《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/45】「43」土肥から捕手の系譜~ウォーレン、ミンチー助っ投の系譜】
(写真 左から、19代・一軍マウンドを目指す左腕秋山正雲、5代・背番号43からエース番号18を継いだ迫田七郎、7代・落合博満が手本にした「カーブ打ちの名人」土肥健二、マリーンズは助っ投へ、上)10代・抑えの切り札ウォーレン、下)11代・先発の柱として支えたミンチー)
(45)「43」土肥から捕手の系譜~ウォーレン、ミンチー助っ投の系譜
背番号43は、オリオンズ時代とマリーンズ時代では全く違う系譜を辿る背番号だ。オリオンズ時代は、初代・阪田芳秀が捕手として始まる。その後、投手、野手が引き継いでいたが、7代として土肥健二が引き継ぎ結果を残すと、以降、田中力、柴原浩と捕手の背番号となった。
それが、マリーンズでは全く違う顔となる。きっかけ10代・ウォーレンが抑えの切り札として活躍すると、球団史上最高の先発助っ投ミンチーが引き継ぐ。その後は外国人の背番号となる。18代・小島和哉が出世番号として新しい系譜を作り、今、秋山正雲が引き継ぐ。
----- 現在の背番号「43」 -----
★《19代》2022(R4)年~2024(R6)年・3年目 秋山 正雲(あきやま せいうん) 投手(在籍3年目)
2003(H15)年4月29日(入団時18歳)、左投左打
(出身・千葉)東京・二松學舍大学附属高‐千葉ロッテ(22~)
【秋山 正雲 背番号変遷】43(3)
2021年のドラフト4位で東京・二松學舍大学附属高校から入団した秋山正雲が、背番号43を引き継いだ。
高校時代は1年からエースとなり、3年次は夏の甲子園に出場した、将来性が期待されている左腕。1年目、2年目と一軍は未登板に終わったが、二軍では順調に成長している。3年目の24(R6)年はオープン戦で初めての一軍マウンドを経験し、シーズンでの飛躍が期待される。
(23年シーズン終了時)
<一軍未登板>
----- オリオンズ&マリーンズ「43」の系譜 -----
※1950(S25)年~1951(S26)年 空番
★《初代》1952(S27)年~1953(S28)年・2年 阪田 芳秀(さかた よしひで) 捕手(在籍4年)
1930(S5)年4月10日生(入団時21歳)、右投右打
大阪・浪華商業‐コロムビアー毎日(52~55)
【阪田 芳秀 背番号変遷】43(2) ⇒ 30(1) ⇒ 32(1)
大阪・浪華商業学校(現大阪体育大学浪商高校)から入団した阪田芳秀が、1952(S27)年に球団創設時から空番だった背番号43を初めて背負った。
1年目の52(S27)年は一軍未出場に終わったが、2年目の53(S28)年は5月に一軍登録される。正捕手には土井垣武がいたため、初出場は代走だった。しかし、直後に土井垣がケガで離脱。阪田にスタメン出場のチャンスが巡って来る。初安打を記録したものの、片岡博国、沼沢康一郎らに打撃、リード面で後れを取り、13試合でマスクを被ったものの、8月には登録を外れた。最終的に15試合に出場し、打率.179に終わった。オフには背番号を30に変更した。
→ 阪田芳秀 背番号 30 へ(有料エリア)
→ 阪田芳秀 背番号 32 へ(有料エリア)
◆打撃成績<15試合、打率.179、28打数5安打、0本塁打、1打点、1盗塁>
◇初出場<1953(S28)年5月30日・南海5回戦/H(後楽園)/代走>
◇初スタメン、初打席<1953(S28)年6月2日第1・東急7回戦/H(熊谷)/8番捕手/2打0安>
◇初安打、初打点<1953(S28)年6月11日・近鉄4回戦/H(富山)/7番捕手/適時打/4打1安>
★《2代》1954(S29)年~1956(S31)年・3年 戸辺 孝康 (とべ たかやす) 投手(在籍3年)
1935(S10)年11月2日生(入団時18歳)、右投右打
神奈川・浦賀高‐毎日(54~56)
【戸辺 孝康 背番号変遷】43(3)
1954(S29)年に神奈川・浦賀高校から入団した戸辺孝康が、背番号43を引き継いだ。
1年目は一軍未出場に終わったが、2年目の55(S30)年は9月18日のトンボ17回戦(川崎)に初登板。2回無失点と好投する。10月6日の東映17回戦(後楽園)には初先発。しかし、2回に3安打を浴び失点して降板。このシーズンは2試合の登板に終わる。翌56(S31)年は再び一軍未登板に終わり、このシーズン限りで引退した。
◆投手成績<2試合、0勝1敗、防3.00、1先発、0完封、2奪三振>
◇初登板<1955(S30)年9月18日・トンボ17回戦/R(川崎)/2番手/2回0失>
◇初先発<1955(S30)年10月6日・東映17回戦/H(後楽園)/先発/1回1失>
※1957(S32)年 空番
★《3代》1958(S33)年~1959(S34)年・2年 松井 猛(まつい たけし) 外野手(在籍2年)
1940(S15)年1月18日生(入団時18歳)、左投左打
大阪・興國商業高‐大毎(58~59)‐日本軽金属‐電電北海道
【松井 猛 背番号変遷】43(2)
大阪・興國商業高校で選抜甲子園出場を果たしながら中退した松井猛が入団。背番号43を引き継いだ。
左の強打の外野手として将来性が期待されたが、2年間で一軍未出場。自身のプライベートの事情もあり59(S34)年限りで退団した。
引退後は社会人で野球を続け、第1回ドラフトで中日から指名された。元NPB選手として歴史的に唯一の指名例だったが、入団を拒否して復帰することはなかった。
<一軍未出場>
※1960(S35)年 空番
★《4代》1961(S36)年~1963(S38)年・3年 成田 光弘 外野手(在籍3年)
1942(S17)年10月7日生(入団時歳)、右投右打
秋田・市立秋田商業高‐大毎(61~63)‐阪急(64~73)
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