ブルガリアに忘れてきたNikon D700を取り戻した話②

ブルガリアの首都ソフィアのどこかに置いてきたカメラを取り戻すまでの実話、第2部。

日本に帰ってきた翌日、早速各方面へ連絡をとり始めた。返事が来ること、カメラが無事であること、何も期待していなかった。でも、カメラの中には今回の旅の思い出が入っているし、それまでに撮った写真を保存してあるメモリカードも挿入されていた。可能性はゼロじゃないのだし、もうこれ以上損をすることもないのだから、と諦めずにメールを送ることにした。

1. ホテルにもう一度確認してもらう

無くしたことに気づいた直後、ホテルにトンボ帰りしたことはひとつ前の記事でお話ししたとおりだ。しかし、「ホテルのスタッフが売り飛ばしたのでは」「スタッフ間のホウレンソウが行き届いておらず、実は発見されているのでは」という勘ぐりがはたらき、もう一度確認してほしい旨をメールで伝えた。

すると、その日のうちにホテルの管理人から「防犯カメラも確認してみたけど、チェックアウトの時は持っていたようです」と連絡が来たのだった。これには少し驚いてしまった。そこまで入念に確認してもらえるとは、正直想定していなかった。「知りません」と一蹴されることを覚悟してさえいた。それとともにかなり有力な情報を得ることができた。agodaか何かを経由して予約したホテルだったが、最高の評価を付けておいた。次ソフィアを訪れることがあれば、またお世話になりたいと思う。

カメラ、あるとすれば地下鉄の駅か電車内か。少し照準が定まった。望みは捨てないぞ。それにしてもカメラを持っていた/置き忘れた記憶がないな…。それにしても、シラフでここまで物を無くすなんて、と、ほとほと呆れ返ってしまう。

2. 地下鉄警察とギリギリの英語でやりとり

『地球の歩き方』に載っていた地下鉄警察の連絡先を参照して、メールと電話両方でコンタクトをとったのだと思う。メールは記録があるから今でも読み返せるのだが、如何せん電話の方は端末の変更も挟まっていて記録がない。しかしそれなりに鮮明に電話をした記憶がある。声は震えていたことだろう。それでも応対してくれた方とはなんとか英語でやりとりをして、私が日本人観光客で、いつ、何駅から乗車し、どこで乗り換えて空港まで向かったのか、何をなくしたのかはなんとか伝わったはずだ。メールもしたから見てくれ、とも言ったかもしれない。
藁にもすがる思い、というのを何度も口走ると信頼を損ねそうであるが、そのカードを切るに値する場面だった。間違いない。

3. 2019年3月7日

アドレスに表示された名前はSotirofだが、本文の名乗りはSofirofだという地下鉄警察の職員からメールが届いた。おそらく前者が正しい。

宿の最寄り駅で3月3日にカメラが拾得されています。

沸いた。勝った。安心した。奇跡は起きた。なんてこと!

全く期待していなかった。日本ほど落し物が見つかる国はないよ、外国で無くしたらまず返ってこないと思うべきだよ。耳にタコができるほど聞かされたこの通説は、あっけなく打ち砕かれてしまった。
ましてやヨーロッパの中でもそれほど裕福でない国だ。きっと誰かの手に渡り、分解されるかどうかはさておき売り飛ばされてしまっただろう、とほとんど諦めていた。

Sotirof氏と3往復程度メールをやり取りし、互いに何とか通じる英語で意思疎通を図った。返事が丸1日以上空くこともあったが、「3月11日に組織X(日本語話者のいるとある組織)へ持っていきます」とあり、Xのスタッフにカメラを渡したことの報告までやり取りを続けてくださった。本当に、メールでしかお礼を伝えられないもどかしさが耐えがたかった。直接会って菓子折でも…という発送になってしまう日本人なのであった。

これだけは強調しておこう。偏見に縛られて諦めることだけは、オススメしない。諦めて得することはないのだから。

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