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《有料・冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-61- 勝負強かったハワイアン・ベニー アグバヤニ】


(61)勝負強かったハワイアン・ベニー アグバヤニ

 2000年3月、米メジャー史上初となる日本での開幕戦、ニューヨーク・メッツ-シカゴ・カブス戦が東京ドームで行われた。その試合で延長11回二死満塁から代打満塁本塁打を放った姿を鮮烈に覚えているファンも多かった。
 4年後、その男がマリーンズの一員となった。メジャーリーガーとしては珍しいハワイ出身の男は「ハワイアンパンチ」と呼ばれていた。自身もハワイ出身を誇りにし、希望した背番号「50」はハワイが米国の50番目の州だからという理由だった。
 明るいキャラクターと勝負強いバッティングに魅せられたファンも多かった。今回はベニー・アグバヤニの1年目と2年目を中心に思い出したい。

 【1年目からチーム三冠】

 2004年、ニューヨーク・メッツ時代の監督、バレンタイン監督の誘いを受け来日。キャンプではパワフルなバッティングだけではなく小技も披露して日本野球への対応の高さを見せていた。ただ、4番を期待されていたのは韓国から入団したスラッガー李承燁。ベニーへの注目度は高くはなかった。

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