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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/52】「50」2人の殿堂入り監督が背負った背番号50

割引あり

(写真 中央・今季から50を継いだ23代愛斗、左上から・約1ヶ月で6連勝の初代レオ・カイリー、4代別当薫監督、宙に舞う5代西本幸雄監督、左上から・歴代監督7代本堂安次監督、9代戸倉勝城監督)


【背番号の系譜(52)】「50」2人の殿堂入り監督が背負った背番号50

 背番号50のスタートは「期間バイトメジャーリーガー」のレオ・カイリーだった。約1ヶ月の在籍で6連勝して米に帰国した。その後、毎日、大毎時代の背番号50は監督の番号となる。別当薫が背負ったのが始まり。後任の西本幸雄が引き継ぎ、背番号50が宙に舞った。別当、西本ともに殿堂入りを果たした。以降、本堂安次、初代4番の戸倉勝城も監督として背負ったが、結果を出せなかった。
 ロッテとなってからは移籍後半年だけだったが水谷則博、森廣ニと投手が多く継いだが、18代としてベニー・アグバヤニが背負いカイリー以来の助っ人として先祖帰りした。今シーズンからは移籍した愛斗が外野手として引き継いだ。

----- 現在の背番号「50」 -----

 ★《23代》2024(R6)年〜・1年目 愛斗(武田 愛斗)(たけだ あいと) 外野手(在籍1年目)

 【愛斗 背番号変遷】50(1)
 西武に8シーズン所属し、2022(R4)年には121試合に出場した愛斗が、23(R5)年オフに行われた現役ドラフトでロッテが指名し、24(R6)年から背番号50を引き継いだ。
 移籍1年目の24(R6)年は開幕一軍入りを果たした。

 ◇ロッテ初出場、初スタメン、初打席<2024(R4)年4月2日・ソフトバンク1回戦/R(みずほPayPayD)/5番右翼/3打0安>
 ◇ロッテ初安打<2024(R4)年4月3日・ソフトバンク2回戦/R(みずほPayPayD)/代打中右/2打2安>
 ◇ロッテ初打点<2024(R4)年6月1日・阪神2回戦/R(ZOZOマリン)/代打右翼/サヨナラ適時打/2打1安>

----- オリオンズ&マリーンズ「50」の系譜 -----

1950(S25)年〜1952(S27)年 空番


 ★《初代》1953(S25)年・2ヶ月 レオ カイリー 投手(在籍1年)

  1929(S4)年11月30日生(入団時23歳)、左投左打
  米・デマレスト高−米・マイナー(48〜50、57)−ボストン・レッドソックス(51)−兵役・進駐軍(52〜53)−毎日(53)−ボストン・レッドソックス(54〜56, 58〜59)−カンザスシティ・アスレチックス(60)

 【カイリー 背番号変遷】50(途中)
 球団創設以来、空番だった背番号50を初めて背負ったのは、1953(S25)年に軍務の合間にチームに加わった助っ投カイリーだった。
 米国で51(S26)年にレッドソックスで7勝を挙げたカイリーは、前年52(S27)年に兵役で朝霞基地に駐屯していた。二軍の進駐軍との交流試合で好投するカイリーに目を付け、在日米軍関係者と交渉し、進駐軍に在籍したままナイターと週末限定でチャーリー・フッド(背番号52)とともに入団した。
 初登板は8月8日の西鉄9回戦(甲府飯田)。6回から4番手として登板し8回に3点を失い逆転を許すも、その裏に打線が勝ち越し。9回を締めて初勝利をマーク。その後は5試合の先発マウンドに上がり、28日の近鉄戦で1失点完投勝利すると中1日で30日の東急戦で完封勝利するなど、全ての試合に勝利する。ところが、シーズン終了までの契約だったが、9月3日に除隊命令が出て帰国。突然の退団となった。
 その後、球界では雇用形態に問題があるということで「進駐軍選手のアルバイト出場禁止」の通達が出された。
 カイリーは帰国後、米メジャーに復帰した。

 ◆在籍時投手成績<6試合、6勝0敗、防1.08、5先発、1完封、32奪三振>
 ◇毎日初登板、初勝利<1953(S28)年8月8日・西鉄9回戦/H(甲府飯田)/4番手完了/4回3失>
 ◇毎日初先発、初完投<1953(S28)年8月11日・東急11回戦/H(後楽園)/先発/9回2失>
 ◇初完封<1953(S28)年8月30日・東急14回戦/H(西京極)/先発/9回0失>


1954(S29)年 空番


 ★《2代》1955(S30)年・1年 伊藤 春男(いとう はるお) 投手(在籍1年)

  生年月日不明(入団時18歳)、右投右打
  宮城・古川高−毎日(55)

 【伊藤 春男 背番号変遷】50(1)
 1955(S30)年に宮城・古川高校から入団した伊藤春男が、背番号50を引き継いだ。
 しかし、一軍未登板に終わり、1シーズン限りで退団した。

 <一軍未出場>


 ★《3代》1956(S31)年・1年 西本 幸雄(にしもと ゆきお) 二軍監督(在籍6年/コーチ4年/監督1年)

 【野球殿堂入り】◆野球殿堂競技者表彰(1988年)

  1920(T9)年4月25日(入団時29歳)、左投左打
  和歌山・旧制和歌山‐旧制立教大‐東洋金属‐八幡製鐵‐全京都‐星野組‐毎日(50~55)
  毎日/大毎監督コーチ(56〜60)、他球団監督/阪急(62〜73)−近鉄(74〜81)

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