ブルガリアに忘れてきたNikon D700を取り戻した話①

2019年3月3日19:00ごろ、ブルガリアはソフィア空港の手荷物カウンター。大きな荷物を無事預けた。1週間の東欧珍道中もいよいよ終わり。さあ、軽く夕飯でも。

……?カメラは?肝が冷えた。指先の血がすーっと、ドライアイスのけむが床を這うような感覚で、失われた。

わたしはカメラを首都ソフィアのどこかに置いてきたのだった。

これから書くのは、カメラをどこかに置きわすれたことが発覚したこの瞬間から、同年のGWにそのカメラを取り戻すまでの時系列に沿った実話である。海外旅行にはなかなか行けない昨今だが、だれかのためになればと思って、全身全霊(仮)をかけて恥をさらす。この旅行を共にした友人Aは決していら立つそぶりを見せず、冷静に顛末を見守ってくれた。今でも思い出しては感謝ばかりだ。

なおこのカメラは、発売当時、ボディのみで33万円ほどの値がついたシロモノだ。カメラが趣味の父から譲り受け、素人として持ち歩いていたものだった。現在は中古で3万円台から購入が可能なようである。

1.車通りのまばらな高速をぶっとばしてもらった

ない。ない。空港に向かう直前まで体を休めていたホテルに忘れてきたかも。そう思い、友人Aに状況を告白した。冷静に受け答えしてくれたAは、ブルガリアレフの現金を多めに残しており、その現金を借りてタクシー乗り場へ駆け込んだ。空港に来るのには地下鉄を利用したが、乗り換えに結構時間がかかったし、本数もそう多くはない。いちど地下鉄駅構内で時刻表を確認した気もするがあまり覚えていない。宿までは直線でも12キロ。フライトまでは3時間ほど。A名義で借りていたWi-Fiも借り、Aとは連絡の取れる状態で空港を離れた。

運命をタクシーに託しーた。

高速は全く混雑していない、というかほとんど車が走っていない。混雑とは無縁で、20分ほどかかっただろうか、さっきまで休んでいた宿へ到着した。道中はブルガリアでYes(「ダー」という単語がこれに相当する)の場合は首を横に振り、No(「ニェット」と言ったかな)の場合は首を縦に振るという決まりがあるのだが、この話で5分くらい盛り上がっていた。おもしろいね、ケラケラ。逆だね、ケラケラ。あまりにも非常事態なので、こんなことでもやけに面白く感じた。いや、感じようと必死だった。気を紛らわせたくて仕方がなかった。

フロントの方に事情を話して部屋まで案内してもらった。たしか私が宿に向かっている間に、Aが宿へ連絡を入れてくれていたと記憶する。つくづくAには感謝しかできない。

布団をひっくり返した。風呂もトイレも見た。しかし、なかった。フロントの共用部分にもなさそうだった。あきらめて帰る旨を話した。この時の落胆たるや…。

ホテルの前で待っていてくれたさっきのタクシーに乗って空港へ戻る。タクシーの運転手はこちらのことを詮索しない。英語をそれほど話さないためであろうが、それがせめてもの救いだった。忘れ物したの?それで日本に帰るの?なんて問い詰められていたら心がもたなかっただろう。

なんとか離陸には間に合う時間に空港に戻ってこられた、もっと言えばコーヒーを飲む時間すらあったように記憶している。Aには色よい報告ができなかった。この時は〈預け荷物にカメラを入れてしまった〉という可能性が残っていたので、それに懸けよう、となぐさめてくれた。それを信じるしかなかった。

2.日本に戻り、絶望

ドーハで乗り継ぎをしたのち、日本時間5日の夜に日本に戻ってきた。わずかな望みを預け荷物に託す。気が気でない。カメラ、ありますように。持ち主である父の顔が浮かぶ。声を荒げるような人ではないが、相当呆れるに違いない。なんて謝ろう…。弁償…まさか。

荷物がベルトコンベアに載って流れてきた。ああ、あってくれ!!!

…その場で我を忘れて荷物をひっくり返したが、ない。正真正銘、カメラをソフィアのどこかに忘れてきた人間となった。確定だ。うわあ。

人のせいにはしたくないが、母もオーストラリアに旅行しに行ったときにカメラを置き忘れている。そして戻ってくることはなかった。結果的には母よりラッキーだったが、この瞬間には完全に遺伝子を恨んだ。ああ。

Aの父も海外のタクシーの中でラップトップを忘れたが、無事に取り戻せた経験があるそうだ。Aはなんとか私を慰めようとしてくれた。ガイドブックをみながら、ここに連絡すれば何かわかるかも、という現実的な話も、空港駅からの電車の中で話した。頭が上がらない。Aの父が駅から車を出してくれて、私の家まで送迎してくれた。もうてっぺんを回る時間だったと思う。こんなに疲れ果てたことはないよ。

それでも両親にはすぐ正直に事の成り行きを連絡した。ごめんなさい。ごめんなさい。期待しないでください。父はそれなりに呆れているようだったが、あきらめずに探してみよと言い、母は予想内の出来事であるかのように慰めてくれた。はあ。明日起きたら方々に連絡してみるよ。おやすみなさい。ちょっと今日はもう何もできない。

記事②では、いよいよカメラ取り戻しにむけた動きを紹介していきたい。

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