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◆読書日記.《山村基毅『戦争拒否 11人の日本人』》

※本稿は某SNSに2020年10月28日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。

 山村基毅『戦争拒否 11人の日本人』読了。

山村基毅『戦争拒否 11人の日本人』


 戦争に参加しない者は「非国民」と罵倒され、何人もいた兄弟全員を戦地に送り出さねばならなかった家庭まであった時代、兵役を「逃げる」事なんて本当にできたのか?――疑問を持った著者が実際に兵役拒否をした人々にインタビューを試みたルポルタージュ!


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 本書の出版時期は1987年。著者は足掛け三年の仕事だと言っているので、およそ80年代半ばの状況が書かれていると言っていいだろう。
 この時期にまだ20代の駆け出しのルポライターだった著者が、単純に疑問に思った事を追及してできたのが本書だった。

 80年代に生きた20代の若者というのは「無戦世代」等という呼び名もあるようで、戦争を経験せず、戦争についてもメディアを通じてしか経験していない世代だった。

 直接的な体験はないのだが、学校やメディアで教える「戦争」というものは、ただひたすらに悲惨で、暗く、せつないものだというイメージがあったようだ。

 その時期の「戦争を経験していない厭戦観」を持った若者らが「もし戦争が起こったら?」「もし徴兵制が復活したら?」といった話になった場合、著者はある「若い世代に共通した意識」に気付く。
 それは著者が若者らと話していた時に一人の青年が言った言葉に象徴されていた。

「オレは真っ先に逃げたいネ」

 また、著者はある週刊誌に乗った若者を対象に行った「もし徴兵制度があったら?」という内容のアンケート記事も紹介している。

 「何とか忌避する方法を考えたい」(大学一年)
 「彼女を連れて逃げるヨ」(高校二年)
 「絶対に拒否します」(高校二年)

 ――こういった戦後世代の言葉に著者は疑問を抱くのである。

 ちょっと待てよ、という気分になってきた。逃げる、あるいは拒否するって、いったいどういうことなんだ? と思いはじめたのだ。戦争って、果たして逃げられるものなのだろうか。拒否できるものなのだろうか。ぼくらは、そこまで考えてみたことがあっただろうか。もしも逃げることが本当に可能だとしたら、この前の戦争でそういった例があったのだろうか?
                          (本書より抜粋)

 ――著者が本書を書かせるに至った動機は、このように「反戦思想」とか「大日本帝国批判」といったようなイデオロギー的なものではなく、戦後教育によって厭戦気分を学んだ若者として持った「疑問」だったのだ。

 本書はこの疑問に応えるために、実際に先の大戦時に兵役を拒否した人物やそういった人物に関わった人々にインタビューを試み、具体的にどのようにして兵役を逃れる事ができたのか、どういう動機からそれを行ったのか、その結果どうなったか、その人はどういう人物だったのか、周囲の反応は?といった事を明らかにしていくルポルタージュである。


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 本書は以前から読みたいと思っていた積読本で、非常に興味深い内容だった。
 先日も兵役を拒否して山中に逃げ、原始人のような生活を始める男の物語を描いたフィクション、高橋喜平『東北のロビンソン』という本を紹介したが、本書の中にも、それに似た事を行った人物が一人紹介されている。

 だが、彼はほとんど質問には答えなかったようで――というのも日本中を逃げ回って朝鮮まで行ったらしいというその人は、現代で言うならばほぼ「指名手配犯」といった感じの生活を送り、非常に「泥臭い」逃亡生活を強いられたようなのだ。

 この「嫌だったら逃げる」という方法、言うほど簡単な事ではないのである。

 本書では主に11人の「兵役拒否者」を紹介しているのだが、そこで紹介されている人達にはある種の共通点があるように思えた。
 以下、本書にて紹介されている「兵役拒否者」のプロフィールを確認してみよう。

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 中国人を憎む事ができず、人を殺す戦争にも疑問を持って「鉄砲は撃たない」と決意し、ささやかな戦争反対を行って中国の徐州作戦で流れ弾に当たって亡くなった北川省吾氏は、宗教哲学に興味があり、京都大学で聴講生をしていた頃に召集されたという。

 「自分の戸籍を抹消した」という山田多嘉市氏は、貧農出身で子供の頃すぐ丁稚に出された瓦職人であったが、どの職場でも「変わり者」と呼ばれるほど本を読んでいた読書家だった。
 彼はプロレタリア文学に影響を受けて農民運動に呑める混んでいくようになり、果ては自分で小説を書いて芥川賞の一次予選に引っかかった事もあったという。

 簡閲点呼をボイコットし自ら憲兵に出頭したというイシガオサム氏は、東大文学部出身のクリスチャンで、WRI(戦争抵抗者インターナショナル)の思想に影響を受け、無抵抗主義のガンディを尊敬していた人物だった。
 また彼はスウェーデンの作家で女性初のノーベル文学賞受賞者ラーゲルレーヴとやり取りをして邦訳許可を貰い、彼女の作品『エルサレム』の翻訳も行っている。

 自ら身体を弱らせたり、傷つけたりする事で徴兵検査を逃れた小田切秀雄氏、白井健三郎氏、宗左近氏の三名は、いずれも大学教授だった。

 内村鑑三に影響されたクリスチャンで反戦思想を持っていた釘宮義人氏は、召集前に服毒自殺未遂を起こし、「兵役拒否の自殺では?」と睨まれ、兵役法違反として投獄される。
 激戦の間は思想犯として投獄されていたために結局は兵役を逃れる事ができた。
 彼は内村鑑三のほかロマン・ロランが好きな読書家で、自分でも小説を書き、若い折は映画会社の松竹の文芸部に入る事を望んでいたという。

 『イワンの馬鹿』の翻訳もしているトルストイ翻訳家の北御門次郎氏は、トルストイの思想に影響を受けて平和主義の考えを持つようになった。
 北御門氏は徴兵検査の前に失踪して遠くの親戚の家に身を隠したが、彼の行方を追ってきた母に説得されて一日遅れで徴兵検査に出たという。
 そのとき北御門氏は「私が所定の日に来なかったのは"故意"にそうしたのです」と徴兵逃れをしたと自ら主張し、徴兵司令官から「狂人」扱いされた事で兵役を逃れた。

 ――余談になるが、この北御門次郎氏の兵役逃れの逸話は、この同調圧力の強い日本社会ではさぞ辛かっただろうと言うのが想像できるだけに読んでいて切なかった。

 この「狂人扱い」というのは文字通り精神病者扱い、村でも良くて厄介者と見られたようだ。憤慨して「北御門次郎を殺しに行く」と息巻いた者もいたという。
 両親さえも腫物を扱うような態度だったようで、本人も辛かっただろう。
 当時の北御門次郎氏も日本が完全に勝利するとは考えていなかったまでも、この先万一日本が負けずに有利な講和条件等で穏やかに終戦が訪れた日には、一生彼は「狂人」扱いで生きていかねばならない……そんな不安を抱く事もあったのではなかろうか。


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 さて、以上見てきたように、本書で紹介されている反戦の意志を貫いてきた者たちは、大学教授であったり東大や京大出身の高学歴者が多く、または普段から良く本を読む読書家も多い。
 多かれ少なかれ「高学歴・インテリ系」の人物なのだ。

 同調圧力に屈しない強い意志を持つ個人主義的人間性を育てる事ができた要因は、果たして彼らの持つ教養からだったのだろうか。

 『超国家主義の論理と心理』にて丸山眞男は、日本の全体主義を民衆の側から支持して盛り上げていたのは地方の小役人や地主、町工場の親方、小学校の教諭、商店の経営者らといった所謂「中間層」ではなかったかと指摘している。
 彼ら中間層はちゃんとした学識を持っているわけでもなく、聞きかじりの知識を持ってして民衆を扇動していった「疑似インテリ」だったというのだ。「国民の声を作るのはこの亜インテリ階級である」。

 国民全体に「戦争に協力しなければ」というムードが流れていた当時、それに反して「戦わない」という意志を持つだけでなく、周囲を振り切ってまで「実践」するのは並大抵の事ではないのだろう。

 本書で扱われている11名の兵役拒否者以外にも、従軍中に兵役逃れのために衝動的に斧で自分の人差し指と中指を切断してしまったという初年兵の事例や、反社会的活動をしている人物が失踪して炭鉱に潜り込むという事例も触れられているので必ずしも「教養がなければ反戦の意志は生まれない」とまでは言わない。

 ただ、本書の11人の兵役拒否者にはもう一つの共通点があるのである。

 それは兵役拒否の理由に「死にたくない」だけでなく「殺したくない」延いては「戦争には反対だ」という「思想」があった事だ。

 論理や倫理ではなく、雰囲気や周囲の空気、ムードによって物事を判断しがちな日本人にあって、この「思想」は重要なのではないか、とも思うのである。

 民衆は、なぜこうも好戦的ムードやプロパガンダに流されやすいのか?

 これはファシストであるヒトラー本人が『我が闘争』で述べている。
 「庶民は長い文章は読めない。それよりも、短く威勢のよいスローガンや、わかりやすいイメージに飛びつくものだ」と。

 現在、日本は戦後75年を経過し、戦争のネガティブな記憶がどんどん風化してきているのを肌で感じている。

 もし、再び日本で「戦争やむなし」の雰囲気が盛り上がった場合、周囲の意見や雰囲気に流されずに強い意志で「反対だ」と主張するには少なからぬ強い意志が必要だろう。

 その意志は、どうやって育めばいいのか。

 考えず、学ばず、想像せず、反省せず……といった知性を必要としないままの民衆で、果たして反戦の意志を貫く事ができるのだろうか。

 そう考えれば本書は、兵役拒否者の歴史的史料というだけでなく、「日本中が好戦的なムードに包まれていた中にあって、周囲に流されず反戦の意志を貫いた人びとの人物像」の具体例という思想的資料としても捉えることができる貴重な資料なのではないかとも思うのだ。


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