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Vol.19「神道」

八百万の神々

神道(しんとう)は、日本民族の古来の自然信仰が基礎となっています。
八百万(やおよろず)神とは無数の多さを表します。

古事記』を研究した国学者の本居宣長は、「人知を超えた大いなる力をもつ存在」を神の定義とし、自然に宿る霊から偉人まで、いずれも神と称されます。

自然宗教である神道には明確な起源は存在しません。
縄文時代の自然神信仰にはじまり、古墳時代の遺跡に見られるような祭祀が次第に体系化されたため、釈迦やキリストのような創始者はいません。

6世紀の仏教伝来によって独自性が意識され、天武天皇の命により編纂されたのが『古事記(こじき)』と『日本書紀』です。

『古事記』は天皇の血統の正統性を証明するために編纂されました。
日本のはじまりから推古天皇までの皇室の系譜を明らかにし、これによりはじめて天皇が天照大神の子孫として公式に認定されることになりました。

一方の『日本書紀』は、いわば海外向けの国史です。
『古事記』は全3巻で、天皇家の歴史を中心に編纂されているのに対して、『日本書紀』は全30巻+系図1巻で、日本という国家の歴史を中心に
編纂されています。
『古事記』は当時の日本語(大和言葉)で書かれていますが、『日本書紀』は漢文、当時の中国語で書かれていました。

「神の道=神道」という言葉が文献にはじめて登場したのは『日本書紀』ですが、そこでは宗教的儀式や神々を指したものです。現在使われているような宗教の教義の体系として用いられたのは12世紀頃からで、「神道」という用語の概念が確立したのは明治30年以降と考えられています。

神道に経典は存在しませんが、多くの神々の系譜や物語(神話)が収録された『古事記』『日本書紀』は、とても重要視されています。

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文化庁が宗教法人に対して行った宗教統計調査によると、各宗教の信者数は次のようになります。

神道系信者数      9216万人
仏教系信者数      8712万人
キリスト教系信者数   195万人
その他(イスラムなど) 897万人

この調査によれば、仏教よりも神道の信者数が多いという結果が出ています。しかし、日本で行われる葬儀の割合では仏式が94%を占め、神式はわずか2%です。
仏教よりも信者が多いはずの神道なのに、なぜでしょう?

氏神と氏子

家の近くの神社での夏祭り、子どもの頃から楽しみでしたよね。

神道における儀式や神事はすべて「祭り」と称されます。
「たてまつる」を語源とし、本来の意味は神様と人との交流の場として神様をお招きして酒や食事でもてなす饗応(きょうおう)接待をすることでした。

屋外に臨時の祭壇を設けて神様を呼び、祭りが終わると神様は元の場所へと戻る。この「祭りの場」を定着させたのが神社です。

同じ地域の人々が共同で祀る神様を氏神(うじがみ)と言います。同じ氏神の周辺に住み、その神様を信仰するグループを氏子(うじこ)と言います。
各神社がその地域に住む人々を「氏子」としてカウントしているので、信者数が仏教よりも多くなるのです。

赤ちゃんの誕生と健やかな成長を願って「お宮参り」に連れて行きますが、これは新たな氏子の誕生を氏神に報告する神事です。

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神社本庁

神社は全国に約8万社ありますが、その99.6%が神社本庁に加盟しています。「庁」とついていますが、国の機関ではなく数ある宗教法人の一つです。天皇の先祖である皇祖神・天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る伊勢神宮を本宗と仰ぎます。

教派(きょうは)神道

一方、明治維新の前後を通じて、民間信仰から発展した宗教団体が登場します。それらの新宗教は「教派神道」と呼ばれます。

明治時代に公認されたのは「神道教派十三派」と言われました。
その誕生の由来から、次の5つに分類されます。

1.山岳信仰系
富士山信仰の富士講の系譜の実行教、扶桑(ふそう)教、木曽御岳山信仰の御嶽講社の系譜の御嶽(おんたけ)教などがあります。

2.純教祖系
教祖の体験に基づく教えを中心とした宗教団体です。黒住(くろずみ)教金光(こんこう)教、天理教などがこれにあたります。
なお、天理教は「神道ではない」と表面したため、現在は諸教(しょきょう)(神道系、仏教系など特定しない団体)に分類されます。

3.禊系
禊ぎによる心身の鍛錬を強調する宗教団体。
禊(みそぎ)教、神習教など。

4.儒教系
儒教(じゅきょう)とは、古代中国に興った孔子(こうし)の思想に基づく教えです。儒教と復古神道の要素を融合した宗教団体。
神道修成派、神道大成教など。

5.復古神道系
国学、復古神道の影響を強く受けた宗教団体。
出雲大社教、神理教、神道大教など。

現在は主としてこれらの宗教団体の
系譜を引くものを教派神道に分類しています。

神道の「死後の世界」

神道では、人は死後どうなるのか、はっきりと決まっていません。高天原(たかまがはら)に行くという説や、黄泉(よみ)の国へ行くという説。幽世(かくりよ)、幽冥界(ゆうめいかい)といった呼び方もあります。

基本的には「家の神」として子孫を見守る、という意味で、誰もが神様になれます。

神道にとって、死は「穢(けが)れ」です。神社で葬儀を行うことはなく、
葬儀場か自宅で行われます。「穢れ」を「祓(はら)い、浄(きよ)める」これが神道の葬儀の目的の一つです。

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神葬祭

神道の葬儀のことを「神葬祭」と呼びます。
江戸時代は幕府の政策(寺請制度)で、葬儀は仏教式に統一されていました。明治時代になり、神仏分離令が出された年に神葬祭が許可され、戸籍法が改正されます。明治政府は神葬祭を一般化させようとしますが、すでに仏教式の葬儀が定着していたために広まらず、現代に至ります。

現在執り行われる神社神道の葬場祭は、神社本庁『神葬祭の栞』に則って行われます。

仏式の枕経にあたるのが、「枕直(まくらなおし)の儀」です。
あわせて「帰幽報告の儀」も行います。

帰幽(きゆう)とは、人が死ぬとその御霊は現世(うつしよ)から幽世に帰ってゆき、祖先の神々の仲間入りをする、という考えに由来します。

通夜祭」では斎主が祭詞を読み上げ、仏教の位牌にあたる霊璽(れいじ)に御霊(みたま)を移します。「みたまうつし」「遷霊(せんれい)祭」とも言われます。

翌日に「葬場祭」を行い、火葬場では「火葬祭」が行われます。

火葬場から戻ったあと、霊璽(と遺骨)を仮霊舎(かりのまたまや)に安置し、葬儀が終了したことを神に報告する「帰家(きか)祭」を行います。
この時に仏式の初七日にあたる十日祭も合わせて営みます。

十日祭のあとは十日ごとに霊祭を催し、仏式の四十九日にあたる五十日祭をもって忌明けとします。

玉串(たまぐし)

神葬祭では、(さかき)の枝に紙垂(しで)と呼ばれる紙か、もしくは木綿(ゆう)と呼ばれる楮(こうぞ)を原料とした布をつけた、玉串を供えます。

お供えなので米や塩、酒、魚、野菜といった神饌(しんせん)と同じ意味があります。

神饌を乗せる木製の台を三方(さんぼう)と呼びます。
名前は、三つの象眼と呼ばれる穴が空いていることに由来します。

玉串奉奠(ほうてん)の作法は、次の通りです。

① 右手で榊の元(根本)の方を上から、
  左手で先の方を下から支え胸の高さに、
  やや左高に、少し肘を張って持ちます。
② 玉串の先を時計回りに90度回します。
③ 左手を下げて元を持ち、祈念をこめます。
④ 右手を放して、玉串をさらに時計回りに回し、
  玉串の中程を下から支えます。
(神社本庁HP『玉串拝礼の作法』より)

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音を立てて拍手することを柏手(かしわで)といいますが、神葬祭では音を立てないしのび手を用います。拍手の音を響かせないように注意しましょう。

玉串を置く台を玉串案と呼びます。
玉串を置いたあと、二礼、しのび手で二拍手、一礼をします。
この作法は明治時代に発行された『神社祭式行事作法』の中で制定されました。

銘旗(めいき)

神葬祭では御霊が霊璽に移された瞬間から、故人は神様となります。
神となった故人には諡名(おくりな)が贈られます。
生前の名前に続けて、男性には大人(うし)や(みこと)、女性には刀自(とじ)や姫命(ひめみこと)などを付けて呼ばれるようになります。

故人の氏名、諡名を記した銘旗(めいき)を祭壇の横に飾り、出棺の際に柩の上に載せます。

祝詞(のりと)

仏式では僧侶がお経をあげます。お経は、お釈迦様の言葉をまとめたものです。

対して神道では、祝詞を上げます。祝詞は、神々への感謝や願いを告げる、いわば神との対話の手段です。言葉そのものに魂が宿る『言霊(ことだま)信仰』が根底にあります。

葬場祭で読まれる祝詞には、みたまうつしの遷霊祭詞や、祓詞(はらいことば)などがあります。また、葬場祭で読まれる祝詞には故人の経歴や家族構成などが読まれるため、事前に経歴を確認しておく必要があります。

幣(ぬさ)

お祓いで神職が参拝者に振るう白い紙垂の付いた木の棒を幣(ぬさ)、または御幣(ごへい)と呼びます。紙垂は神の息吹である風をあらわし、幣は神の依代となって穢れを清めます。

三種の神器

「三種の神器」と言えば、天皇家に代々伝わる皇位を表す宝物です。

「八咫鏡(やたのかがみ)」
「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」
「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」

これらは全て、天照大神に捧げられた物です。
現在、八咫鏡は伊勢神宮に、草薙剣は熱田神宮(愛知県)に、八尺瓊勾玉は皇居内に祀られていますが、昔から「見てはいけないもの」とされ、皇族ですら本物を見たことがないと言われています。

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三種の神器は、神葬祭でも装飾品として使用されます。
祭壇に向かって右には鏡と勾玉、左には剣を飾ります。
右鏡左剣(うきょうさけん)」と言います。

「神道」は宗教ではない?

神道を「日本古来の宗教」と捉える方がいますが、ほかの宗教と明らかに違う点があります。

それは、「教祖(開祖)」「経典」「教義(戒律)」が存在しないことです。

教祖とは、宗教を開いた人物です。
キリスト教で言えばイエス・キリスト。仏教ではお釈迦様。

イエス・キリストの言行をまとめた経典が『旧約聖書』や『新約聖書』で、聖書の内容に準じて教義が定められています。仏教でもお釈迦様の教えが経典として現代に伝えられ、僧侶は戒律を守って生活をしています。

ところが、神道にはこの3つの要素がありません。
神様の子孫である古代の天皇は、神道を主催する祭祀王として君臨しましたが、神道を束ねる教祖という存在ではありません。

『古事記』や『日本書紀』はあくまでも歴史書であり、聖書のように教義は記載されていません。神道には、厳格な教えは存在しないのです。

神道には八百万の神が存在しますが、仏教の仏も八百万の神が増えただけだと素直に受け入れることが出来ました。キリスト教も然り、こうした他者を排斥しない寛容性があったからこそ、日本古来の文化として根付いたのかも知れません。

表紙イラスト きむら

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