親しまれ、ホームページや求人等でシンボルとして活躍しています。  

日本鏡板工業の誕生のきっかけは、前身の日本鉄工時代に鏡板を他社に発注したことでした。当時の他社の鏡板は価格が高く品質も悪かったことに加え、鏡板を専門にしている企業が一つもなかったことから、日本鉄工の中に鏡板部門を立ち上げられました。その後、鏡板部門が独立し今の日本鏡板工業株式会社になりました。前身の日本鉄工は、ロザイ工業株式会社と合併しました。  

鏡板の作り方は今も昔も変わりませんが、機械は進化しています。鏡板を用いるタンクの中身は、カーボンニュートラルによって水素やアンモニア等が増えると予想されます。  

工場による違いとして、関西工場、関東工場は鏡板専門工場であり、作られる鏡板は国内のみの流通で海外には輸出しません。北陸工場はマンホールカバーや半球の容器を製作するとともにベトナム工場のマザー工場として検査をしています。 

製品は創業当初から鏡板ですが、製造のための加工方法は当初からのスピニングに加え、プレス加工また金型を用いたワンプレス加工の設備を充実させ、お客様の要求にお応えしています。また、板厚32mmまでの製作は素材に負担をかけず、低コストの冷間スピニング・プレスという常温で加工しています。 

海外では鏡板を含めタンク全部自社で作るので鏡板専門業者はあまりありません。しかし、日本ではコストや品質、土地の問題から分業化されていて、大部分を鏡板専門業者が鏡板を製造しています。  

海外の拠点であるベトナム工場はベトナムのハイフォンにあります。ハイフォンはベトナムの海の玄関口であり、タンクを輸送するという目的から内陸にあるハノイやホーチミンではなくハイフォンに工場があります。  
 

訪問準備

次に、企業訪問の準備についてです。事前準備に関して重要だと思ったことは二つあります。
 
一つ目は、質問項目を考えておくことです。今回の授業の目的はWikipediaを作ることが目的であり、そのための訪問でした。つまり、Wikipediaに書くことを前提に、今足りない知識や情報を聞いたり、見たりしなければならなかったのです。そのため、まず私たちのグループは、既存の製造業企業のWikipediaを参考にWikipediaの項目を考え、その項目ごとに書く内容として足りない情報や知識をお聞きするという形で質問項目を考えました。その考え方で、Wikipediaに必要な写真を撮影させていただきました。  

二つ目は集合時間や当日の流れをグループ全体で共有しておくことです。私たちのグループは明確に一人リーダーがいます。リーダーが日本鏡板工業株式会社とアポイントを取ってくれました。この時、一回の電話では決まらなかったことや訪問日時の候補など、情報を逐一報告してくれていました。そのため、メンバーも合わせやすく、スムーズにアポイントを取ることができました。また、このリーダーの素早い情報共有に対してメンバーの返信も早く、グループ全体で訪問の成功に繋がったと思います。  

感想

最後に感想です。まず、お忙しい中、企業訪問をさせていただいた日本鏡板工業株式会社の方々には感謝しています。また、同行してくださったライターの方や大学広報課のスタッフの方にも感謝しています。今回の企業訪問で、普段はほとんど知ることがない鏡板について知ることができました。鏡板がどのように作られ、どのように使われているのかを知り、これからのカーボンニュートラルの時代に鏡板は必要不可欠であると感じました。そのために従業員の方々が自信を持って製造していることも感じることができました。鏡板が社会にとって必要不可欠であるからこそ、私は日本鏡板工業株式会社のことを、Wikipediaを通して多くの人に知ってもらいたいと感じました。 
 
以上で企業訪問の一連の流れは終了となりました。これらの経験をもとに、Wikipediaの作成を行います。  
 
日本鏡板工業株式会社チーム
池田陽己 
兵頭知紀 
板倉晶 
東蒼太 

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