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建築学生のまち歩き哲学

こんにちはビビです。

今回のテーマは「まち歩き」についてです。
実は今年に入ってから,普段行かないまちに行ってまち歩きをするという「どこかに行く企画」を月に1回ペースでやっています。笑
そこで,まち歩きで訪れたお勧めの場所の紹介と,まち歩きを半年間行って最近考えていること(哲学?!)を書きたいな~とか思っています。

ぜひ最後までご覧ください。
(トップの写真は神戸市長田区駒ヶ林町の路地を撮ったものです。)

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お勧め1:谷中霊園(@東京都台東区)

最初のお勧めは2月に歩いた谷根千エリアにある谷中霊園です!

アセット 5@4x

谷中霊園は歴史のとても古い霊園です。徳川慶喜の墓もあります。
山の手の大地の縁に立地し東側が急斜面のこの地からは,かつての海の底に建つラブホ群(鶯谷駅付近)を見ることができ,陸にある「死」の霊園,海にある「生」のラブホ群,という超対極的な存在を同時に視界に収めることができます。個人的にツボです笑(大阪アースダイバーは履修済みです!)
また春に以前訪れたときは,満開の桜でめちゃきれいでした。

ここ谷根千エリアには,歴史ある寛永寺※をはじめとしたお寺や,古民家を改修したカフェなど,他にも見どころがたくさんあり,歩くことに全く飽きないので本当におすすめです!
※江戸城(皇居)の鬼門封じ(北東)として設立されたみたいですね!

お勧め2:岩屋漁村(@兵庫県淡路市)

続いてのお勧めは同期や後輩と一緒に3月に歩いた岩屋漁村です!

アセット 7@4x

岩屋漁村は淡路島の北の玄関口です。
1995年の阪神淡路大震災の被害を大きく受けた淡路島は,震災後の復興過程において,種々の手法(主に土地区画整理事業,密集住宅市街地整理事業,漁業集落環境整備事業)で道路の拡張等が行われました。狭くていい感じの路地が車が通れるよう拡張されたのです(もちろん仕方ないのですが)。
しかし,岩屋漁村を訪れてみると,未だにいい感じの路地が残っていたり,昔ながらの建物が残っていたり,想像していなかった漁村の姿を見ることができ,テンションが爆上がりでした(被害が少なかったんですかね…?)。

写真の住人による川縁の使いこなしもかっこよくないですか?

お勧め3:年稿博物館(@福井県若狭町)

最期のお勧めは4月に訪れた,建築家内藤廣が設計した年稿博物館です!
(”まち”じゃないです笑)

アセット 10@4x

年稿博物館は単純にめちゃくちゃ好きな建築でした笑
雪国の屋根を支える鉄骨トラスの構造体,年稿を想起させるコンクリートの表情,シンプルで美しい外観など,いやほんとに心惹かれました!
でも良かったのは空間だけじゃなくて,プログラムもめっちゃ楽しくて最高でした!学芸員さんもワクワクする説明を丁寧にして下さりました。

多くの人にお勧めの建築です。


場所を経験するまち歩き

こんな感じで色んな場所を訪れて歩いているのですが,『場所の現象学』(エドワード・レルフ)のとある一節を読んだとき,まち歩きに関してふとした疑問が生じました。”観光”に関して述べている一節です。

観光においては,場所に関する個々人の本物の判断は,ほとんどいつも専門家や一般世間の意見に包摂されてしまっており,観光という行為とその手段が,訪れる場所よりも重要になっているからだ。ラスムッセンは,ローマのサンタ・マリア・マジョレ教会を訪れる旅行者について,次のように記している(Rasmussen,1964,p.16)。「・・・彼らは,自分のまわりの環境の特徴にほとんど目を向けない。彼らは単にガイドブックの星の数を確かめ,次の目的地へと急ぐのだ。彼らは場所を経験しない。」

では,場所を経験する観光(まち歩き)って何なのでしょうか
そのまちにしかないカフェでコーヒーを飲んだり,歴史的街並みの残る街道を歩いたり,物干し竿の並ぶ路地にワクワクしたりすることは,場所を経験していることにならないのでしょうか。

僕は現時点で,他のまちで代替不可能な経験を得ることができたとき,それは場所を経験したことと同値であると考えています。簡単な例なら,まちの住人とお話する,とかですね。(「○○体験!!」みたいなのは機能主義的考えで割と代替可能な経験だと思っています。)
他にも,まち歩きを通してまちに思いを馳せることも,代替が不可能な経験だと考えています。歴史ある街道を歩いて,ここに街道が通る理由は何だ?とか考えたり,どういう人が今ここで暮らしているのかなー?とか考えたりすることは,その”まち”を歩いたからこそ生じた思いですよね。

...今思い浮かんだんですけど,まち歩きで僕が考える場所の経験って,
主語は自分じゃなくてまち,っていう感じなのかな?わかんない。

そもそも論,まち歩きに際して場所を経験する必要はあるのか,ということなんですけど,そんなことは決してないと思います笑。やっぱり楽しいのが1番いいなあと思っています。でも建築学生である僕は,設計でも何でもまちへ提案する機会が多いので,場所の経験(他のまちで代替不可能な経験)を大事にしていきたいなあと思っています。

そんなまち歩きの哲学を持っています。(結論)
まち歩きの哲学がある方はぜひ教えて下さいね~!! ^^) 

最後までお読みいただきありがとうございました。

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