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オリオンズ(裏)図書室マガジン【月額定額300円】

世に出ている資料の他、手元に眠っている表に出ていない資料に加え、毎日オンズ時代からファンだった父の日記、そして関係者から見聞きした情報(オリオンズメモ(笑))を中心に「ロッテオリ…
【2023年1月から毎日午前8時更新!】 週5本ペースで毎日オリオンズからロッテオリオンズまでの歴…
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#パ・リーグ

《有料・冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-10- 2000年 開幕出遅れ低迷5位】

(写真 マリーンズに移籍した石井浩朗。このシーズンからビジターユニホームは上半身黒になった) (10)4月出遅れ5割届かず5位低迷 【2000年スローガン『フォア・ザ・チーム 2000』】 【開幕前評価】  河本とのトレードで巨人から、かつて近鉄で4番を打ち打点王の実績がある石井浩朗が入団。山本監督は「4番を任せる」と明言。ボーリック、初芝、堀に新助っ人ジェフ・バリーが加わり、打線に厚みが増した。  ただ、投手陣には不安があった。小宮山がFAで横浜に移籍。前年はリリー

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《有料・冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-05- 1995年 千葉移転後初の2位躍進】

(写真 左・広岡達郎GM(右)とバレンタイン監督、右・伊良部のピッチングを見守る松沼博久コーチ(左)とバレンタイン監督) (5)1996(平成8)年 球団改革断行、千葉移転後初のAクラス  【1995年スローガン『Be Aggressive,Be a winner...Believe!!】  【開幕前評価】  千葉移転後、6位、5位、5位と低迷するマリーンズだったが、今シーズン、ロッテ本社は本格的な球団改革に取り組むことになった。  まず、ヤクルトと西武で監督を務め、

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《有料、冒頭試読》【ロッテ球団73年考察/(49)「野球殿堂」に入ったロッテ球団関係者】

(49)「野球殿堂」入りした在籍ОB  野球殿堂している千葉ロッテに1シーズン以上在籍していたОBをまとめました。殿堂入りした年度順にリスト化しました。  なお。殿堂入りは今年度の表彰者を含め245人。表彰は選手、監督として現場で功績を挙げた「競技者表彰」と、審判や球団関係者、アマチュア野球関係者、外部関係者など野球の発展に功績を挙げた「特別表彰」があります。  千葉ロッテ関係の殿堂表彰者は20人。永田雅一元オーナーが唯一特別表彰されています。 ※【氏名 殿堂入り年/表彰

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《無料》【マリーンズ略史 92~05/-02- 1992年千葉移転元年】

(写真 1992(平成4)年4月4日千葉マリンスタジアムでの開幕戦、試合前セレモニー) (2) 1992年千葉移転元年『4月ダッシュも最下位に沈む』 ⇒1991年、1992年 フォトギャラリー(メンバー限定)  【1992年スローガン『挑戦』】  【開幕前評価】  前年は最下位に終わったものの、千葉移転元年のマリーンズへのファンの期待は高かった。それは新球場への移転で生まれ変わっただけではなく、戦力的にも明るい話題が多かったからだ。  投手陣では中心となる若手にメド

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《無料》【マリーンズ略史 92~05/-01-千葉移転前夜】

(写真 左・1991年新装なった川崎球場、右・同年工事中の千葉マリンスタジアム) (1)千葉移転前夜  【ロッテオリオンズと川崎球場】  1978(昭和53)年、仙台を本拠地と定めながら、交通事情から(東北新幹線は未開通)東京圏の球場を間借りしてホームゲームを開催していた5年間に終止符を打ち、川崎球場を新しい本拠地とした。前年まで、大洋ホエールズの本拠地であり、オリオンズも数試合開催していたが正式に我が家となった。  しかし、大洋が横浜移転を決意したのは「老朽化」が要因

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《無料》【ロッテ球団73年考察/(48)「ポストシーズン足跡 2」プレーオフ・CS編】

(写真)上段左・1950(昭和25)年日本一パレード、右・1974(昭和49)年日本一記念集合写真、下段左から胴上げシーン、1960(昭和235)年西本幸雄監督、1970(昭和45)年永田雅一オーナー、2005(平成17)年バレンタイン、2010(平成22)年西村徳文 (47)「ポストシーズン足跡 2」プレーオフ・CS 1 プレーオフ(前後期2シーズン制)  【1974年、1977年、1980年、1981年】  ★1974(昭和49)年/プレーオフ(5回戦制) ===

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《無料》【ロッテ球団73年考察/(47)「ポストシーズン足跡 1」日本シリーズ編】

(写真)上段左・1950(昭和25)年日本一パレード、右・1974(昭和49)年日本一記念集合写真、下段左から胴上げシーン、1960(昭和235)年西本幸雄監督、1970(昭和45)年永田雅一オーナー、2005(平成17)年バレンタイン、2010(平成22)年西村徳文 (47)「ポストシーズン足跡 1」日本シリーズ編 ※今回は日本シリーズ編。記事が多くなったためプレーオフ編を別途掲載します。 1 日本シリーズ  【1950年、1960年、1970年、1974年、2005

《無料》【ロッテ球団73年考察/(45)「まとめ」73シーズン投手個人成績歴代ベスト3】

(写真 オリオンズ&マリーンズを支えた球団記録を持つ主力投手。上段左から荒巻淳、小野正一、成田文男、小山正明、下段左から村田兆治、小林雅英、成瀬善久、益田直也) (41)「まとめ・投手」73シーズン歴代ベスト10 1 登板数に関する記録 【シーズン最多登板数 ベスト10】  ◎現役 ◆1位…◎益田直也 72登板 2012(平成24)年 ※NPB100傑28位 ◆2位…藤田 宗一 70登板 2000(平成12)年 ※NPB100傑52位 ◆〃 …◎益田直也 70登板 20

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《無料》【ロッテ球団73年考察/(44)まとめ「チーム打撃成績」73シーズンベスト10】

(写真 左・1950(昭和25)年球団1号を放った戸倉勝城。右・2021年に球団8000号を放ったマーティン) (41)まとめ「チーム記録」73シーズン考察 1 チーム 本塁打に関する球団記録 【8125本の足跡、シーズン記録、球場別本塁打、各種記録】 ※年及び数字の横の -1- 数字は項目リーグ順位、最終リーグ順位 【8125本塁打の足跡】 ★ 1号…戸倉勝城 1950(昭和25)年3月11日・西鉄1回戦(西宮) 7球団目   ↓(この間750試合) ★ 500号

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《無料》【ロッテ球団73年考察/(43)まとめ「チーム投手成績」73シーズンベスト10】

(写真 歴代エースたち 上段左から荒巻淳、小野正一、成田文男、下段左から小山正明(捕手醍醐猛夫)、村田兆治、成瀬善久) (43)まとめ「チーム投手成績」73シーズンベスト10 1 チーム投手 勝利、防御率、奪三振、無四球 ※年及び数字の横の -1- 数字は項目リーグ順位、最終リーグ順位 【シーズン勝利数ランキングベスト10】 ◆1位…1955(昭和30)年<142試合> 85勝-3- (中川,和田,荒巻(18)) ◆2位…1956(昭和31)年<154試合> 84勝-

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《無料》【ロッテ球団73年考察/(43)まとめ「表彰、タイトル、完全試合」73シーズン考察】

(43)まとめ「表彰、タイトル、完全試合」73シーズン考察 1 表彰選手 73シーズン一覧  【MVP、日本シリーズMVP、新人王、ベストナイン、GG賞】 【歴代МVP(最優秀選手)受賞者】 ★1950(昭和25)年…別当  薫(.335/43本/105打点/34盗塁) ★1960(昭和35)年…山内 和弘(.313/32本/103打点/5盗塁) ★1970(昭和45)年…木樽 正明(21勝10敗/2.53) ★1974(昭和49)年…金田 留広(16勝7敗0S/2.9

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《無料》【ロッテ球団73年考察/(41)【まとめ チーム記録 1】「試合、勝敗」ロッテ球団73シーズン球団記録】

(写真 参入1年目の1950(昭和25)年、キャンプ地での集合写真) (41)まとめ「チーム記録」73シーズン考察 1 チーム 試合に関する球団記録   【試合数、試合時間】 【球団総試合数】 9837試合(2022年シーズン終了時) ★毎日オリオンズ(1950(昭和25)年~1957(昭和32)年)…1038試合 ★大毎オリオンズ(1958(昭和33)年~1963(昭和38)年)… 821試合 ★東京オリオンズ(1964(昭和39)年~1968(昭和43)年)… 7

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《無料》【ロッテ球団73年考察/(40)「オールスター」73シーズン考察】

(写真 左・1951年第1回オールスター戦のパ・リーグベンチ、前列右から浜崎真二(阪急)、土井垣武、野村武史(毎日)、木塚忠助(南海)、後列右から荒巻淳、佐藤平七(毎日)、右・「オールスター男」MVP3度受賞の山内和弘、写真は1959年オールスター戦第1戦表彰式) (40)「オールスター」73シーズン考察  2リーグ制となった翌年の1951(昭和26)年から始まったオールスター戦。昨シーズン2022(令和4)年まで72シーズンに渡り、開催されている(2020(令和2)年の

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【ロッテ球団73年考察/(39)-打者-「失策」73シーズン歴代ベスト10】

(写真 球団創設1年目シーズン59失策の球団記録を持つ河内卓司内野手) (39)(打者編)「失策」73シーズン歴代ベスト10  いよいよ43シーズンの考察も最後になる。最後は失策「エラー」について歴史を考察する。  失策のシーズン記録をランキングすると、球団創成期の記録がズラリと並ぶ。これは、創成期はグランド状態が悪く、また、本拠地を持たずに地方球場での開催が多かったことに起因する。  1980年代から徐々に人工芝球場が増え、失策数は総体的に激減。マリーンズも人工芝の千

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