『秒速5センチメートル』の感想等々

 『君の名は。』と同じ新海誠監督作品だ。『君の名は。』については言うまでもないだろが、『秒速5センチメートル』についても名前をどこかで聞いた事があるのではないだろうか。というよりも、『君の名は。』がもう3年近く前の事が驚きだったりするのだけども。『秒速5センチメートル』の公開は2007年。2007年ももう10年以上前だ。「年代流行」の2007年を見てみると、色々と思い出す事や「そういう事があったな~」という出来事があるかも知れない。

 内容についてあまり詳しく言及するのは避けるが、3本の短編から成っており、最後の作品がタイトルにある『秒速5センチメートル』だ。
 3本の短編はそれぞれ関連があるので、3本の短編というよりかは3分割されたひとつの作品といった方が適切かもしれない。
 作品の見方は様々あろうが、筆者はナルシストの人間関係の話として見た。主人公の男(遠野貴樹)がナルシストだ。主人公としたのだが、厳密にいうならば3部のそれぞれで主人公として据えられているキャラクターは違う。ただ、全体の筋を通して考えた場合、彼が最も主人公に近い位置に居る事については受け入れられやすいのではないかと思う。
 話を進める前にまず、ここでのナルシストを定義しておきたい。ナルシストの一般的なイメージ、つまり自分がイケメンだと信じて疑わないだとか、自分の能力に絶対の自信があるだとか、こういった人格を指してナルシストと呼んでいる訳ではない。ナルシスト、あるいはナルシズムは自分にしか興味が無い人間を指すに相応しい。他人に興味が無い、あるいは他人への興味が常に自分を通して現れるような思考をする人間がここでのナルシストだ。
 『秒速~』の主人公はあるいは好青年のように映るかも知れないが、注意深く観察すれば、肯定的な見方をすれば自分の事で精一杯、否定的な見方をすればナルシストになる。筆者の立場は後者に近い。
 もし映像を見た後に、話がよくわからない事があるのであれば、おそらく前者のイメージに引きずられていると思う。好青年であるかのように―好青年というよりかは感じの良いというか―見えるのは確かだろうが、よく観察してみてほしい。特に、1部ではよりそのように見える。2部では割とひどい奴、3部では化けの皮が剥がれる、というのが筆者の感想。2部での遠野は客体に置かれているため、人物としての描写は2部では情報量があまり無いが、他人との関わり方を見る分には不足しない。

 2部での主人公(澄田 花苗)は、遠野に対して一方的な好意を秘めているが、遠野の方といえば素っ気ない。これは興味が無い相手に付きまとわれているというような対応でこそないが、相手にさして興味を持っていないから来る素っ気なさだろう。人間を相手にした対応というよりかは、野良猫に対する扱いのように見える。2部単体ならばそこまで文句を言う事はないのだが、前後の関係、特に後の3部の帰結を考慮に含むと上記の見方が出来る。対して、1部をどう評価すべきかは難しい。中学生だし親の転勤だし、舞台設定上携帯もないし、じゃあインターネットもないよね、という訳で連絡を取るどうこうのレベルではないし、このような状況での親の転勤など天災の類に近い。

 3部に目を向けてみれば、おそらくこの3部の展開が話の読み取りを難しくする事に最も貢献しているが、2部と3部の遠野の態度が分かりやすい。1部を含めて良いのかは迷う、つまり小学生や中学生であるという事を考えると全て本人の責任とするのはやや厳しいのではなかろうか。
  2部での態度と3部の遠野の他人への態度は一貫している。自分から働きかけるような事はせず、何もしない。何もしていない訳ではないのだが、ある種の惰性、現状維持以上の事はしていない。遠野のこの態度は発展しない。それに対して、周りの状況は移り変わるので、状況に取り残された感傷的な遠野が残るのみだ。変化のない遠野に対して、特に本命のヒロイン、つまり1部の画面に多く登場し、2部と3部でも一貫して存在感を発揮している篠原明里、彼女には変化がある。この変化が唐突で、本編で示唆される程度でしかないのもわかりにくい原因のひとつだろう。

 1部はさておき、2部の澄田、3部の水野、そしてこれら3部全てで一貫して据えられている篠原の3人に対する扱いは、殆ど同じだ。興味が無い。ある種の一貫した憧れを篠原に対して持ち続けている事は確かだが、これは一種の観念のような物で、実在する篠原明里に対してではなく、自分が作り上げた篠原明里の影に対して向けられている。筆者はこれをナルシズムと呼んでいる。実際の生きた人間に対してではなく、自分が作り上げた偶像に耽溺し、自分の作り上げた偶像としての篠原明里と現実の篠原明里との統一性が失われた事が遠野を困惑させ、崩壊させた。これが物語の結末の描写の理解だ。

 最後になるが、これ以外の見方ももちろん出来る。上記は筆者なりの理解の方法のひとつで、別の場所に焦点を当たれば別の見方も出来るし、そもそもここでは映像や音声については全く触れておらず、プロットを理解するための補助線を用意したつもりでしかない。
 という訳で、自分で実際に観てみて、色々な理解の方法を試してみてもらえると嬉しい。


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