千葉ロッテマリーンズと出会った話


 自己紹介でも書いたように、野球は横浜とロッテのファンです。

 山梨で育ちながら、横浜とロッテのファンになった経緯を記事にしていきます。

 ちなみに、横浜ファンになった経緯はこの記事へ。

 ロッテファンになったきっかけも3つあります。


 ①ホークスファンの父親の存在

 普通ならホークスファンに、と思った方もいると思います。実際にダイエーホークスの試合に連れて行ってもらっていました。あと、BSでよく中継を見ていました。なので、パリーグの試合はかなり見ていましたし、選手もかなり知っていました。小学生当時はダイエーとロッテと大阪近鉄に興味がありました。

 ②マリンスタジアム初観戦で勝利

 2003年にロッテvsダイエーの試合に父親に連れられて行きました。父親はもちろんダイエー応援。自分はどちらも、という感じでした。当時のロッテの著名な選手、黒木と小坂はケガ、福浦と小林雅英がいるくらいでしたが、ひねくれ者の自分には、魅力たっぷりでした。ユーティリティプレーヤーの堀、売り出し中の里崎、中4日で投げ続ける男、ネイサン・ミンチーと多くの選手が印象に残っています。8回裏にフェルナンデスが逆転3ランを放ち、ロッテが勝ちました。父親はかなり悔しがっていました。ちなみに、ホークス先発永井がロッテの立川にぶつけ、乱闘騒ぎになったことも覚えています。

 ③ダイエーの身売りと大阪近鉄の合併による消滅

 2004年の球界再編問題により、大阪近鉄は消滅。そしてダイエーはソフトバンクに身売りし、新たなスタートとなりました。自分が興味をもった3チームのうち、2チームは新しい球団になりました。(※厳密に言うと、ホークスは親会社が変わっただけですが…。)残ったのがロッテのみという状況。山梨と同じ地域区分の関東にある千葉ロッテを自然と中心に見るようになりました。


 基本的にはこの3つです。バレンタイン第二次政権以前のロッテはとっても地味なチームだったと思います。野球好きな友人が知ってるロッテの選手と言えば、首位打者を取った福浦と、山梨出身の小林雅英くらい。バレンタイン監督が復帰し、交流戦が始まったことにより、ロッテの選手の知名度が一気に上がったことが嬉しかったです。自分が好きだった選手は清水直行にサブローにベニーに小林宏之あたりでした。

 あと、ロッテと言えば応援歌のセンスがすごいと思います。現地で聞くとしばらく耳に残っています。

 ちなみに2005年はプレーオフで父親と、日本シリーズで母親の推しチームとの対戦でした。2007年も2010年もプレーオフでホークスと対戦して勝っているので、家庭内で何とも言えない空気になりました。


 今も正直地味なチームだと思いますが、帳尻の秋で強さを発揮する千葉ロッテが大好きです。


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