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ホテル・リーベ

 名前をつけるというのは難しいなーと思う。もちろんそれが子どもに名前をつけるとかそんなたいそうなものでなくても、やはり名前をつけるのは難しい。私は普段大学で小説を書いているのだが、小説を書いているとどうしても登場人物の名前を決めなければならないときがやってくる。そのときがやってくると私は決まってかなりの時間頭を悩すことになってしまうのだ。
 佐藤とか田中とか平凡過ぎる名前はちょっと退屈だし(全国の佐藤さんと田中さんごめんなさい)、かといって小鳥遊とか月見里みたいな読み方を聞かないと分からないようなややこしい名前も扱いきれない感じがする(たかなし、やまなしと読むらしい)。上手い人はそれとなく作品の内容と絡めたちょうどいい名前をつけるのだけど、私には到底そんな器用な真似はできそうにない。そういうわけで私は下手をすると本文以上に登場人物の名前を決めるのに時間がかかってしまうこともあるくらいだ。

 名前といえば建物の名前をつけるのも面倒だろうなと思う。私の両親は不動産関係の仕事をしているのでたまに不動産関連のこぼれ話を聞くことがあるのだが、その中の一つに賃貸アパートなんかの名前をどうつけるかという話があった。
 よく近所を散歩していると「ベルウッド〇〇」だとか「リバーフロント○○」みたいな名前のアパートを見かける。同じような名前がいたるところで目に入るので前から気になっていたのだが、この手の名前は大抵所有者の苗字から取っているらしい。つまり「ベルウッド」は鈴木さんの「鈴(ベル)」「木(ウッド)」。「リバーフロント」は前川さんの「川(リバー)」「前(フロント)」というわけだ。そうすると「フォレスト○○」は森さんだし「コーポひろし」みたいなのはやはりひろしさんの物件なのだろう。

 何だかそう聞くと間抜けな感じがしてくるけど、変に凝った名前をつけるよりはましなのかもしれない。自分の住んでいるアパートが「コーポ・マイアミ」とか「エクセルシオ・ハイツ」というような名前だったらなんだかラブホテルみたいで年賀状を出すのが恥ずかしくなってしまう気がする。そうすると「ベルウッド」みたいなのは分からない人には分からないし考えるのも楽だしちょうどいいのかもしれない。

 そういえばその手のアパートとは反対にラブホテルの名前はもうちょっと頑張った方がいいんじゃないのかと思うものが多い気がする。
 私の住む最寄り駅から電車で大学まで通っていると車窓からラブホテルの看板が見える場所がいくつかある。基本的には電車の中で本を読んでいるので気づかないまま通り過ぎるのだけど、どうも私の集中力の途切れるタイミングは決まっているらしく、いつもふと本から視線を外して外をみると目に入るラブホテルの看板があった。それはちょうど最寄り駅から電車に乗って西川口のあたりまで来たところから見えるところで「ホテル・リーベ」という名前だった。「リーベ」と言われても分からない人からすれば分からないかもしれないが、大学一年生のときドイツ語を習っていた私からすればそれが「愛」のドイツ語だとすぐに分かってしまう。「ホテル・愛」だなんてそんな安直な名前でいいのだろうかと首をひねりたくなる。おかげさまで私はすっかり忘れてしまったドイツ語の単語の中でも「Lieben」という単語の意味だけは今でも忘れられずにはっきりと覚えている。

 まあでも「ホテル・リーベ」はまだマシな方で実際に今グーグルマップで調べてみると「ホテル・愛」も「ホテル・i」も実際に存在するらしい。どうせやることは決まっているのだし、投げやりになるのも分かるけどいくらなんでも適当に投げすぎじゃないだろうか。せっかくだからもう少し他の名前を調べてみると、どうやらラブホテルの名前には大きくわけて三パターンほどのつけかたが存在するようだ。

 一つ目は適当な横文字を持ってくるパターン。「ホテル・ヴィーナス」「ホテル・ブレス」などなど。これがパッと見一番多い気がする。だいぶいい加減な気もするが結局これくらいのいい加減さがラブホテルにはちょうどいいのかもしれない。
 二番目が適当な固有名詞を持ってくるパターン。「ホテル・ロンドン」「ホテル・ティファニー」「ホテル・カサブランカ」などなど。個人の感想としては「カサブランカ」みたいな名前の場所はちょっと遠慮したい気もするけど、どうなんだろう。映画のワンシーンみたいな時間を過ごさなければいけないような気がして落ち着かないまま終わってしまうのではないかと思ってしまう。
 最後のパターンが変化球タイプ。「小さな恋の物語」「と、いうわけで。」「バナナとドーナツ」などなど。こういう場所もちょっとどうなんだろうと思う。

 けれどそんなことをいちいち気にしているのは私だけなだろう。場所と値段と最低限の清潔感さえ満たしていれば、あとは野となれ山となれってな調子で事が始まるのだと言われれば確かにその通りだ。
 それでも私はいつか建物に名前をつけなければならなくなったときのために候補を温めておこうと思う。まあそんな努力が何の役に立つんだと言われても困るけどね。

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