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広義の娯楽性の具体例

 前回に引き続き、具体例を挙げて娯楽性を説明します。今回は、広義の娯楽性についてです。前回の狭義の娯楽性についての説明と同じく、RPGの仕組みを利用しましょう。

 前回の例から引き継いで、我々はダンジョンの中にいるとしましょう。ダンジョンの中での主な思考は、狭義の娯楽性であるというのが前回の内容です。
 さて、ダンジョン中でフロアを移動した時に、パーティーメンバーとの会話が挟まれたとしましょう。ここでなされる会話というのは、音声でもいいし、文章でもいいでしょう。どちらが多いかと問われると、文章の方が多い印象です。ただ、重要な部分では音声、というような使い分けが多くなされているのではないでしょうか。
 このような「キャラクター同士の会話」というのは、広義の娯楽性の一つです。このようなゲームの構造は、ダンジョンの探索という狭義の娯楽性に、広義の娯楽性が割り込むような構造です。
 逆の組み合わせもあるでしょう。逆、というのは広義の娯楽性を主とする構造を持つゲームで、狭義の娯楽性が割り込むようにして現れるような構造を持つゲームの事です。
 具体的に言及すると、ノベルゲームにパズルなどのミニゲームが出現し、そのミニゲームのスコアによって展開が変わったり、特定のスコアを出さねば先に進めない、などの構造です。ここで想定されているミニゲームというのは例えば、STGであるとか、パズルゲームであるとか、トランプであるだとか、早押し対決だとか―あまりいい例ではないのでしょうが―などが挙げられます。

 少しRPGとモンスターの跋扈するダンジョンから離れ、ゲームにまつわる人間関係を広義の娯楽性に含める理由についても触れましょう。正直な話をすると、筆者自身、人間関係をゲームの娯楽性に含めていいのかはよくわからない部分があります。が、広義の娯楽性に含めてしまえば扱いがすっきりするので、娯楽性に含めています。
 含める場合は、このような会話をする登場人物としての生身のプレイヤー、という扱いができるでしょう。つまり、RPGなどに登場する物語の登場人物が、生身の人間としてゲームに配置されている、という見方です。他のプレイヤーが、何かしらの方法でゲームに関与する場合、生身のプレイヤーであってもゲームの娯楽性としての役割を持つ事があります。
 娯楽性とは言っても、必ずしも楽しみに貢献する、という事ではありません。以前の記事で扱った内容と重なる部分もありますが、いわゆる地雷や放置のような存在とは無縁でいられないのです。とはいえ、このような心配はプレイヤーに対してのものだけではない事も確かでしょう。
 ゲームシステムがそもそも出来の悪いような場合が、他のプレイヤーが関与せずに、娯楽性を損ねる場合です。
 とはいえ、プレイヤーの存在をゲームシステムの一部と考える事も出来ますし、ゲームシステムを作った人間の事まで考えると、人間とゲームとを分離して捉える事は難しいでしょう。

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