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「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んで

多様性やポリティカルコレクトネスがメインテーマ。
複雑で変化の激しい今の社会(特に英国社会、人種や階級が複雑なんだね)を繊細に、的確に捉えていた。
この本のなかに比べると、ぼくの周囲には異なる人種のひとはいないし、階級の違いを感じる機会も少ない。しかし今生きている日本社会では、ぼくは完全なマジョリティ人間である。気が付いていないだけで、自分の言動が一部の少数を傷つけている可能性は十分ありえるし、そう考え出すと自分の無知さにぞっとする。
こうした話題には明確な答えがないことが多いが(背景知識や経験がなすぎるのも相まって)、答えを出すこと自体に全く価値はなく、常にアンテナを張っておくこと、誰かの靴を履いてみること、考え続けることが大切だと思う。

母ちゃんと息子の関係性は理想的だった。
小学生や中学生が相手でも、母ちゃんはひとりの人間として接している。
「バカってこと?」と聞かれた時、「ちがうよ、無知なんだよ」とぼくは返せるだろうか。バカではない無知だと思っていても、子ども相手だし簡単にしようと「バカってことだよ」と返してしまう気がする。
きっとこんなやりとりの積み重ねが、思慮深い息子を形作っているんだろうなー。

繊細な内容に対して、「底辺中学校」「父ちゃん」「おめぇ」などの軽快なワードチョイスがおもしろい。

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