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セミオくん、FOREVER!ドラマ『セミオトコ』感想


山田涼介さんファンの、布教活動の的確さに慄いている。

「燃えよ剣」で山田さんを知り、彼の別の出演作を観てみたいと思うものの何を観れば良いのか迷子だった私に、親切なファンの方がセレクトしてくださった作品すべてが最高に突き刺さった。その精度の高さときたら、長年の相互フォロワーだっただろうか?と訝しんでしまうほど。

さらに、その作品の感想を記したnote記事、「『燃えよ剣』で山田涼介さんを知った私が、オススメいただいた作品を観てみた」には、「セミオトコ」もオススメ、という趣旨のコメントをいくつもいただいた。なんと、可愛くて儚くて美しくて、癒されて感動する山田涼介さんが観れるのだという。しかもTVerで。そんな上手い話があるのか。

需要と供給が一致しすぎており、布教というより、なにかの薬を処方されてるような光景が脳内に広がった。「儚い美青年を愛してやまない症状には、コレ」と的確に、私のツボを押す作品を教えてくださる凄腕の薬剤師達。早速、視聴してみることにした。


◆山田涼介さんだからこそ成立しえた、セミオのキャラクター


セミオトコ。タイトルが異様である。

蝉男。漢字に変換すると、怪人的な風情が出てくる。いったいどういう意味のタイトルなんだろう、と思いながら視聴開始数分経過。

「比喩ではなく本当にセミの話だ…」と驚愕。

セミといえばアレだ、あの気持ち悪い蛇腹の胴体と六本の脚。凶暴なほど煩い鳴き声。夏の終わりには「セミファイナル」に怯える毎日。あまり良いイメージがない。

「たとえセミになっても山田さんは可愛いよ〜!」という気持ちと、とはいえ脳内にチラつくグロテスクな昆虫への恐怖との狭間で反復横跳び。推しがセミになるドラマと聞いた時、いったいファンの皆様はどれほどびっくりしただろう。

わざわざ可愛らしいアニメーションで心理的ショックを緩和してまで山田さんをセミにしたいという製作陣のその執念、どこから湧いて出るんだ?って正直、はじめは思いました。思いましたけど8話まで完走して今、心底、これはセミと人間の話でなくてはならなかったと思っているし、なんなら彼がセミだったからこそ、とんでもなくウルトラキュートかつハイパーせつない山田涼介さんを観ることができたと思いませんか?!! 


セミオは、現実世界に疲弊した擦れた「人間」とは違って、生きることの素晴らしさを目一杯に感じている「セミ」である。人間の姿をしているけれども人間とは異なる価値観を持っており、その純粋無垢な在り方がおかゆさんのみならず、うつせみ荘の住人達の心を次第に溶かしていく。

そんな現実離れした設定のセミオを見事に表現してみせたのが、山田涼介さんだ。

彼がおかゆさんの理想の王子様に相応しい、飛び抜けて美しい容貌の持ち主であることは今更言うまでもない。私がここで力一杯主張したいのは、セミオのあまりにも無垢な可愛らしさについてである。

魂に!!!なにひとつ穢れがない!!!洗剤の広告に出てくる白Tシャツより清らかな、眩しい笑顔!!アルプスの天然水より澄んだ瞳!!ずっと可愛い!!もう、ずーーーっと、毎秒、特筆すべき可愛さ!!可愛いの過剰摂取!!!!

この世界で生きられることを心の底から楽しんでおり、見るもの聞くものを純粋な心で受け止め、喜びも愛も素直に伝えるセミオという生き物を、これほどまでに嘘のない演技で表現することができるなんて、驚異的だと思った。

「この世界はなんて素晴らしいんだ!」って感動したり、「やったーー!」って両手をあげて喜んだり、「ねっ」ってかわいらしく首を傾げたり、「はいっ」ってお行儀よく元気にお返事したり、大好きなメープルシロップを両手持ちでゴクゴクしたり、メープルシロップ取られそうになって、むうってむくれてみたり。そういう、普通の大人がやったら「なんだコイツ」と醒めるような言動ひとつひとつに、まったく違和感がない。邪気がない。可愛さしかない。この世には多くの素晴らしい役者がいるが、ここまで魂に穢れのない可愛らしさに全振りした演技ができる役者って、そうそういないんじゃないかと思う。役と役者本人の性格に相関性を見出しすぎるのはあまり良くないことなんだけど、でも本当に山田さん本人も魂の美しい人だからセミオをここまで純粋無垢な存在として演じられたんじゃないだろうかと言いたくなるような、それくらいの説得力だった。

そもそも知らない男(の姿をしたもの)が突然女主人公の家に転がり込んできて7日間一緒に過ごす、というシナリオをファンタジーの世界の中で描くって、なかなか難しい。男と女の距離感を間違えると一気に生々しくなってしまうリスクがある。しかし山田さんのセミオは、彼の生まれ持った美貌と煌めきの効果に加え、いい意味で上手く"オス"感が脱色されており、ファンタジックな世界観のなかにしっかりと馴染んでいる。というか、一人だけファンタジーのヴェールを二重に被ってるんじゃないかと思うくらい、現実離れした可愛さで脳が混乱した。頭に木の葉つけてる天使なセミオとか、生きてていいんだよってふんわり抱きしめてくるセミオとか、生きてる役者が演じてるとは思えないくらいだった。二次元よりも二次元的、少女漫画より少女漫画的、それが山田さんのセミオである。

思えば『燃えよ剣』はじめこれまで観てきた5作品にも可愛い役はいくつもあったけれど、しかし無垢な魂の美しさがこれでもかというほど光り輝いているセミオは、そのどれとも可愛さのニュアンスが違う。役柄によって、自分の持ち味をきちんと微調整できるタイプの役者さんなのだな、と唸っている。

さらにストーリーの後半では、可愛さ一辺倒ではない、さまざまな表情を見せてくれる。

胸が痛むような、せつない恋をしている顔。

寿命が近づき、身体に異変を感じて苦しむ顔。

死への恐怖に震える泣き顔。

そして最終回、おかゆさんとの別れの苦しみも悲しみも、全部飲み込んだ笑顔。

生きるって、楽しいことだけじゃない。悲しい別れもある。まるで生まれたての人間の子どもが成長して大人になっていくみたいに、晴天のような、澄んだ明るい表情しかなかったセミオに、黄昏のような表情のバリエーションが増えていく。7日間の中でのセミオの繊細な変化も、このドラマの一つの見どころだった。

(病気の役をいくつも観てきたせいで、心臓を押さえて苦しんだり、急に身体から力が抜けて倒れ込んだりするセミオを観ると、悲しい気持ちになりつつも、よっ、待ってました!ってブチ上がってしまうのおかしいよな。でもやっぱおフクロの味といいますか、死の影を纏う儚い山田さんが大大大好き〜!)

「信じるわけです、無理めな設定も」

このおかゆさんのセリフ、同じく妄想ばかりして生きているオタクの私は共感性羞恥で爆発四散してしまったのだが(絶対に私も、家にセミオが来たら異世界と転生と記憶喪失を疑う)、山田涼介さんがセミオを演じたからこそ、「無理めな設定」を「秀逸な設定」として受け入れることができたのではないかと思っている。


◆他の誰でもなく、「私」が生きる意味


大川由香さん、27歳独身。幼い頃から友達も恋人もいない、家族ともわかりあえない、仕事に張り合いがあるわけでもない。同僚から「何のために生きてんの?」とまで言われる始末。孤独な生活を淡々と送っている。生きている意味なんて見出せないが、積極的に死にたいわけでもない。

彼女の半生は非常に誇張されて描かれているが、彼女の抱える苦悩は何も特別なものじゃない。誰しもが一度は考えたことがあるだろう。「私」がこの世に生きていることに、どんな意味があるのだろうか、と。


たとえば「私」がこの世からふっと消えてしまったとして、気づいてくれる人はいるのだろうか。悲しんでくれる人はいるのだろうか。いなくなった後も覚えていてくれる人はいるのだろうか。


世に名を残すような仕事を成し遂げられるわけでもなく。

誰にも負けない得意分野があるわけでもなく。

誰かに一番に愛されているわけでもない。


それじゃあ、「私」が生きる意味、ないんじゃない?死んでいることとなにも変わりがないんじゃない?「私」がいなくなっても、世界は変わらず回り続けるんじゃない?


そんな寂しい気持ちに、ひとつでも思い当たる節が誰でもあるんじゃないかと思う。少なくとも私は、ある。


おかゆさんは長年そのような孤独を拗らせ、自らに負のレッテルを貼り続けてきた。悲しいことも悔しいことも嫌なことも、嬉しいことも楽しいことも全部全部自分の中に閉じ込めて、存在を消して生きてきた。

そんなおかゆさんが、真夏の7日間、その生を高らかに歌い上げるセミと出会ったのはまさに運命であり、その対比は本作における"肝"の部分でもある。


おかゆさんがセミオに出会ってまずお願いしたことは、自分の存在そのものを肯定してもらうことだった。

「生きてて良いんだよって言って」

なんて大袈裟なヤツだ、と笑うことは私にはできなかった。家族とか、学校のクラスとか、部活とか、バイト先とか、職場とか、どんな集団においても「ここに自分の居場所はない」という感覚ほど、自分を萎縮させるものはない。声を発することも、笑顔でいることもできない。自分で自分を罰し続けることしかできない。

おかゆさんが一番欲しかった言葉を与え、常におかゆさんを肯定し、受け止め、他の誰でもなく「あなた」を幸せにしたいのだと伝え続けるセミオの存在はどれほど、彼女の心の支えになっただろうか。「わたしに会いたいなんて人、今までいなかった」というおかゆさんに、「います。ここに、います」とセミオが伝えてあげるシーンなどは特に印象深かった。

この世界に自分の居場所がちゃんと存在している、そう思えるようになったおかゆさんは、どんどんいろんな感情を解放していく。いつの間にか大きな声が出るようになって、仕事に積極的になる。初めての恋、初めての嫉妬、初めてのキス、初めてのデート。初めての経験をたくさん積み重ねていく。

すると1話の時点ではぞっとするほど見た目も性格も悲惨なかんじがしたおかゆさんが、どんどん生き生きとしてくる。

新しい顔をたくさん見せてくれるようになった彼女の成長を最も感じられらた部分は、誰かを愛せるようになったところ。

かつてのおかゆさんは、とにかく誰かに愛されることを欲していたように思える。

誰か私を見て、話して、話を聞いて。

彼女の頭のなかは自分のことでいっぱいで、でも誰も自分に構ってくれないから妄想の世界に閉じこもる。彼女の心は世界に向かって開かれず、誰かを思い遣る暇もない。

だけどセミオと出会ってからのおかゆさんは、心の扉を外の世界に対して開いていく。すると、普段の自分の働きぶりをちゃんと見ていてくれた人がいることを知る。家族だって、伝え方は不器用だったけど、娘に幸せになって欲しいと願い続けていた。

自分は存在していないも同然だったのではない、自分を見ていてくれる人の存在に無関心だっただけだったのだ。おかゆさんは、きっととっくに、誰かに愛されて生きてきた。だってひとは決して、一人では生きていけないのだから。

それに気づけた彼女は次第に職場やうつせみ荘のみんなに関心を持ち始め、自分が与えられた優しさを、今度は他人に与えていく。例えば、他人から与えられるぬくもりに慣れていない1話時点でのおかゆさん。セミオに抱きしめられながら抱きしめ返せない、グーの拳が切なくて印象的だった。それがいつのまにか、悲しんだり怖がったりするセミオを自然に抱きしめてあげられるようになっている。

「自分の元からセミオがいなくなってもいいから、セミオには生きていて欲しい」と言えたことも、飛躍的な成長だと思う。彼女にとって、自分の幸せよりセミオの幸せの方がいつのまにか大事になっていたのだ。


ひと、というのは不思議なもので、心の扉が開かれたひとの周りには、自然とひとが集まってくる。おかゆさんにも、同じことが言えるだろう。

ドンマイです、の微妙にイラつく間違った使い方とか、

「恋をする人達は、この嫉妬という感情に日々向き合う戦士、勝者というわけですね!」

「母性本能と娘本能のバランスといいますか……」

などに代表される、こいつ何言ってんだ??!!という気持ちにさせられる天才的ワードの数々など、自分の想いや感情を表現するおかゆさんは時に、どこかズレててちょっとうざい。だけど、昔のおかゆさんよりよほど可愛らしいし、友達になりたいなと思う。何より、おかゆさんのオモシロ語彙力と妄想力は絶対オタク業に向いてるからなにか好きなコンテンツを早く見つけることをオススメする。まぁ、セミオという絶対的な推しがいたら、なかなか難しいとは思いますけど……


おかゆさんを見ていると、誰かに愛してもらえることって、こんなにも強いものなんだな、ってしみじみとしてくる。愛してくれるってつまり、この世には「私」が生きる意味があるって伝えてくれるって意味だから。

世に名を残すような仕事を成し遂げられなくても。

誰にも負けない得意分野がなくても。

「私」が世界からいなくなったら、悲しむ誰かがいる。

セミオがいなくなったらおかゆさんは死んでしまうのではないか。そう危惧したうつせみ荘の皆は、彼女を励まそうと百徳着物を作り上げる。そこにはまさに、おかゆさんが愛されて生きている証と、この世に生きていてほしいという願いが凝縮されている。百徳着物の背の部分には、魔物が入り込まぬようにと背守りを縫い付けるものもあるのだそう。おかゆさんへの着物にも、背の部分に蝉柄の着物が縫い込まれており、御守りの役目を果たしているのだろう。

おかゆさんはあの白い贈り物(ある意味セミオくんとのウェディングドレスだな、と思った)を目にして、これまで自分と関わってきた人々の多さと、想いの深さに驚いただろうか。


物語の冒頭に、「生きてて良いんだよって言って」と、生きることへの許しをお願いをしたおかゆさん。もう彼女にはそんな免罪符は必要ない。最終回にセミオからおかゆさんに贈られたのは、愛と感謝の言葉だった。


「この世界に意味のないものなんてない」

「ありがとう、この世界にいてくれて。僕と出会ってくれて」 


他の誰でもない、「私」がこの世に生きる意味はある。

確かに、あるのだ。


「セミオトコ」は、人間の姿を借りたセミの7日間の物語であると同時に、死んでいるも同然だった主人公が自分の人生を送れるようになり、人間らしくなっていく7日間の物語でもあったのだろう。



◆生き続けることを肯定する、真摯な人生応援ドラマ


実は「セミオトコ」を観ている時期、仕事が人生でも屈指のレベルに入るほど忙しかった。

大量の業務に追われ、殺意を覚えながら連日深夜に帰宅する。コンビニ飯をかきこみ、TVerを立ち上げ、「セミオトコ」を再生。セミオの可愛いさに全身骨抜きになり、身体がぐでんぐでんになる。時折、とてつもない可愛さに耐えきれず奇声をあげたり布団の上で暴れたりする。するといつの間にか疲労困憊していたはずの脳が元気になってくるのである。

思うに「セミオトコ」、脳内に多幸感を与えるホルモンが分泌される、精神的な疲れが回復する、などの効能があるのではないか。「セミオトコ」の視聴はれっきとした医療行為というわけだ!!

だがこのドラマ、たんにセミオの可愛らしさで人の心を癒すに止まらず、真摯に生きることを応援してくれるところが、非常に魅力的でもある。


「おかゆさんを、幸せに生きていける人にしたかった」

私はセミオのこのセリフが、本作の中でも1,2位を争うほど大好きだ。

人生には山もあれば谷もある。永遠に順風満帆なんてあり得ないし、セミオの言うように「世界は優しいことばかりじゃない」。セミオがいなくなった後もおかゆさんの人生は続いていく。むしろセミオのいない時間の方が、遥かに長い。

「人間は毎日毎日、生きることを選んでいる。それは偉い事なんだ」

セミオはおかゆさんに、"頑張れ"ではなく、"あなたは毎日頑張っている"、"生きている、それ自体が既に素晴らしい"というメッセージを送っている。

セミオは初めから、自分がいなくなった後のことを考えながら、一心に彼女を肯定し、愛を伝え続けていたのだろう。自分がいなくなっても、おかゆさんが自分自身を好きでいられるように。自分を支えてくれる人々を愛し、また愛されて生きられるように。セミオがいなくなった日々をおかゆさんがなんとか幸せにいきていけたのは、悲しいことも挫折もなかったからじゃない。悲しみや挫折から自分の力で立ち直り、セミオに愛してもらった命を大切にして、なんとか生きていこうとできたから。その強さこそ、セミオの与えたもの、セミオの遺したものである。

7日しか外の世界で生きられない、ときにはその寿命を全うすることすらできないセミオにとって、愛するおかゆさんが何年も生き続けてくれることほど、幸せなことはない。だからこそ、普段あんなに優しいセミオは強い口調で、死のうとしているおかゆさんを「許しません」と叱ったのである。なんてせつない、そしてとてつもなく深い愛情なんだろう。「セミオトコ」は、おかゆさんとセミオの7日間のドラマであることはもちろん、セミオを喪っても生き続けるおかゆさんのための7日間のドラマ、と言っても過言ではない。


ではおかゆさんばかりが山あり谷ありの人生を送ってきたのかというと、実はそうではない。個性豊かなうつせみ荘のみんなも、それぞれに喪失を抱いていた(美奈子ちゃんの立ち位置については後述)。

弟を喪い、外に出られなくなってしまったくぎこさんとねじこさん。

医者として多くの救えない命と向き合ってきた小川さん。

生まれたばかりの息子が死んでしまった岩本夫妻。

そんな彼らがセミオと出会うことで自身のトラウマと対峙し、前向きに、自分達らしく生きられるようになっていく。

うつせみ荘のみんなのユーモアに溢れる会話や、悲しいことがあっても笑いに変えていこうとする雰囲気が、私は大好きだった。お笑い、に「お」がつく理由のシーンや、おかゆさんがいつのまにか破天荒な両親を笑いのネタにできたシーンでも感じたのだが、笑いはやはり、苦しみを乗り越える大きな武器になる。大好きな仲間達と手を取り合い、笑い合っていれば、いずれ苦しみは過去のものとなり、心の傷の上には瘡蓋ができる。


本作はとてもハートフルでファンタジックな世界観のドラマだが、シビアな現実からは目を逸らさない。つらいことがあっても、苦しいことがあっても、それでもなんとか生きているのはおかゆさんやうつせみ荘のみんなだけではない。このドラマを観ているひとりひとりでもあるのだということを、しっかりと認識して作品がつくられている。

例えばドラマの中でセミオは、優しい癒し声で「いってらっしゃい」「お疲れ様」をきちんと言ってくれる。あの声は、おかゆさんに向けたセリフであると同時に、毎日、学校や仕事や育児などを頑張っている視聴者にも向けられたものだと捉えている。実際、日々セミオの「いってらっしゃい」「お疲れ様」を脳内に響かせながら一日を始め、そして終えた視聴者がきっとたくさんいるはずだ。あのボイス、グッズにして全人類に配布した方がいい。救われる命があります。

特に印象的だったのは、セミオを必要としている人は私のほかにもたくさんいる、というおかゆさんへの、セミオの返答だ。

「その人達のもとには、それぞれのセミオがいます」

この発言、ちょっとメタ的な要素も含まれており、ドラマの世界と現実世界をシームレスに繋ぎ合わせる手腕に、ちょっと鳥肌がたってしまった。

つまり、このドラマのメインの視聴者層が山田涼介さんのファンであることを考えると、おかゆさんがセミオに救われているように、ドラマの視聴者にもまた、日々の疲れを癒やし、苦しみのなかでも奮い立たせてくれる存在がいますよね、それって山田涼介さんですよね、という意味なのだ。(もちろん、山田涼介さん、以外にもそれぞれ視聴者の救いに置き換えて観ることができる)

ここにきて、セミオと同じ顔をした山田涼介さんが現実世界にちゃんと生きているということに、無限の尊みを感じてくるのである。たとえ「セミオトコ」が終わっても、セミオがおかゆさんの元から消えてしまっても、私達には山田涼介さんがいる!!山田涼介さんがいるだ!!!この世界はなんっっって、素晴らしいんだ!!!

(おかゆさんだけのセミオ、というセリフにめちゃくちゃキュンキュンしつつ、やっぱセミオくんもみんなでシェアしようや〜〜とは思いました笑 


涙でベショベショになりながらセミオと別れ、このままほろ苦くドラマが終わるかと思われた最終回。しかし最後にはハッピーエンドが待っていた。

これから7年周期で、おかゆさんのもとにセミオは現れるのだろうか。そしてめいっぱいの愛と幸せを届けて、去っていく。

まるで、人生みたいだなって思う。人生は、山あり谷あり。楽しいことの後にはつらいことが待っている。でも、人生はつらいことばかりじゃない。その後には、必ず幸せなことも待っている。

6年後に現れたセミオは、困難を乗り越えた人のもとに現れる、幸せの形をしているように見えた。



◆「セミオトコ」のココも好き!15選


1.「こんなに美しい人を死なさなかったなんて、 人として偉い!」←ほんとそれ 

「どうしてそんなに可愛い顔をなさるんですか?!」←ほんとそれ

「美しくて可愛い、最強っすね」←ほんとそれ

「いいわねえ、綺麗な男の子はなにやっても様になって」←ほんっっっっと、それ!!!

脚本家の方は山田涼介さんのファンとかなんですかね。セミオくんへの目線に親近感を覚えるセリフが、めちゃくちゃ多い。

あんな美しいお顔の俳優に、「なんて美しい生き物なんだ」って曇りなきキラキラ眼で言わせるあたりとか、絶対わざとやろ!!「いや山田さんの方が百万倍美しいです!!」って視聴者のツッコミ待ちやろ!!


2.おかゆさんの部屋に貼られた弁当ポスターの文言、「食べるより食べられたい マジです!」に深読みが止まらなくて夜も眠れない。


3.今更なんだが、山田さん、めちゃ肌、白くない??とぅるっとぅるのぴかぴかの陶器肌じゃない?!!山田涼介さんは"自発光"している、と最近学んだんですが、なるほどこれか〜!と深く納得しました。

「母さん、俺は大丈夫」のときも美白だなとは思ったけど、当時の感想に私、「明るいライティングだからなのか、髪色が似合っているからなのかわからないけど、ともかく色白艶肌美少年の極み」などと書いていた。いや違うよおばかっ!外から光を当てられてたんやない!内側から光ってたんや!!!


4.セミオくんの奪われた唇を凝視してしまった。美少女みたいにめちゃくちゃピンクでビックリした。

その可愛らしい下唇を噛んでおねだりする超絶あざとテク!!ときめきも怒りすらも通り越して、ただただとんでもなく可愛い生き物が存在している奇跡に、呆然としている。

山田さんはこういう顔を演技力でこなしちゃうんですか、それとも普段からあざといタイプの男の子なんですか?とても気になる。


5.奪われたファーストキスに対するコメント

「気持ちよかったです」

「キス、ずっとしてましょう」

これはアカンでしょう!!!聞いた瞬間、奇声を上げてしまった。無垢でピュアピュアな0歳児セミオくんにこんなえろい台詞(感じ方に個人差があります)を言わせようと思いついた脚本家さんは天才か?!

ってセミオくんのこと赤ちゃん扱いしてたら、自分から今度はガッツリほっぺにチュウしてきて錯乱した。ねぇほんとそういうこと、どこで覚えてくるのよセミオくんは。突然男の子に成長しないでほしいな(すき


6.運動神経の良さを隠しきれていないセミオくんシリーズ

・お弁当工場を見学する大きなお友達のセミオくん、挙手のキレが異常。

・踊るセミオくん、ターンした後、ピタッと止まる動きが常人離れして美しい。


7.おいで、とか時折混ざるタメ語がたまんねーーー!!!


8.うわぁああああ、盆踊り、かわいいいいいいやぁあああ何事?!!!なんでコレ毎回エンディングに流れないの?!!最高なんですが??!!

もう散々セミオくんの可愛いところ観てきたはずなのに永遠に、可愛いの暴力に慣れることがない。セミオくんのピースに咽び泣いている。


9.勝利の方程式

山田涼介さんの顔×雨濡れの髪×心細い表情=壮絶に儚く美しい


10.死のうと思っているおかゆさんに、

「ずっと一緒にいて、ずっと顔見てるんだから、そのくらいわかります、そんなこと許しません」って、怒る口調がとても好き。とても静かな声なのに、愛ゆえの激しい怒りが滲んでいる。いつものセミオくんの天使のような喋りとは明らかに温度や硬度が異なっており、思わずハッとしてしまった。セミオくんの中に「怒り」という、決して純粋に正とは言い難いエネルギーがこんなにも激しく流れていることにびっくりする。良くも悪くも人間らしい怒りという感情は、おかゆさんをここまで愛さなければ、生まれてこなかっただろうなと思う。


おかゆさんに「死ぬの怖いって言ってくれたじゃん、ずっと一緒にいたいって」って言われた時、しまった!って顔して目を逸らすセミオくんの表情も大好きだな〜〜

おかゆさんの前ではいつでも明るい太陽のような存在でいようとしたのかもしれないけれど、たった一度だけ、思わず漏らした本音のせいでかっこつけられないセミオくん、可愛いね。気まずそうにしながらも、隠しきれなかった本音が顔を覗かせるように自然に目に涙が浮かんできて、キラキラと光っている。何度も聞くんですけど山田涼介さん、二次元じゃなくて三次元の人ですよね?!なんでこんな最高に綺麗な涙を最高のタイミングで流せるの?!?!7話はせつなさがすごくてずっと泣いてたんだが、ここの表情の演技があまりに良いので急に冷静になってメモに書き留めてしまった。


11.観ていない人には伝わらないセミオトコの説明

「このドラマで一番可愛いのは蝉、次点は40代のオジさん。名を、小川さんという。実質のネコチャン」


12.仲のいい友達に彼氏ができると、その彼氏に嫉妬するタイプの女、絶対美奈子ちゃんのこと好きでしょ。私は、好き。

セミオくんが来る前はおかゆさんのことを独り占めできてたのに、セミオくんが来てからはおかゆさんの一番が自分じゃないことにちょっと心のどこかでせつなさを感じている。「おかゆさんを傷つけたら許さない」なんてついついセミオくんにマウントとりながらも、おかゆさんの幸せを思っている美奈子ちゃん、愛おしいよ……

セミオがいなくなったら死んじゃうんじゃないかな、という密かな想いを、おかゆさんが自分にだけ最初に打ち明けてくれたの、本当はとっても嬉しかったでしょ。それで慰めたくて抱きしめようとしたのに空振りしちゃったところ、つらすぎ。

美奈子ちゃんとおかゆさん。見た目の雰囲気は全然違うけれど、内面は似たもの同士。田舎から一人で東京に出てきているところも、周りと上手く馴染めなくて孤独を抱えているところも、自分は地味だというコンプレックスを抱いているところも、自分の世界に引きこもっているところも。そんな二人が二人ぼっちでお裁縫しているシーンはそれはそれで良さがあったんですが、おかゆさんの心がどんどん外の世界に向けて開かれていくように、美奈子ちゃんの心も開かれていく描写が良かった。

「自分が救われてきた好きなもので、誰かを救いたい」

そんな誰かを想う優しい気持ちと、彼女が情熱を傾けてきた服飾の世界が結びついて、美奈子ちゃんにしかできない作品が生み出される。彼女もまた、「私」がこの世界に生きる意味を自分で掴み取ったのだなぁと思うと感慨深い。

(完全に余談ですが私は福岡出身なので、同じく福岡出身の今田美桜ちゃんの、可愛くない博多弁がリアルすぎて喜んじゃった)


13.いつも志半ばで悲しい死を迎える山田涼介さんを観ていたわけなので、寿命をまっとうする山田涼介さんを初めて観れてよかったです。


14.わーーーー!!!布団を横にならべて寝るんかい、イヤーーーーッッ狂うッッ!!!

ってドラマ序盤で早々に瀕死になってしまったんだが、それは早計というものでした。

最後の夜の、

「ぎゅってして寝てもイイですか」

の刺激が強すぎて爆死したし、せつなさと愛しさと羨ましさで感情がめちゃくちゃになった。

私も生涯に一回でいいからあの位置で山田涼介さんの顔見てみたいよ……たったの一回でいいんだよ、なんとかなりませんかね?今世では無理なら私、生まれ変わって木南晴香さんになります、そして「セミオトコ」に出演します。今世はめいっぱい徳を積ませていただきますので、来世に乞うご期待ください!!!


15.セミオくんの存在を、この世に形として遺したみんなの愛にも胸を打たれた。

絵本の中の登場人物として、またセミーオというドリンクとして、多くの人に愛され続けていくセミオくん。

私は、死んでしまってもその人の存在が誰かの心の中にある限り生き続けている、という考え方がなんだか無性に大好きだ。だからセミオくんがこうやって物語の登場人物の心の中に、視聴者の心の中に残り続けていることがとても嬉しい。

セミオくん、Forever!ずっとずっと、愛してる!


ここまで長い感想をお読みいただきありがとうございました。書くべきことが多すぎて、すべてを網羅することができなかった。これ、オタク同士で集まって上映会しながら感想言う方が絶対楽しいよ。後半は涙で顔面がぐちゃぐちゃになるけど。

セミオトコという最高ドラマの視聴を終えてしまった今、悲しみはあれど、『俺の可愛いはもうすぐ消費期限?!』がついに始まりますのでまた元気に生きていけます。そして『俺かわ』が終われば、季節は、夏。セミオの生きる季節です。

セミといえば、あの気持ち悪い蛇腹の胴体と六本の脚。凶暴なほど煩い鳴き声。夏の終わりには「セミファイナル」に怯える毎日。あまり良いイメージがなかった。だけれど今年の夏は、蝉の鳴き声を聴いたら泣いてしまうかもしれない。地面に転がるセミに、無限に切なくなってしまうかもしれない。私のところにもセミオ来てくれんかなってニヤニヤ妄想してしまうかもしれない。木の幹に掴まってるセミのこと、可愛いって思うかもしれない。

早く、夏が来ればいい。


夏が来るのが、待ち遠しい。


「セミオトコ」に出会えたおかげで、人生に楽しみがひとつ、増えました。

(2022.4.16執筆)

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