ひとくち日記2023.12.01

 雪が降っている。

 今日は午後から仕事。寝る前にマリー・ルイーゼ・カシュニッツ『その昔、N市では』を読んでいた。寝る前に読み切ってしまえ!と思っていたのに、最後の一篇で寝入ってしまったらしい。
 気がつくと十二時、呆っとして車のエンジン音に気がつくと十四時になっている。急いで出掛けなくては。

 仕事は……大したことをしていない。月初の朝は忙しいけれど、午後には暇がやってくる。

 呼気アルコール検査の機械が導入され、みんな慣れなくてアタフタしている。私は人がやってるのを見ていたので、大して困らなかった。スマホに向かって機械に付けたマウスピースを咥える。すると検査を受けている顔写真が撮られる。自分の顔写真を眺めて、髭を剃らなくては、と思う。
 機械はちょうどヨックモックのシガレットくらいの大きさである。それで思い出したが、出版社の営業がお土産に、とヨックモックのシガレットを置いて行った。美味しく頂く。

 職場のデスクに座り、共用のパソコンを開いたら、山田太一の訃報を知らせるニュース記事が開いていた。なんということだ!
 先日、祖父母の家へ出掛けた時、祖母に色々好きなドラマを聞いたが、特にイチオシしていたのが、山田太一のドラマだった。ことに良いと言っていたのが、笠智衆主演の『ながらえば』『冬構え』『今朝の秋』の三部作。NHKオンデマンドで観られる。
 個人的な山田太一体験は、山田太一本人の語りだった。「ゴロウ・デラックス」という番組に出演している姿や「戦後70年 語る・問う」というYouTubeで見られる動画である。その言葉は穏やかながら、鋭い。少し恐いとすら思える。自分のスタンスを強固に持っている人という印象だった。

 同日、三木卓の訃報も伝わってきた。大江健三郎にしても、山田太一にしても、いつか来ると分かっていた別れが遂に来たという感じで、悲しいというより、ズドンと重しが我が身に与えられたような感覚である。
 三木卓の作品は昨年読んでいた。『路地』という鎌倉を舞台にした短篇集である。どの作品も不穏さがあって面白かった記憶がある。この作品には、尋常な読み味で読者を安心させてやらないという企みがあったような気がする。それは三木卓という作家の資質なのかしら。

 イスラエル軍がハマスとの戦闘を再開したとの報にも触れた。私は内心を点検した。私の心のどこかに、このニュースを待っていた私がいなかったか。SNSの盛り上がりのためにニュースが──悲惨なニュースが途絶えることを残念がる私はいないか。
 点検を終えた。私は怒りのために生きている訳ではないことが確認された。怒るための燃料が途絶えることを恐れる心などない。ニュースが途絶えて、平和が地を覆うことを望んでいる。
 こんな懸念を抱くこと自体、異常だろうと思う。しかし、こういう心理は広く一般的であるような気がしている。喜ぶ者はいなくても、茶飲み話の種の一つくらいに考えている者たちは多いだろう。私たちは、もっと真剣に考えるべきなのに。私の日々の生活を変えれば、周りの人々の考えも変わるだろうか。そう優しくはないだろう。粘り強く日々行動を続けても、奇人のレッテルを貼られて、お終いになるのではないか。
 文章を書き、それを読んでもらう、という営為のなかでしか、遠い他国で起きている悲惨な出来事と私たちの生活は、同じ惑星上で行われているという事実に、気をつかせることは難しいのではないか。

 昨日、古川日出男の『女たち三百人の裏切りの書』の文庫版が入荷した。買おうかな、と思っている。
 そういえば、鯖さんが「ここ最近の野間文芸新人賞を読む」というnoteを書いていた。私も三島賞でやってみようかしら。「教養としての芥川賞」とか「翻訳文学試食会」みたいな感じで。

 昨日の話と言えば、フォークナーの短篇小説が読みたくて『フォークナー短篇集』を買った。まだ何も読んでいない。

 帰宅後、カシュニッツの短篇集を読み終える。

良い装幀の本だ。中身も良い。手数の多い作家という印象。特に幻想的な手法が得意とみえる。「白熊」「ロック鳥」は不安感と奇っ怪さが上手くマッチしている。「長い影」は幼子たちのひと夏の一瞬を切り取ったような作品で、一番好みかも。「いいですよ、わたしの天使」が一番よく書けているように思えるけれど、私は好きになれない。「長距離電話」の電話口に吹き込む声だけで書く手法も面白い。表題作は、まぁ寓話ですね。

読書メーターに投稿した感想

 久しぶりに読書メーターに感想を書いた。

 寝る前にレイ・ブラッドベリの短篇小説と、『月日の残像』という本に収められている山田太一のエッセイを読んだ。

 山之口貘の詩に、

  ひとたび生れて来たからには
  もうそれでおしまいなのだ   (「祟り」)

 という二行があるけれど、ほんとに「ひとたび生れて来」てしまうと、私は私の事実だけでは生きて行けず、出会った人々の頭の中に否応なく私は宿り、それはほとんど輪郭を持たない影の薄い私であったり、とても私とは思えない私であったりしても知りようもなく、いつの間にかあらぬ物語の中の一人にされていたりもして、そのうち自分の深層の厚みも増して来て「私の事実」と思っていたものも不確かになって行く。

山田太一『月日の残像』から「下駄を履いていたころ」

 当時のノートに、こんな引用が書きつけてある。大学へ入る頃から脚本を書き出す頃までの十年足らず、日記の替わりに私は読んだ本からの引用をノートにつけていた。
「真実であるものが現実なのだという考えで近代までのヨオロッパは成立して来た。そういう普遍性を目指すのがヨオロッパ精神の特色なのであって、科学がその典型的な産物であることは言うまでもないが、ヨオロッパに科学が生れたのは、精神の一切の活動が同じく普遍的であることを期して行われる一端に過ぎなくて……」(吉田健一『東西文学論』)
 下駄如きことの残像で面倒くさいことを言い出したようだが、現実は「普遍的な真実」だけではないという認識は、学生の生活では肉体化できない考えだった。あとで思えば、下駄を脱いで、新しい世界に足を踏み入れたのだった。

同上


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?