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◆読書日記.《アレックス・カー『ニッポン景観論』》

※本稿は某SNSに2020年1月10日に投稿したものを加筆修正のうえで掲載しています。


 アレックス・カー『ニッポン景観論』読了。

アレックス・カー『ニッポン景観論』

 実に面白くて勉強になる本だった。
 著者はアメリカの東洋文化研究者で、宗教法人「大本」の日本伝統芸術学苑にて様々な日本の伝統文化を学んだ大の日本通。
 その著者が日本の景観にモノ申す、いわば「ここがヘンだよ日本の景観」という内容になっている。

 本書では1ページに1枚写真を掲載しているんじゃないかと言うほど様々な写真を掲載しているのだが、これは「日本のこういう景色が良くない」というのを具体例として提示しているからだ。
 その語り口はとてもユーモラスではあっても説得力があって耳に痛い内容になっている。

◆◆◆

 まず本書では、日本の景観を作り出す考え方のおかしな点を、先進国と比較して指摘している。

 日本の「土木行政」はどの先進国と比べても突出して大きな予算をかけているという。

 国の予算のうち、土木、建設が占める割合は、アメリカが8%、ヨーロッパでは6~7%でしたが、日本は40~50%でした。土木・建築に関する雇用は、アメリカでは全雇用のうちの1%未満で、日本では12~14%でした。桁違いです。1年に敷き詰めるコンクリートの量でいうと、日本はアメリカのなんと33倍でした。おびただしい量のコンクリートが、日本の山、川、海に流されていたのです。
              アレックス・カー『ニッポン景観論』より

アレックス・カー『ニッポン景観論』・日本の土木行政

 つまり日本の景観をしばしばコンクリートで埋め立ててしまう要因のひとつには、確実に行政も絡んでいると言う事だ。

 大量の公共事業費を無批判に「補助金」として地方自治体に流してしまい、自治体はそれを使い切る必要があるので、不必要な公共事業が行われてしまう。
 そこには勿論、官僚の天下り先企業も絡んできていると著者は言う。

 それらは公共事業の活性化という事で雇用の確保と経済効果という良い面もあるだろうが、不必要な護岸工事や全く長期的な視点に欠けた公共事業が行われ、あげく日本の自然環境を切り崩しつつある。

 日本は将来、誰も利用者のいない公共施設や自然を覆い尽くすコンクリによって全て埋め尽くされてしまうという、無機質で人工的なSF的ディストピア世界のようになってしまうのではないか。著者はそこを嘆くのである。

 現在の先進国の環境工学の考え方の主流は「なるべく自然環境に傷をつけないように、景観を損なわないように配慮し、必要最低限度の工事で環境や自然と調和すること」を求められるという。

 日本ではどうも、この手の環境工学についてさえもガラパゴス化しているようなのだ。

◆◆◆

 本書の問題範囲はそれ以外にも多岐に渡っている。

 電線と鉄塔、溢れかえる広告と看板や効果の疑わしいスローガンを掲げる大看板、あちらこちらで自然を覆い尽くすコンクリ、景観にも街並みにもマッチしない奇抜な建築や無国籍な建築物、時代遅れの観光行政……これら日本の様々な景観問題を著者は八章に区分して説明している。

アレックス・カー『ニッポン景観論』・あふれかえる大看板

 これら日本の都市計画のマズさというのは、もはや個人個人の問題ではない。そのほとんどは上にも書いたように、明らかに「行政」の問題なのである。
 なぜって、個人が都市や街並みの美しさをデザインできるわけがないからだ。
 景観規制や都市計画は、行政が青写真を描いているのである。
 そうでなければ、建築計画をたてる企業や建築家といった建築業界の人間が握っている。
 そういった所に責任の所在がある。

 これら行政や建築業界の関係者らのセンスがマズイという事について、本書の著者は様々なアプローチで読者に理解を促そうとしている(そのアプローチの一つが本書の特徴ともなっている、所々に挿入される「コラージュ画像・加工画像」である)。

 著者は次にように指摘する。

 ゾーニングと景観配慮のなさ、町へのプライドの低さ、無秩序な開発、奇抜なハコモノの増加、硬直した建築規制のおかげで、日本はどの町も混沌とした状態で発展してしまいました。
              アレックス・カー『ニッポン景観論』より

 日本はせっかく世界でも珍しい建築様式と独特の文化を持った国なのに、そういった日本なりの強みをどんどん破壊して未だにガラスと鉄筋とコンクリのケバケバしい建築に拘るので、日本の街並みはどんどん無国籍的でカオティックなものになり、日本的な景観のアイデンティティなどはどんどん薄れていく。

 これは日本人がそう言っているのではなく、他国の文化から見て「日本の良い景観が破壊されて行っている」と嘆かれていると言う事を、重く受け止めるべきだ。
 日本の事をまだ「観光立国」などと見立てて力を入れている行政関係者がいても、このままいけば遠からず外国からの観光客に見放されかねない。――著者は、その理由を本書一冊をかけて読者に気付いてもらおうとしているくらいなのだから。

 著者は以前関わっていた世界遺産の選択に関わる委員会「ICOMOS」で、岐阜県の世界遺産・白川郷に観光用の巨大な駐車場が作られたことでその景観が乱され、世界遺産から取り消される「危機遺産リスト」に載るのではないかと懸念されていた事を明かしている。
 ――本書は時にユーモアも交えて説明してはいるが、その反面こういった具体的な事例を挙げて「根拠」を疎かにしていない所が優れている点だと言えるだろう。

 著者は、著者自身の日本文化の師匠である随筆家の白洲正子の「愛しているなら、怒らねばならない」という言葉を引用している。

 本当に進歩したいというのならば「批判だけ」でも「褒めるだけ」でも十分ではない。
 本当にそれを愛しているのならば、それが壊されることに対してちゃんと声を上げねばならないのだ。

 著者の素晴らしい所は、実践的な活動も行っているという点にもある。
 日本の景観と古民家を再生するコンサルティングを徳島県祖谷で行って実績を上げ、長崎、奈良などに拡大して十数件の古民家を再生し、それが国内外で広く観光客を呼んでいるという。
 批判者である著者自身が、具体的に日本文化の保護のために活動しているのである。これを「愛」と言わずに何と言うのか。

 アレックス・カーの文章を読んでいると、たぶんこの人、日本文化が本当に好きなんだなあという事が文章の端々から伝わってくる。
 彼の批判は辛辣で、今の日本には非常に耳の痛い指摘だと思うのだが、著者の日本文化に対する愛情が分かるからこそ、こちらも素直に「申し訳ない」と思ってしまう。

 アレックス・カーの批判は、深い「愛」に満ちている。
 そこが、本書の内容をあまり説教臭くない――逆に希望に満ちた批判にしているのだろう。

◆◆◆

 しかし、本書に掲載されている写真の面白い事、面白い事!
 日本の観光地が看板ばかりで、外国人からしてみればせっかく古色然とした落ち着いた風情のある景色をゴテゴテとデコっているように見えてしまうというその感覚を、ユーモアたっぷりに皮肉交じりのコラージュ画像で示してくれるというのが、本書の最も顕著な特徴だろう。

 誰もがクスクスと笑いながらも、日本の景色にまつわる問題を直観的に理解できるようにしてある。本書の優れた点は、そこにこそあるとさえ言いたい。

 本書はほぼ1ページに1枚以上の写真を掲載していて読み易いという所もあるので、こういう本を普段あまり読まない人にもオススメできる良書だと思う。

 中でもぼくの好きな写真は下のヤツ。日本の観光地は、外人から見たら右のほうの画像みたいなイメージなのだそうだ(笑)。

アレックス・カー『ニッポン景観論』・日本の観光地その1

 本書で著者は、外人の視点から見てこのように日本の景観のおかしな所を指摘しているのだが、何故そうなるのかという点まではなかなか理解しにくい所があるそうだ。
 日本はなぜ右の画像のようにしつこく看板で注意点を強調しなければならないのか?

 やはりこの問題についても、日本によくある「同調圧力」が関わっているのではないかとぼくは思っている。

 日本人はルール破りに対してとても厳しく、過剰に憤慨する傾向の人が多いように思われる。
 それは「みんながやってる事なんだから、お前だけが違う事をするなよ!」という同調圧力的な感覚だと思うのだ。
 「みんな守ってる、だから守ってない奴は頭にくる」という考え方が日本人は強いのではないだろうか。
 だから、このようにしてルールや注意点を細かく細かく看板に書いておかないと気が済まない。決まりを守らない人間がいる事に我慢できない。
 日本に溢れ返る「注意看板」の数々というのは、そういう傾向の市民の心理が現れているのではないだろうか。

 勿論、昔の宝島社のベストセラー『VOW!』が好きだったぼくとしては、看板の溢れ返った日本のダサいカオス状態の田舎町の景観というのはけっこう好きなのだが、これも場所と場合によっては感じ方は違ってくる。
 例えば、昔ながらの景観が見られる古都の街並みにこういう雑多な看板が溢れていると、それは流石に幻滅である。

 本書の著者も指摘しているところだが、日本にはそういった場所と場合に従って細かく繊細に規制や環境政策を決めているわけではなく、どこも一貫して同じような規制があって大味なのだそうだ。本書のような繊細な意識をもっと多くの日本人が持ってくれれば、少しは日本の景色も変わるんだろうけども。

◆◆◆

 下の一枚もアレックス・カー『ニッポン景観論』の中に紹介されている一枚。ノートルダム寺院を日本風の観光地に変えてみたらどうなる?というのをモンタージュ写真で作ってみたという。
 電信柱が古風な雰囲気をぶち壊し、「余計なお世話」な大看板と自動販売機が実にダサイ(笑)。

アレックス・カー『ニッポン景観論』・日本の観光地その2


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