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《有料・冒頭試読>【マリーンズ略史 92~05/-64- 韓国の英雄が苦しんだ2シーズン・李承燁】


(64)韓国の英雄が苦しんだ2シーズン・李承燁

 2003年オフはバレンタイン監督の復帰、小宮山悟の復帰とサプライズが続いたが、もう一つのサプライズが李承燁の入団だった。
 「ライオンキング」「国民的打者」と呼ばれた韓国プロ野球界のスーパースター。5度の本塁打王、4度の打点王を獲得し、2003年には56本塁打を放ち、当時のアジア記録を打ち立てたバッターの入団だった。メジャー移籍を模索していたが叶わず、ロッテに移籍することとなった。目標は「打率.290、30本塁打、100打点」と力強く語った。

 奢ったところがなく、いつも一生懸命に取り組み、明るい性格はナインに溶け込み、2005年の日本一に貢献した。しかし、ロッテ時代は決して表では口ししなかったが、環境や言葉、野球の違いにも苦しんでいた。わずか2年の在籍だったが、そんな大打者の姿を思い出したい。

 【「スンちゃん」一挙手一投足が韓国で報道】

 2004年のキャンプはバレンタイン監督を迎えて大きく様変わりしたが、取材する報道陣もこれまでと大きく違っていた。それはマスコミの多さだった。もちろん、これまでのキャンプも各社の担当記者が配されたが、2004年は韓国マスコミの担当記者が加わった。それは、李承燁の動向が中心。李が動くと韓国の担当記者もゾロゾロと一緒に動いた。李承燁の一挙手一投足が韓国で伝えられた。

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