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娯楽性の推移

 ゲームの娯楽性が、どう移り変わって来たのかについて。何回かに分けて扱う予定。
 さて本題。これはおそらく、狭義から広義へと比重が移ってきている。というのが筆者の意見。
 狭義の娯楽性が比較的優位にあるゲーム、ボードゲームの多くがこれに該当する。トランプなどのカードゲームも該当する。ルールがややこしいとか、そういうのは影響しない。将棋でも、平安大将棋とかなんか駒の数が異様に多く、その分ルール(この場合は駒の動き)も複雑になって然るべきだろうが、狭義の娯楽性が強いゲームとして扱う事になる。

 では広義の娯楽性はというと、これは大体は物語の事だと思って差し支えない。物語というのは神話とかでもいいし、小説でもいいし、漫談でもいい。聖書のような堅い話でもいいし、ギャグ漫画のような軽いものでも良し。
 この広義の娯楽性と狭義の娯楽性のいわばコンビネーションは、以前も取り扱ったのでここでは繰り返さないが、ゲームの幅を広げる事に貢献する。例えていうならば、ただトランプや将棋をするにしても、そのバックグラウンドや、物語による補強がなされると格段に面白さが増す。もちろん、ただ単に物語を付与すればいいという訳ではなくて、そのやり方についても能力が問われるのは間違いない。
 具体例を挙げると、例えば将棋の勝負にしても、ライバルが現れるだとか、全国や世界大会を勝ち抜くという展開で盛り上げるか、地球を救う戦いにするか、など。

 狭義の娯楽性のみでゲームを構成しても、もう誰もやらないようなゲームになるか、少なくともあまり売れるゲームになる事はないのではないだろうか。そういう意味で、多くのゲームは動く絵本ならぬ、「とてもよく動く絵本」というような存在なのではなかろうか。絵本というのはつまり物語が展開される場であって、ゲームもそのような物語を展開する場としての比重が重くなってきているんじゃなかろうか、という事。
 だから良い悪い、といった話ではもちろんないのだけども、ただ純粋に狭義の娯楽性だけのゲームもたぶん飽きるのではなかろうか。飽きるというか、やってて面白いと思う人が少ないのは確実、だと思う。

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