ひとくち日記2024.01.09

 今日書くべきことは、ただ一つ。八代亜紀の死についてだけである。
 仕事が一段落し、休憩時間に牛丼を食べようと、すき家へ行った。座席に着き、注文を終えて、スマホを見た時、ニュースを知った。その衝撃は大きかった。
 私が「演歌」と呼ばれるものを聴き始めるきっかけは、紅白で見た石川さゆりだったかと思う(石川さゆりが演歌歌手であるか否かは置いておく)。しかし「演歌」そのものと出会ったのは八代亜紀によってだった。
 たぶん志村けんの番組で、八代亜紀が歌う『舟唄』に合わせてコントをするというのを見たのだ。この後、YouTubeで『舟唄』をじっくり聴いた。
 私の一番好きな女性歌手は青江三奈なのだけれど、これは八代亜紀から引かれた線上にある好みのように思える。青江三奈と八代亜紀は似たところのある歌手なのだ。ハスキーな声が魅力であるところなど。
 八代亜紀のハスキーな歌声は晩年に到っては──「晩年」という言葉を使う哀しさよ!──情感の飛沫を跳ね散らすソウルフルな力強さがあった。
 八代亜紀に関する個人的な記憶は、中学生の時の理科の教師に「どうして雨が降ると私のいい人が来るんですか?」と質問したら(気象についての授業の後だった)、「何その演歌の歌詞みたいなの」というツッコミとしてはだいぶ甘い返答でガッカリしたと云う詰まらないものがあるばかりである。
 私は誰ともこの歌手の良さを共有できずに今まで来ていた。

 一九七九年大晦日の紅白歌合戦。この年、大トリを務め、『舟唄』を歌った八代亜紀を包んだ拍手の熱気は、隔たった時代にこの映像を眺める私に、羨望と大きな感動を与えた。その拍手は、大ヒット曲を迎える拍手。日本語の歌曲が或る水準に達したことに人々が興奮している拍手だった。ダンチョネ節を唸った後の人々の反応は「やっぱり良いねぇ」などという距離のあるものではなかった。黒いドレス姿で歌い切り、ガッツポーズをする八代亜紀の姿は確かな実感を得ていることを二〇二四年の私に伝える。あれは日本の最も輝いていた瞬間だったのではないか。そのことに人々は少しく気づいていたのではないか。

 仕事を終え、カーステレオで代表的な歌を流し、歌いながら帰ってきた。その歌声を身体の内に響かせながらハンドルを握っていると、八代亜紀がもうこの世にいないということが信じられない気がしてくる。もちろん突然のことであるから、受け止め切れていないということでもあろうが、先述の紅白から時代を下った最近の『舟唄』の歌唱には、余りに生き生きとしたビブラートやコブシが効いているのだ。とても存在しない人とは思えないほどに。

 最後に八代亜紀が一九七六年に日本レコード大賞の最優秀歌唱賞を受けた曲の最後の一節を引用しておく。八代亜紀の歌──と云うより「演歌」は、別れの切なさ、未練を歌った曲が多く、永遠の別れを前にした時、切々と思わせるものがある。しかし本来の歌の意味は違っていて、その違いが何か温かさのようなものを伝えるように思える。
 全体的にベタベタした文章になってしまった。これは私の力不足の故である。

別れても はなれても 愛してる
もう一度逢いたい

八代亜紀『もう一度逢いたい』から

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