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法隆寺の建築に見るデザイン

法隆寺はどんなお寺?

法隆寺は奈良県斑鳩町にある聖徳宗の総本山であるお寺です。
聖徳太子によって開かれ、伽藍のうち中門、金堂、五重塔は現存する世界最古の木造建築物として知られています。
聖徳太子は用明天皇の遺言を実現するために法隆寺の建立を発願したと言われています。
建築にあたっては隋から帰国した遣隋使や渡来人の知識から得られた、
当時最先端の技術が用いられました。仏教自体が最先端の学問であったため、その学問所としての意味合いもありました。
中門の柱などに見られる中心部分が膨らんだデザイン(エンタシス)など、ヨーロッパから中国まで伝えられたという文化も取り入れらています。

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五重塔の裳階

ではまず、五重塔から見ていきます。

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法隆寺の五重塔は五重なのに屋根は6枚あります。
塔の最下層にある板葺屋根は裳階(もこし)という構造物で、この屋根があるために6枚になっていますが、この裳階、創建当初にはありませんでした。

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現在の五重塔は平城京遷都前(711年まで)には建てられたと考えられています。
奈良時代は遣隋使や遣唐使により中国の技術を積極的に取り入れた寺院建築のラッシュが起きていたわけですが、この頃に最先端のデザインとして裳階も取り入れられたことがわかっています。
裳階は平城京遷都時に飛鳥から移築された薬師寺の塔にも見られますが、
法隆寺の塔とは異なり、三重の階層それぞれに裳階があり、三重六層の塔となっています。(薬師寺の東塔についてはこちら
この例からも、当時、裳階は最先端のデザインであり、
格調高い建物には裳階を設けることが一つのステイタスであったことがうかがえます。

金堂の龍

次は金堂を見ていきます。

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金堂はご本尊である釈迦三尊像を安置する、山内で最も重要な建物です。
金堂も現存する飛鳥時代の建築ですが、江戸時代初期に大改修が施され、その時屋根を支えるため構造的な欠陥を補うべく、4本の支柱が取り付けられました。
その4本の支柱には龍の彫刻が施されています。

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この頃、狩野探幽などにより、京の各地の寺院で龍の天井絵が描かれるなど、龍が火災から建物を守るという信仰があったようです。
そのため、法隆寺金堂の支柱にも、金堂を守る願いを込めて龍の彫刻が施されたと考えられます。
また、金堂には一階部分に裳階があることもわかります。この裳階も五重塔と同じく創建当初には無かったものです。

廻廊の梁

つづいて廻廊を見ていきます。

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回廊も室町時代や江戸時代に改修工事が行われています。
中門の袖にある回廊は強いエンタシスや、虹のように円弧を描くため虹梁と呼ばれる梁など、飛鳥時代の特徴を残しています。
一方で講堂の袖にある廻廊は、室町時代の補修により梁が取り替えられ、
真っ直ぐで力強い印象を与える太い梁が使用されています。
これは武士の時代の影響でしょうか、おそらく当時の建築のトレンドとして、寺院を守るためにも力強い印象を与えるデザインが取り入れられたのでしょう。

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まとめ

世界最古の木造建築である法隆寺でも、各々の時代にて最新の技術やデザインを取り入れられてきたことがわかります。
外国の知識や文化を取り入れ、それを活かして国造りを行おうとした聖徳太子が学問所として開いた法隆寺。
伝統を受け継ぎながらも新しい文化を積極的に取り入れることで、時代の変化に柔軟に対応したからこそ、今日までその伽藍が受け継がれてきたのです。

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