見出し画像

7/14~ 最近見たもの聞いたもの

シャニマスのコミュの感想をみんなで話すnoteに参加しています。
語りのdestination。

このnoteには以下のコンテンツのネタバレが含まれるかもしれません。

ルックバック(映画)

ヨーロッパへの旅に出発した数日後に公開が始まり、早く見たいよ〜〜〜と思い続けていたのをやっと見に行けた。
よかった〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

なんか見てる間ずっと泣き続けてしまうんじゃないかと思っていたのだが、そんなことはなかった。
「うれしーーーーーーーーーーー………………。」だった。ずっと。
立派に成長した親戚の子供でも見てる気分だよ。大きくなったねえ。

ただなんか原作が好きすぎるがゆえの「違うな」は感じてしまっていたような気がする。
たぶん、スピードだ。
僕が藤本タツキのマンガから感じとっているスピードってたぶんもっともっと早い。
半分の30分に収まるような構成で作られていたら、僕にとって最高なアニメ化だったかもしれない。鉄砲水をぶつけられるような密度と速度だったら。
でもこれはしょうがないよな。マンガから感じられるスピード感って読む人によっても違うだろうし。そもそも30分で作られていたら劇場アニメにはならなかっただろう。

まあそんなことを言いつつも、「うれしーーーーーーーーーー………………。」がほとんどだ。本当にありがとう……。
2人が映画館で見てたの、さよなら絵梨だったよね。
同じチームでさよなら絵梨も作って、劇中でルックバックを流してほしい。
ほんと、頼みますよ。

からを示らせる / 中風森滋

中風さんの絵、かわいくて好きなんだ。
なんか以前見た時よりも線がイキイキとしている気がする。
生で見ると本当にいいですよ。線が生きている。

線が生きているってなんなんだろう。それこそ同日に見たルックバックも「線が生きていた」。
ただ色が細長く繋がっているものに命を感じるのって不思議ですね。
「リズム」か?リズムなのかもしれない。線に残っているリズムが感じ取れて、自分のリズムとの共振を感じられると生きていると感じるんじゃないだろうか。

中風さんと久しぶりに会えたのも良かった。以前バイトでたまに一緒になっていた顔見知りくらいの関係だけど。
これもまあ当たり前だけど、作家の話を聞きながら作品を見るとより面白い。
今回の作品のほとんどはキャンバス地を裏表逆に張っていて、それによって油絵具が早く染み込んで色が混ざらずに層になるらしい。面白い。そんな話を聞くことで、自分の見る目にも変化が起きて絵が多層的に見えてくる。

ドローイングを一枚購入した。嬉しい。

売れっ子漫画家×うつ病漫画家

最近、自分は酒があまり合わない体質で良かった〜と思ったりする。
そもそも20歳を超えてもしばらくの間酒を飲まなかったのは、酒に呑まれるのが怖かったからだ。
自分は何かに依存しがちな人間だという自覚がある。酒にどっぷり呑まれたら終わりだから、そもそも酒を知りたくないと思っていた。

なんかいつの間にか1〜2杯くらいは飲むようになっていて、でもその先に進む気にならないのは、気持ち良くなったりするより先になんか身体の節々が痛くなったりするからだ。
もし一度その先まで進んで、その状態を心地よく感じてしまったら、戻れないだろう。だから知りたくない。

酒は怖い。のめり込むときっとその先に孤独があるから。
どうせ依存するなら人がいい。
依存する先が人だったら、その先に破滅が待っていたとしてもきっと独りじゃないから。
誰か、僕と共依存の関係になりませんか。

君のことが大大大大大好きな100人の彼女 182話

最近読んでなかったんだけど、なんか評判が良かったので最新話だけ読んだ。
良い〜〜〜。

ルックバックを見たばかりだったこともあって、自分の中で勝手に繋がった。
最後の煽り文に書いてある「誰かの物語(じょうねつ)が、誰かの物語(ぜつぼう)を救っていく」というのも、かなりルックバックで描かれていることと近しい。

ピエール手塚さんのルックバック評を思い出したりもしていた。
「物語は現実を改変することなどできない。無力である。」そりゃあそうだよ。ただの絵空事なんだから。
でも、心なんていうどこにあるのかもわからない目に見えないものに作用することはできる。心の向きを変えさせ、身体の向きを変えさせることはできる。
これからの現実を変えることはできる。物語には力がある。描く人から伝わってくる力が。
僕は希望の話だと思いますよ。ルックバックも、100カノ182話も。

惑星地球 -1.3 / 劇団狼少年

以前「曖昧な楽園」で共演した奥津裕也さん、文ノ綾さんなどが出演している舞台を見にいった。

スゴかったな〜。ボロボロ泣いた。
舞台って感情がなんのフィルターもなくぶつかってくるので全部受けてしまう。なんなら良すぎて疲れた。
舞台俳優ってあんな、本来であれば人間が一生のうちにほんの数回しか体感しないであろう大きすぎる心の動きを短期間に何回も身体に宿したりして、早死にするんじゃないだろうか。
もちろん練度の高い役者であれば役にかかる心の負担を演技後に自分から切り離す技術も備えているだろうけれども、にしたってゼロにはできないと思うんだよな。
そんな心配をしてしまうくらいすごかった。

自分も今役者をやっているが映像作品ばかりに関わっていて舞台の経験はない。映像だと舞台のように毎日毎日本番を繰り返すようなこともない。
舞台に参加してみたいと言う気持ちもあるっちゃあるが、今回のようなものを見てしまうとちょっと怖くなる。

問題を抱えた場所に不思議な何かがやってきてそれをきっかけにみんなの絡まった心が解けていく、という構造自体はよくあるものだが、それが子供だったり小動物だったりじゃなくておばあちゃんっていうのは面白かったな。
おばあちゃんだったら急に現れて不思議な言動をしても受け入れられやすいという発見。

ところで終盤のあの場面はなんだったんだろう。あれもまた迫力がすごかったが、「今!何が起こっているんだ!?!?!?」という困惑が大きかった。
ただ、あれがあったことによって今回の舞台が忘れられないものになったという気がしないでもない。

BLUE GIANT MOMENTUM

青いね〜〜〜。

やっぱライバル的な存在が登場すると停滞感のあった空気がキュッと締まる気がするね。

停滞している(ように見える)時間もしっかり描いてくれるのが嬉しい。ような。
さざなみがおこっている。
さざなみが大波を連れてくる。

シンバル職人の仕事をじっくり描いてる話も好きだな。
シンバルの音に説得力があるのすごい。マンガだから音なんてないのに。

ジョーが心配だ。アイツ急にぶっ倒れたりするんじゃないか。