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生命の大切さについて〜ひよこの雛との出会いから〜

今日、私は、クリスチャンだった頃お世話になっていた素敵な方のご主人が育てているニワトリさんの雛がかえったということで、娘と私の父とその素敵な方(女性)とその方のご主人さんと一緒にニワトリの雛を見てきました

つまり、ひよこちゃんですね!!

可愛いんですよね、黄色いのと黒いのとそのブチになっているのと、色んなヒヨコちゃんが居ました

ひよこの世界でも多様性があるんだなあと感じました

1時間位、お世話になって、帰り際、恐らく、まだ雛になっていないと思われる卵を頂きました

つまり、食べる為の卵ちゃんと思って、家に持って帰りました

料理しようと思い、割ったところ、殻の内側の膜(ゆで卵作ったりすると二層になっている膜)が分厚かったので、まさか、、、と思ったのですが、雛が居ました

最初は、どうして良いか分からず、割っている途中の卵を袋に入れていました

そして、こんな言葉が口をついて居ました

『〇〇(娘の名前)、生まれてくるって、凄いことなの。ひよこちゃんみたいに、生きたくても生きられない。お腹の中で、生きて生まれてこれない事がわかることもある。だから、生きているって、奇跡なんだよ』

しかし、そういって自分の孵化を止めてしまったことを正当化することが正解とは思わなかったので、やはり、袋を見てみようと思って見たところ、モソモソしている様に見えたので、ちゃんと殻から出して、生きている雛なのか確認しようと思いました

確認したところ、拍動を打つ一羽のひなに出逢いました

急いで動物病院に電話し、アドバイスを頂いた通り

『まず、ひなの周りについている血を含む液体を拭き取る』

ということをして居た時、手に触れるひなから伝わる冷たさを痛感しました
続きの保温をする前に、冷たくなってしまっていたのです

ああ、私は、気付けず、一羽のヒナの孵化を妨げてしまった、、、

後悔と懺悔ばかりが頭をよぎっていた矢先

娘が、
『お墓を作る時、〇〇(娘の名前)は、死んじゃったけど、生まれてきてくれて有難うって祈る。』
と言っていました。

その時、私は、娘の徳高さと清さを目の当たりにし、自身を掬う大人の感情達(インサイドヘッドの影響を受けてこの表現を使いました)の暴走に暫く呆然としていました

私は、今日見た、ひよこちゃんの亡骸を、きっと、暫くは忘れないと思います。

しかし、それ以上に、私の側で、
『ひよこちゃん、ガンバレ!!』
と何度も何度も叫び続けていた娘は、一生、このひよこちゃんの生命から教えてもらった、死んじゃったけど生まれてくれて有難うという気持ちを忘れないんだと思います。

どんな出会いにも、時に、自分を苦しめる縁でさえも、『一期一会』、人生の糧となり、軸となるということを学ばせて頂きました。

そして、先程、招待して下さったご婦人に申し訳なかったとメッセージをしたところ、ご返信を頂き、
『ひよこちゃんも、〇〇(娘の名前)ちゃんのところで生まれて来れてよかったと思っていると思います』
という御言葉をもらった時、何故だか、涙が流れました。

ひよこちゃん、我が家という親ニワトリさんに見守られない環境で生まれることを選ばせて御免なさい。それでも、暫く、生きることを諦めなかったあなたの勇姿は、生涯の中で、私と娘が困難に向き合う時、それでも、生きるんだという強い気概を教えてくれるのだと、そして、そうやって拍動して生きていれば、きっと、助けてくれる人が現れるのだという真実を教えてくれるものでした。

地上で生きられなかった分、天国で、穏やかに休めますように。

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