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アート思考

長田 一郎(osada ichiro)

「全ての子供はアーティストである、

問題なのは、どうすれば大人になったときでもアーティストのままでいられるかだ」


この言葉は、名匠画家・ピカソです

私は恥ずかしい話・・・小学校の頃から通信簿の図工はよくて3,大概2でした・・・それは中学校になって美術という科目になっても同様、あまりの苦手(意識)から、高校の授業はほぼ記憶にありません(放棄してました・・・)

つまり元来、美的センスというものがなかったわけですが、ホロ社を起業して以来、創造力や想像力を求められる場面は数多くあり、世界観!という言葉でそれを発揮させるように努めている日々です

意識的に美術館などはよく行くいって色々「見る、視る、観る!」ようにして審美眼を養うように努力はしています。

これはよく見られるシーンだと思いますが、美術館など行くと、作品鑑賞以上にその横に付されている作品解説を見ている時間の方が長い・・・そんな人も多いし、私もややそのひとりかもしれません

なぜ、その解説を見るのか・・・それって、何か「答え合わせ」を求める思考の強い人の自然な心理的行動なのかもしれません

もっと言えば、本能で見ていない・・・理性?で見ている

アートに「答え」などないのだと思いますが、その作者の作品に対する考え、想いに委ねる、ないしは、いつの作品、作者のプロフィールなどのスペックなどを知ることで知識を得ることが目的化してしまうのが、この類の人たちの性です

そしてその類の人は、大人です・・・子供はいません・・・

「13歳からのアート思考」の著者で美術教師でもある末永幸歩氏が著書の中でこんなことを言っていました

まずちょっとこの絵をみてみてください!


これは、モネの「睡蓮」という名作ですがこれを見た時に、下段の解説にまず目が行く人が少なくない(さすがにモネの睡蓮はそうでもないかもしれませんが・・・)


ある4歳の子供が、言ったそうです・・・

「この絵の中にカエルが居たのが見える?」

しかし、見返してみてもカエルの絵は描かれていません

どこにいるの?と問うと

「いま,水にもぐっている」と・・・

氏曰くこれが本来のアート鑑賞だと・・・

この4歳の子は「自分だけのものの見方」で作品をとらえ「この子なりの答え」を手に入れている

この話を読んで改めて、これアートだろうと、学問だろうと、当然、ビジネスであろうと、人生であろうと、一緒だと思いました

そしてこの「自分のものの見方」を持てる人こそが結果を出したり、幸せを手にしたりしているのではないかと思いました

考えてみたら、「自分なりの答え」をつくれない人が、激動する複雑な現実世界や、先の見えない混沌とした未来を迎える中で、何かを生み出していくことが出来るわけもないでしょう

今ネット社会が常態化する中で、色々な他者評価や客観情報が気軽に入手できる中で、何かを選択するのにそれに依存する(例えば、食べログ評価で店を行く店を決めたり、星付店で体験したことそのもので満足を得るなど、、もそのひとつ)・・・つまり選択、決断も「自分だけのものの見方、考え方」が失われている、、、またそのこと自体に気づいていなかったりもする

そんなことを省みてみると、大人の学び、ないしはビジネスの世界においても「アート的なものの考え方」が見直されてくると思います

末永氏曰く

「アートとは上手に絵を描いたり、美しい造形物をつくったり、歴史的な名画の知識やウンチクを語れるようになることではない」

そして次の3つを挙げていました

①「自分だけのモノの見方」で世界を見つめ

②「自分なりの答え」を生み出し

③それによって「新たな問い」を生み出す

まさにアート思考とは、こうした思考プロセスであり作法ということでした

「新たな問い」を生み出す・・・というのはまさに「正解のない時代」に必要な概念だと思います・・・

日本経済のかつて目指す方向は先進国並みの経済成長、ベンチマークは欧米のような生活水準・・・それは資本主義経済の本流・・・という、当時はある意味正解が見えていて目指すゴールが明確でした

しかし、平成の30年の間、バブルが崩壊し、リーマンショックが起こり,9.11のようなテロが起こり、気候変動、自然災害などの大震災が2度も起こり、そしてコロナのような自然共生のバランスが崩れるところから感染症がまん延し、イデオロギーが崩壊するようなウクライナでの戦争が起きる・・・まさに不透明、まさしく「正解のない(わからない)時代」を迎えています

とすると、これまでのように「正解のある問い」に対して、正確に、かつ迅速に答えを導く力はほぼ無意味になっていくわけです

つまり受験勉強的、学校偏差値的な優秀さが無力になっていくということです

「問題を解く」のでなく「問題を問う」

新たな問いを生み出すために必要な力は、「正解を見つける力」ではなく「答えをつくる力」です

さらに言えば、それって「問題に気付く力」ともいえるかもしれません

私、常に思っているのですが、デザインとアートの違いは、前者は「問題解決」後者は「問題提起」・・・なのでデザイナーはクライアントなどから出される問題、課題に対して解決する仕事、アーティストが誰にも頼まれていない・・・パトロンやスポンサーみたいな人はいるかもしれないけど、それはそのアーティストに共感して支援なりをしているわけなので、何をつくるかを指示されるわけでもない・・・つまり自分の眼!(鼻、口、耳、頭、、も)次第!

大概のアーティストは、何かを提起しています・・・アーティスト自身の主張が作品になっているわけで、見た目形状的に美しいものをつくることが目的化されているわけではありません

そう考えるとアーティストは職業というよりも生き様なのではないかと思います!

だとすると誰もがアーティストになりえるともいえます

新たな問いを生み出すためには、自分なりの答え、自分なりのモノの見方が肝心要に必要な資質になります

これはアーティストという人種の人だけの話ではありません、これから生きていく未来人、」次世代の人にとって必要な資質が「アート思考」

ホロ社においても、全社員がこのアート思考を持ちあわせていくことで、強い組織になるかもしれません。

そもそもですが、社名にある「ホロニック」・・・それは自律した個々人の有機的結合・・・

「自律した個」こそアート思考そのものです

まさにしく社名に宿っている思考!・・・

ということでこれからのホロニックの合点を改めて実感しています

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