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Vol.14「浄土宗」

浄土宗宗歌「月かげ」

月かげの いたらぬさとは なけれども
ながむる人の 心にぞすむ

これは浄土宗の宗祖・法然が詠まれた和歌の代表的な一首で、浄土宗では「宗歌」と位置付けられています。

「月の光が届かない里はないけれど、眺める人の心は澄んでいる」

月影は極楽浄土阿弥陀仏から届く光です。光は誰の身にも届きますが、光指す方向を眺めることによって心まで届きます。

末法思想が蔓延しはじめた鎌倉時代初期。
心の救済を求める庶民のために仏教をわかりやすく説いた法然。
ただ「南無阿弥陀仏」と唱えれば、誰でも極楽浄土に往ける。

法然は民衆に救済を説いた、はじめての人物でした。

称名念仏と観想念仏

浄土宗の開祖・法然は9歳の頃に父を失い、父の遺言で僧になることを決意します。15歳で比叡山に学び、「天台三大部」と呼ばれる『法華玄義(ほっけげんぎ)』、『法華文句』、『摩訶止観(まかしかん)』を三年で読破します。

学問としての仏教に納得がいかない法然は、源信が著した『往生要集』の浄土教思想と、そこに引用されていた善導大師(ぜんどうだいし)の思想に感銘を受け、その教えに傾倒します。

善導大師は中国浄土教の僧で、「称名念仏(しょうみょうねんぶつ)」を確立しました。

称名念仏とは、「南無阿弥陀仏」の名号を称えること。口称念仏ともいい、阿弥陀仏の名を称えて極楽浄土を願います。

これに対して、心の中に仏の姿や功徳を念ずることを観想念仏(かんそうねんぶつ)と言います。極楽浄土の有り様を出来るだけ観想(思い浮かべる)することで、念仏をより効果的にする教えです。観想念仏を代表する著書が源信の『往生要集』で、観想念仏を具現化した建物が平等院鳳凰堂です。

専修念仏(せんじゅねんぶつ)

法然は「南無阿弥陀仏」をひたすら称える専修念仏の教えを説きました。阿弥陀仏の本願を信じて「南無阿弥陀仏」と仏の御名を称えれば、善人、悪人、老若男女、貧富の別なく、すべての衆生を救うと誓われた阿弥陀仏によって、極楽浄土に往生できると教えています。

阿弥陀仏の本願とは、浄土三部経のひとつ、『大無量寿経』に説かれた48願の第18番目の願で、信心を起こし、浄土を生まれようとして念仏する者は、必ずそれを実現させようという内容です。
『念仏往生の願』あるいは『王本願』とも言います。

信じる者は、阿弥陀仏の名を呼べば救われる。
これまでの仏教になかったとても分かりやすい教えは、庶民の間にまたたく間に広がりました。

法然は、関白・九条兼実の要請を受けて「選択本願念仏集」(選択を浄土宗では「せんちゃく」、真宗では「せんじゃく」と読む)を著します。これが浄土宗の根本宗典になり、のちの浄土真宗の宗祖・親鸞に大きな影響を与えます。

念仏以外の修行はしなくてもよい、ただひたすらに念仏を称える専修念仏の教えは、修行を重んじる比叡山や興福寺の僧の批判を浴びます。やがて朝廷を巻き込み、念仏停止(ちょうじ)が宣下され法然とその弟子たちには流罪が言い渡されます。
この時すでに75歳の老齢だった法然は四国へ、弟子の一人だった親鸞は越後へと配流されました。その年のうちに赦免されましたが、帰洛を許されたのは5年後のことでした。そしてその翌年1212年1月25日、弟子たちの念仏に包まれて、頭北面西のお姿で入滅。享年80。

法然の僧としての正式な名前は法然房源空です。親鸞は法然のことを「本師源空」「源空上人」と称し、師事できたことを生涯の喜びと述べています。

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浄土宗の葬儀

浄土宗の葬儀は「阿弥陀仏の救いを信じて“南無阿弥陀仏”と念仏を称える者は、必ず極楽浄土に往生できる」という法然の教えをよりどころにしています。

葬儀の中心となるのは、「授戒」と「下炬」の儀式です。授戒により戒名を授け、仏の弟子とします。下炬(あこ)とは導師が棺の前で松明に火をつけて荼毘(だび)に付す所作を行います。
2本の松明のうち、一方は捨て、残りの1本で円を描き、下炬引導文を述べます。捨てるのは厭離穢土(えんりえど)…この世を離れること、円を描くのは欣求浄土(ごんぐじょうど)…浄土を求めることを意味します。

念仏一会

浄土宗の葬儀の特徴に、導師とともに参列者一同が「南無阿弥陀仏」を繰り返す念仏一会(ねんぶついちえ)があります。
この時、木魚や鉦鼓を叩いて念仏を称えます。また、念仏を十回称えることを十念と言い、導師の「同称十念(どうしょうじゅうねん)」という呼びかけで、全員で「南無阿弥陀仏」を十回称えます。

木魚の叩き方

木魚は江戸時代になってから、黄檗宗(おうばくしゅう)の宗祖・隠元(いんげん)が中国から日本にもたらし、各宗派に広まりました。

木魚を葬儀で使うのは、浄土宗と禅宗、天台宗などです。木魚の叩き方には文字に合わせて叩く頭打ちと、文字と文字の合間に叩く合間打ちとがあり、浄土宗は読経を妨げない合間打ち(裏拍子)が正式です。

突然ですが、ここで問題!
お坊さんがお経の時に木魚を叩くようになった理由は?

①リズムをとるため
②トランス状態になるため
③欲求不満の捌け口
④眠気覚まし

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そもそも、なぜ木魚は魚を模っているのでしょうか?

魚にはまぶたがないので、眠る時も目を開けています。昔、魚は眠らない生き物だと信じられていました。お経を聞いていると、単調なリズムについ眠くなります。そんな時は眠らない魚を見習って、寝る間を惜しんで修行に励めという戒めだそうです。木魚の魚が口にくわえているものは煩悩で、魚の背を叩いて煩悩を吐き出させる意味もあるそうです。

諸説ありますが、正解は④番『眠気覚まし」、ですが、煩悩を吐き出すという意味では③番も正解?

浄土宗の焼香回数

浄土宗の焼香回数は、とくに決まりはありません。一回は「一心不乱」、二回は「定香」と「戒香」、三回は「仏法僧」に帰依するなど
それぞれ意味付けがなされています。

また、線香の本数も決まりはありません。

浄土宗のご本尊

浄土宗のご本尊は、阿弥陀仏(阿弥陀如来)です。浄土宗の阿弥陀如来は、光背が舟形になっています。舟立阿弥陀、舟立弥陀(ふなたてみだ)と呼ばれます。
脇侍は向かって左が法然上人、右が善導大師です。

五重相伝(ごじゅうそうでん)

浄土宗の檀信徒さんで「五重(ごじゅう)を受けた」とおっしゃる方がいらっしゃいます。
五重相伝と言い、浄土宗の念仏の教えを檀信徒に向けて5つの順序に従って伝える法会(ほうえ)を指します。初重から第五重まで、5日間にわたって学びます。

五重相伝を受けた人は、正式な仏弟子になります。念仏の教えを受け取った証に伝巻(血脈)が授与され、法号として誉号(よごう)と戒名が、位号に禅定門、禅定尼が与えられます。
生前に五重を受けられなかった方に対して、近親者が追善のために「贈五重」をすることもあります。

浄土宗の宗派

浄土宗は大きく分けると三つに分派します。

法然やその弟子たちは弾圧を受けて流罪されます。この時に難を逃れた弟子が、法然のすすめにより比叡山で学んでいた証空と、郷里の鎮西(九州)で布教していた弁長です。
それぞれ布教していた地から、証空の流れは「西山(せいざん)派」、弁長の流れは「鎮西(ちんぜい)派」と呼ばれます。

鎮西派
知恩院を総本山とする浄土宗の主流は、鎮西派(鎮西流)と呼ばれます。鎮西派には徳川将軍家の菩提寺で七大本山に数えられる増上(ぞうじょう)寺があります。
江戸幕府によって建立されたお寺には、徳川家の三つ葉葵が寺紋として掲げられています。

西山派
西山派は、さらに三派に分かれます。
粟生光明寺(長岡京市)を総本山とする西山浄土宗
禅林寺(京都市)を総本山とする浄土宗西山禅林寺派。
誓願寺(京都市)を総本山とする浄土宗西山深草派。

西山派は他力本願なのに対し、鎮西派は他力でも善行を積めば自力でも極楽に往生する、その手段のひとつになると教えます。

浄土真宗
法然とともに流罪された親鸞は、法然の教えをさらにつきつめ、真の浄土宗と称します。親鸞自身は「浄土真宗」を名乗ることはなく、親鸞が開いたお寺はひとつもありません。

「信じて念仏を称えると救われる」法然の教えを、「信じた時点で救われる」と発展させた親鸞。

次回はいよいよ、「浄土真宗」についてまとめます。  

タイトルイラスト/Kimura

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