◆レビュー.《映画『ヴェノム』》
※本稿は某SNSに2021年8月8日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。
ルーベン・フライシャー監督の映画『ヴェノム』見ましたよ♪
2018年アメリカ製作の映画で、マーベル・コミック『スパイダーマン』に登場するヴェノムを主人公としたスピンオフ作品。
ダーク・ヒーローものの特撮映画としては、まあかなり普通の作品。もっとダークな内容かと思っていたらもっとライトな感じであった。
<あらすじ>
ライフ財団所有の有人宇宙探査ロケットが地球帰還直前に事故を起こし、マレーシアへ墜落。そのロケットにはタール状の地球外生命体を何体か乗せていたのだが、既にそのうち1体はどこかに消えた後であった……。
一方、そのライフ財団はホームレスを雇って死者を出すほど危険な人体実験を行っているという情報を得たジャーナリストのエディは上司の言う事に背いてライフ財団のリーダー、カールトン・ドレイクへのインタビュー中、人体実験の噂について問い詰めるが、ドレイクの根回しによって後日、会社をクビになってしまった。
その上、この件に巻き込まれた形でエディの恋人だったアンも失職。
アンはエディに対して別れを突き付ける。
エディは己の正義感に殉じて仕事も恋人も失ってしまうのである。
それから半年が経過。ボロアパートで貧乏暮らしをしながら求職活動をしていたエディの元にライフ財団の研究者スカース博士が接触してくる。
エディがドレイクを問い詰めた内容は本当だった、彼は危険な人体実験をして何人ものホームレスを犠牲にしていた……と相談してきたのであった。
スカース博士の手引きでライフ財団の実験施設に潜入したエディは証拠写真を撮影していた時に、自分の知り合いのホームレスが被験者になっているのを発見。
監禁されていた実験室からホームレスを助け出したエディだったが、ホームレスはドレイクの人体実験によって、例のタール状の地球外生命体に規制されていたのだった。
タール状の地球外生命体はホームレスから、エディに宿主を移動。
ちょうどその時、エディはライフ財団の警備員らに発見され、逃走する。激しく銃弾が飛び交う中を走るエディは、自分がいつの間にか強力な力を得ていて、更に不思議な幻聴を聞くようになっている事に気が付くのだった。……というお話。
<感想>
日本語版タイトル『寄生獣』。「後藤さん」でしょ、あれって? ←
完全に「ポップコーンを食べながら見られる娯楽作品」っていうスタンスで作られたエンタテイメントだねぇこの作品は。
よく巷で言われているハリウッド映画の成功法則の教科書に載っているようなストーリー。
例えば……映画冒頭の数分以内に視聴者の心をつかむ巨大事件/ド派手な爆発/強烈な映像を見せ(ロケットの墜落事故)、その後、恋愛ドラマ(アンとエディ)を絡めながら、視聴者の興味を途切れさせない適度なサスペンスを挟んでいって(ライフ財団の侵入、逃走、ヴェノムの力の覚醒、等々)、徐々にラストに向けて話を盛り上げ、そしてラストには今までのストレスを全て吹き飛ばすようなド派手で痛快なアクションによって黒幕を倒し、恋愛ドラマを急速に収束させ、素早く幕を下ろす……という教科書通りのエンタテイメント。
映画館で観たらもっと面白かっただろうが、正直、このレベルにあまりお金を使いたくないというのはあったので、今回はテレビで見られて良かった。
DVDも中古で500円以下なっていたら買うと思う。
しかし、細かく分析するほどの作品ではないので、以下、見ながら思った事をつらつらと綴っていく。
主人公の人生転落ぶりっていうのは、この手のアメリカ映画では典型的すぎだと思った。
特に仕事をクビになる前の、恋人との甘い生活と比べるとその落差の大きさが凄くて思わず笑ってしまった。
アジア系の店長がやってる店で安い食べ物を買い、無料新聞の求人広告(皿洗いなんて仕事が未だにアメリカの「貧乏人」のシンボルになっている!)にチェックをし、路地に面した薄汚れた窓に置かれた半分枯れかけの観葉植物にコップで水をやる毎日。なんか『アントマン』もこんな感じじゃなかった?
エンタテイメントは、このどん底な感じをラストで一気に巻き返すからこそカタルシスを感じて「あー、すっとした!」という気分になるのだが、本作ではそれがやや大人しい気もする。
ヴェノム、もうちょっと派手に暴れてくれてもいいんじゃない?という感じがする。
ラスト・バトルもあれでは、単にバケモノとバケモノが一対一の肉弾戦をする……といった程度のものになっていて、イマイチ「驚き」がない。
巨大な力と防御力を持ち、体から刃や手を生やすことができる……くらいのパターンだと意外性がない。
「ああ、この能力はそういう使い方もあるのか!」的なものも見たかった。
それこそ『寄生獣』の「後藤さん」なんかは、足を馬のように変形させて自動車に追いつくほどのスピードで走ったり、はたまた足を刃状にして木々の幹に自分の足を突き刺しながら林の中を高速移動したり、自分の腕を盾状にして銃弾を跳ね返したり……といった想像力豊かな戦法を採っていたではないか。
SFXというのは21世紀に入ってからCGを使う事によって「何でも表現できる」ようになった半面、「驚き」が半減したように感じる。
アナログで撮っていたSFXは「どうやったらこんな凄い絵を撮る事ができるんだろう?」という「驚き」があったが、CGだとそういう驚きに欠ける所がある。
だからこそCGのSFXでは、アナログ特撮では到底マネできないような「凄い絵」であり、より独創的なイマジネーションを見せてくれなければ、そうそう「絵面」だけで面白さを感じる事はなくなってしまった。
「何でも表現できる」からこそ、今までにない「凄い絵」を見たいわけだが。
今までに映画でもマンガでもアニメでも「どこかで見た事がある」程度のイマジネーションを見せられては、流石にカタルシスも減退してしまう。
どうせ荒唐無稽ならば、スペースシャトルを直接持ち上げてライフ財団の施設に何度も叩きつけて相手の野望をぶち壊すとか、もっとライフ財団の施設を目茶目茶に、壊滅させるくらいのバトルにまで発展するだとか、宇宙空間にまで発展する超絶バトルだとか……それくらいのスケールにまで発展するくらいの意外性は出してくれないと、少なくともぼくはもう驚かないだろう。
それくらいの思い切りのいいアイデアを見せてもらいたいものだとも思うのだが、それは贅沢な要求だろうか?
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