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《有料・冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-32- M初タイトル剛腕エース・伊良部秀輝】
(32)マリーンズ初タイトル剛腕エース・伊良部秀輝
とにかくボールが速かった。しかも、スタンドから見ていても「重い」ことが分かるピッチャーだった。
投手陣の低迷もあり、高卒ながら1年目から一軍のマウンドに上がった。しかし、オリオンズ時代はスピードはあるもののコントロールに難があり安定性に欠いていた。いや、コントロールだけではなかった。スイッチが入ると凄いボールを投げるが、気持ちが切れると一気に崩れるケースも多かった。
覚醒したのは千葉移転2年目の1993年だった。シーズン後半に7連勝を挙げ、月間MVPを受賞し、以降、絶対的エースに君臨した。94年にはマリーンズ初のタイトルホルダーとなる「最多勝率」と「最多奪三振」を記録した。西武・清原和博との真向勝負は「平成の名勝負」と言われ、伊良部が日本人最高球速を更新したのは、いずれも清原との対決だった。
1996年限りで米移籍。その後阪神に復帰したが、マリーンズ投手との交流は続いていたという。引退後、再渡米していたが2011年7月27日、自死との訃報が入った。42歳という若さだった。多くの誤解を生んだ伊良部だったが、マリーンズ初のタイトルホルダーとなった絶対的エースだった歴史は揺るぎない。ただ、エースも決して入団から順風満帆ではなかった。そんな伊良部秀輝の姿を思い出し、改めて哀悼の意を捧げたい。
【コントロール難と繊細さに苦しみ…】
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