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「早く」は正しいのか

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。

伝道者の書3:11

私もかつて、とにかく早く携挙されたいと心の底から願っていました。人生が苦しい時期でした。未来に希望を見出せず、また、死ぬのも怖かったからです。

ですが、ある時、母がぼそっと呟いたのを聞いてから考え方が変わりました。

「患者さんの〇〇さんもまだ救われてない。とても良い人なのに。話してものらりくらり交わされるような…。もっと頑張らないとあかんな…。」※母は医療従事者です。

この世界にはまだ救われていない沢山の素晴らしい人達がたくさんいます。地獄行きになって欲しくないたくさんの大切な友人や家族もいます。

自分の人生のことばかりを考えて、携挙が早くきて欲しいと叫び祈っていた自分を私は恥じました。

そんなことよりも、することがあるだろうと。

それは伝道することです。

携挙を望みながらも、そのときは神様に委ね、自分のできることをひたすら続けること。

神様を動かそうとして、「早くしてくれ」と願うことは、自分勝手な祈りだと気づきました。

全ての時を神様に委ねます。携挙は希望です。ですが、全てではありません。

携挙が生きてる間にない場合もあります。その時に絶望しないか。失望しないか。信仰を失わないか。携挙はより頼む先ではありません。

私たちがより頼む先は、イエスキリストです。

「早く早く」と携挙を待ち望むより、私はそのときは神様に委ね、救われていない人々に一人でも向き合える時間が増えることを祈り、伝道を続けます。

その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

第二ペテロ3章9節

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