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【全史】第9章 プレーオフが無くなった… /1976(昭和51)年

(1)三井参考ノーヒットノーラン、しかし阪急に独走許し…

 キャンプイン目前の1月30日、前年太平洋クラブライオンズの監督兼選手だった江藤慎一の入団が決まった。1971(昭和46)年以来のオリオンズへの復帰だった。
 すでに39歳と全盛期のような活躍への期待は難しかったが、前年は監督業もあり、その力は発揮できていなかった。しかし、一昨年は打率.291、16本塁打を記録していただけに、選手専任として「最後のひと花」(江藤)を咲かせる覚悟での入団に期待は高かった。
 キャンプ終盤には新外国人ジョン・ブリッグスが合流した。メジャーで2年連続で21本塁打を記録しているパワーヒッターだ。昨シーズンは助っ人に泣かされていただけに、カネやんの期待も高かった。合流早々のフリーバッティングで早くもそのパワーを披露してサク越えを連発。カネやんは「30ホーマー、.280は軽くマークするで!」と手放しで喜んだ。もう一人の助っ人のには、昨シーズン途中からコーチに専念していたラフィーバーが復帰。「ラフィーバー、ブリックス、江藤でクリーンアップを組めば打線も厚くなる」と期待を寄せてシーズンを迎えた。

 前期の開幕は4月3日だが、私にとっては嬉しい出来事があった。日本ハムのホームゲームだが、開幕戦は後楽園球場だった。関東圏で開幕戦をオリオンズが戦うのは、東京球場最終年の1972(昭和47)年に東京球場で戦って以来、4年ぶりのことだった。
 開幕戦は村田が捕まり3-8と大敗したものの、4日の2回戦は期待の三井が完投して7-2、5日の3回戦は7回に3点を奪い5-3と逆転勝利。開幕3連戦を2勝1敗と勝ち越す、まずまずのスタートを切った。
 ところが、続く太平洋3連戦(平和台)を負け越し、ホームゲーム開幕となった宮城での阪急3連戦に3連敗と3勝6敗と黒星が先行した。しかし、予想していた以上に明るい話題が多く、期待が高まるスタートとなった。
 まず、ブリックスが打率.300、3本塁打で4番にガッチリと座った。江藤も3番DHで2本塁打とメドが立ちそうな気配を見せた。投手陣も村田を中心に成田、金田、八木沢のベテランに三井、水谷、倉持と若手が加わり、こちらも明るい見通しを見せていた。

 14日の近鉄1回戦(後楽園)で、その三井が魅せた。前回太平洋戦同様、立ち上がりから好調だった。テンポの良いピッチングに打線も応え、2回裏にラフィーバーが先制タイムリーで援護すると、3回裏には江藤に3号ソロが飛び出し2点をプレゼント。三井は5回まで近鉄打線から7つの三振を奪い、ノーヒットで切り抜ける。
 そしてそして6回表、先頭打者・石渡に1球目を投じたところで豪雨に見舞われ試合は中断。結局、コールドゲームとなり、パ・リーグでは史上6人目となる参考記録としてのノーヒットノーランを達成した。
 「そりゃあ最後まで投げたかったですよ。調子そのものは8日の太平洋戦の方が良かったけど、変化球は今日の方がキレていた。参考記録とはいえレコードブックに自分の名前が残るのだから雨が降ってくれて助かりました」。
三井は笑顔を見せて、参考記録ながらのノーヒットノーランを喜んだ。カネやんも
「今日の三井なら9回まで投げても1点くらいしか取られなかったろう。まだ若いんやから今後もバンバン完投してくれないと困る」
と三井を讃えていた。

 この三井の参考ノーヒットゲームから巻き返しが始まった、近鉄2連戦を連勝すると、宮城での太平洋3連戦は1勝2分、日生での近鉄2連戦に連勝と2分を挟んで5連勝。阪急3連戦(西宮)には負け越したもの、南海3連戦(宮城)には勝ち越し。4月は11勝9敗2分とまずまずのスタートとなった。
 さらに5月に入ると勢いを増した。3連敗の後、3連勝。そして1つ負けて5連勝、1つ負けて4連勝。5月26日には近鉄5回戦(西京極)に引き分けたが、首位の阪急が日本ハムに敗れたため、阪急にゲーム差なしと迫った。
 しかし、ここから阪急が11連勝と一気に飛び出し、独走態勢へ。オリオンズは追う事が出来ず、逆に9つあった貯金をじりじり減らす。最後の10試合は2勝8敗と大きく負け越し、南海にも抜かれて前期は3位に終わった。特に、阪急との直接対決には、2勝10敗1分と大きく負け越したことが大きかった。

 ただ、5月にチームが好調だった裏で助っ人二人にトラブルが生じていた。ラフィーバーが5月5日の南海戦で途中交代を告げられると激怒し、監督に悪態をついた。カネやんは「無期限の自宅謹慎と1万ドルの罰金」を命じ、翌日のベンチからラフィーバーが消えた(1ヶ月後には復帰)。
 開幕からまずまずの滑り出しを見せ、4月は.263、6本塁打だったブリックスだったが、チームの好調さとは裏腹に調子を落とした。裏ではカネやんとの行き違いが起こっていた。「若いときにマイナーだったら猛練習も分かるが、なぜ、一軍メンバーが走ってばかりいるか分からない」とカネやんの指示する調整法に疑問を呈した。この態度にカネやんが怒鳴る。ブリックスは食欲不振に陥り、調子を落としていった。5月の本塁打はわずかに1本、打率は.235と低迷した。6月に入ると度々スタメンも外れ、全身けん怠を訴えて、6月4日を最後にベンチからも外れた。診断を受けた結果、神経性のものと診断されブリックスは帰国を希望、21日には一時帰国した。その後、球団は再来日を幾度も要請したが、二度と来日することはなかった。

(2)村田奮投も終盤力尽きて3位

好投した村田を出迎えるカネやん

 後期開幕は7月2日、大阪球場での南海4連戦だった。先発は村田と今シーズンから南海に移籍した江夏豊のエース対決となった。
 初回、江夏の立ち上がりを捕らえる。ヒットの岩崎を置いて、有藤が12号2ランを浴びせ2-0と先制する。対するこの日の村田は絶好調、初回を3人で片づけると、2回以降は江夏も立ち直り、緊迫した投手戦に。結局、初回の有藤の一発が決勝点となり、2-0と村田の完封となったが、許したヒットは定岡の1本だけだった。
 エースを打ち砕いて絶好のスタートを切ったはずだったが、2回戦、3回戦と連敗。4回戦は8回まで成田の好投で1-0とリードしながら、9回裏にリリーフした村田が捕まり引き分け。1勝2敗1分と開幕カードは負け越し、続く平和台での太平洋2連戦も連敗し、1勝4敗ともたつくスタートとなった。
 しかし、ここから激しい首位争いが始まる。日本ハム3連戦(宮城)に2勝1敗と勝ち越すと、続く太平洋3連戦(後楽園)に3連勝。6勝4敗1分と貯金を作ってオールスター期間に入った。

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