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ゲームが操作できる範囲

 筆者がゲームに対して思う事を、何回かに分けてつらつらと書いていこうかと思います。ゲームに対して思うところ、というのは具体的なタイトルを想定している訳ではなく、ゲームに一般的な機能を想定しています。ただゲームといっても、ネットゲームのようなゲームの比重が大きくなるかなあ、なんて思ってます。加えて、ゲームのみならず、プレイヤーについても言及するつもりです。
 何回かに分けて、というのは文字通りの意味ですが、特に予定があって続けている訳ではないので、きっちりとしたものではありません。
 分析というよりかは、筆者の感想という面が強いので、疑う気持ちを忘れずに読み進めて下さい。

 今回扱うのは、ゲームの仕組みとゲームの楽しさについて。

筆者の主張をざっくりまとめると…
・運営が操作できるのはゲームのルールだけだという事。そして、ゲームのルールを変更するだけでゲームが面白くなるわけでは必ずしもない、という事。
・さらに付け加えると、不特定多数の相手と利益を共有するようなゲーム(民度に依存するゲーム)に、このような問題は顕著だろう。

となります。以下本文。

 タイトルにあるゲームのプレイヤー同士の関係、というのはいくつか指すものがあろうが、ここでは「ゲームを成立させる関係」というのを取り上げる。ゲームを成立させる関係、というのは対戦なんかで相手役を務めたりするような役割の事。サッカーやるにも22人は要るし、麻雀をやるにしても4人は要る。厳密には、麻雀でも3人でやるスタイルもあるんだけど、それでも自分以外に2人は要る。
 このような場合の21人やら3人の他のプレイヤーというのが、ゲームを成立させる関係だ。

 他の関係の例を挙げると、敵対的関係とかもあるだろう。敵対的、というのは例えばひたすら自分のプレイを邪魔してくるような奴。たまにいるよね。敵対的関係があるなら、友人関係があってもいいだろう。友人関係というのは、一緒にゲームを遊ぶ関係ような関係を想定している。
このようなゲームを成立させる関係に、敵対的関係が紛れ込む場合を考えてみよう。

 プレイヤーがゲームのルールで禁じられている行動をする事は、不可能ではない。
 例えば、勝てなくてムカつくから相手の眉間に飛車投げつける、とか。将棋のルールブックに(将棋にルールブックがあるかはともかく)、「駒を投げつけてはいけません」と書いたところで、親譲りの無鉄砲が直る訳じゃない。
 もう少しわかりやすい例を挙げると、ムカつく奴を敵の目の前に押し出してやったり、隠れてる位置をばらしたり、などの行為。ゲームによっていろいろあるでしょう。
 こういった迷惑行為は、ルールでいくら禁止しても、プレイヤーの意思に依存する問題であるため、やろうと思えばいくらでもできる。というのが筆者の主張です。改札を用意しても、線路からこっそり駅に出入りする事は可能だ。みんなはやっちゃいけないよ。

 プレイヤーの意思ではなく能力的な問題として捉えた場合には、いくらか対策のしようはあるだろう。例えば、ゲームシステムなんかで一定の制限をクリアしたプレイヤーだけが参加できる、というような仕組みだ。
 だが、これにも問題がある。赤点を回避した人間にも、運がよかった人、頭の良い友達の助けを借りた人、カンニングがばれなかった人、テストの点は良いけど人格が破綻している人など、様々な人がいる。
 こうした背景や人間性を、システムで確認する事は無理だ。無理とは言い過ぎかもしれないが、非常に難しい。

 このような見方をネットゲームにも適用する。つまり、ゲームでの迷惑行為は属人的な要素であって、ルール(転じて運営など)によって排除する事が難しいという見方、つまり、地雷の発生はもはや避けられぬ運命なのだ、という見方だ。

プレイヤーの地雷対策

 地雷をゲームシステムで排除する事は、前述の通り難しい。ゲームのシステム、例えば通報機能があるとしても、現実にはプレイヤーのガス抜き程度の事が殆どだろう。傾向としては、あんまり機能していないのではないだろうか。
 特に、不特定多数の参加者が同じ場を共有し、協力してゲームを進行させる必要がある場合には、地雷の存在は致命的にムカつくし、ゲームクリアなどの目標を達成する事が難しくなるだろう。
 プレイしていてムカつく事があるゲームは珍しい存在ではないと思うが、味方が下手だとか邪魔をしてくるなんかが原因でイラつく事は、あまり楽しいイライラじゃない。
 逆に、ゲームが「自分以外全員敵!」のバトルロワイアルのようなシステム採用している場合には、地雷めいた存在に悩まされる事は少ないはずだ。そのような存在は自分の利益になるためだ。

 本当に地雷を除去したいのならば、手作業で除けるしかない。手作業で除けるというのは、人間がいちいち判断するしかないという事。
 GMのような存在が見張るとか、メンバ―をキック(追放)する機能をプレイヤーが使うとか、そもそも参加するメンバーを篩にかけるなどする必要がある。いわゆる固定なんかもこれに含めていいだろう。

 ゲームによってはそもそも、このような「手作業」が困難である場合もある。
 例えば、ゲームシステム上不特定多数の相手とのマッチングを強制されるような場合。運営が地雷を排除するしかないのだが、前述の通りシステムで除去する事は非常に難しい。細かく取り上げはしないのだが、他にも様々な理由があるだろう。
 そのため、このようなタイプのゲームでは、地雷にムカつく頻度が非常に高いだろう。このようなゲームは、参加者の善意に支えられていると言い換えてもいいだろう。つまり、ゲームの完成度(面白さ)が他のプレイヤーの「民度」に依存するゲームだ。

 ゲームのうち、運営が操作できる範囲はゲームシステムしかない。プレイヤーの民度(内面)はどうにもできない。全くできないという事はないのだろうけど、難しいだろう。もっとも、運営がそういう「プレイヤーの教育」みたいな事にあんまり興味がないだけなのかも知れない。そういう情報発信やマナー講座のようなもに積極的な運営というのを、あまり見ない気がする。

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