なぜ写真を撮っているのか、どうして写真でなければいけないのか。そんなことを幾度考えても答えは出ず、写真界の先人たちが「その理由を見つけるために写真を撮り続けている」「写真を撮る意味は死ぬまで分からないかもしれない」という言葉を残しているのと同様に、これまでのわたしもそうだったように思う。 中学生になってすぐ、わたしは学校に行けなくなった。しばらく家に引きこもりながらも、心の中では外に出たいという気持ちがあふれていた。そんなとき、一台のフィルムカメラで写真を撮り始めた。 それ
「遺影を撮りたい」 そう話すと、周りの人たちは黙った。 中には、どうして?と関心を持ち聞き返してくれる人もいたが、ほとんどの人は話題を切り替えるか、気まずそうな素振りを見せた。 「どうしてそう暗いことばかり考えるのか」 「不謹慎」 「死をなんとも思わないの?」 「こわい」 そう言われたこともあった。 みんな死にまつわる話しを避けたがり、タブーだと言わんばかりの視線を向ける。 わたしにとっては仕事、将来の目標、関心のある分野、やり甲斐、それと同等に遺影のことを話