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オリオンズ(裏)図書室マガジン【月額定額300円】

世に出ている資料の他、手元に眠っている表に出ていない資料に加え、毎日オンズ時代からファンだった父の日記、そして関係者から見聞きした情報(オリオンズメモ(笑))を中心に「ロッテオリ…
【2023年1月から毎日午前8時更新!】 週5本ペースで毎日オリオンズからロッテオリオンズまでの歴…
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#ロッテ球団史

《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/(41)「39」投手・野手から捕手の系譜】

(41)「39」投手・野手から捕手の系譜へ  球団創設時から背番号39は、主軸ではないもののチームを支えた投手、野手が継いでいた。7代のハワイ出身の日系人神谷雅巳は初めて捕手として39を継いだ。以降、オリオンズ時代は里見進、長松純明とブルペンで投手陣を支えた捕手が継ぐ。マリーンズになると福沢洋一、田中雅美、吉田 裕太と控え捕手の系譜として受け継がれた。そして、大下誠一郎には岡大海に次ぐ出世番号として新しい歴史を作って欲しい。 ----- 現在の背番号「39」 -----

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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/「6」落合が生んだ打線主軸の系譜】

(写真 左上から・初代6を背負った河内卓司、大映から移籍2年在籍した3代佐々木信也、日本一に貢献9代千田啓介、中央・3度の3冠王10代落合博満、右上から・ミスターマリーンズ12代初芝清、選手から監督としてチームを引っ張った13代井口資仁) ※名前横の【殿堂】は野球殿堂入りしている選手、【サイン】はサインが掲出されています(クリックで拡大) (6)「6」落合が生んだ打線主軸の系譜  オリオンズ時代の背番号6は、球団創設年の河内卓司以来、佐々木信也、荒川博、千田啓介と職人肌

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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜/「4」 職人肌野手と助っ人の系譜】

(写真 中央・2024年から4を背負う19代友杉篤輝、左上から・引退後トール島大酋長となった初代相沢進、二塁守備の職人だった8代井上洋一、右上から・マスクも被ったランボーこと10代ディアズ、小坂と鉄壁の二遊間を組んだ14代酒井忠晴、ゴールデングラブ賞を2度受賞した17代荻野貴司)   ※名前横の【サイン】は、当館所蔵のサインの掲出があります。 (4)「4」職人肌野手と助っ人の系譜 ----- 現在の背番号「4」 -----  ★《19代》現在・2024(R6)年から1

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《有料・冒頭試読》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜3/「3」天才打者が歴史を作り、巧打者が続く系譜】

(写真 中央・現在の14代角中勝也、左上から・天才打者と言われた3代榎本喜八、日本シリーズMVPの5代弘田澄男、右上から・4年連続盗塁王と首位打者、監督として日本一にもなった西村徳文、4番もケガに泣かされた9代石井浩郎、榎本に次ぐ13年背負った11代サブロー)  ※名前横に【サイン】がある選手は、サイン写真が掲出されています(クリックで拡大) (3)「3」天才打者が歴史を作り、巧打者が続く系譜  初代・今久留主功、2代・ハワイ出身の北村正司と好守の系譜でスタートした背番

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《全文無料》【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜1/「1」巧打好守の好選手の歴史】

(写真 中央・現在は16代藤原恭大、左上から・引退後俳優となった2代橋本力、ミサイル打線の核弾頭5代八田正、日本一支えた助っ人7代ラフィーバー、左上から・捕手として唯一1番の9代高橋博士、投手として初の1番10代愛甲猛、名手13代小坂誠) (写真は球団ファンブック、ベースボールマガジン社刊「スポーツ昭和史シリーズ」)  ※名前横の【殿堂】は野球殿堂入りしている選手、【サイン】はサインが掲出されています(クリックで拡大) (1)「1」巧打好守の好選手の歴史  現在、藤原恭

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新シリーズスタート!【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜】プロローグ

(写真 上段左から8・戸倉勝城、2。バレンタイン監督、50・西本幸雄監督、29・村田兆治、下段左か88・飯島秀雄、6・落合博満、1・愛甲猛、36・サブロー) 新シリーズスタート! 【オリオンズ&マリーンズ・背番号の系譜】  プロ野球選手の背番号は、ただ、グランドにいる選手を特定するだけではなく、各選手の顔となっていく。そして、その各番号には74シーズンの歴史が詰まっている。  各球団とも背番号の歴史を辿ると特定の番号が主力選手の顔となっているとともに、その番号に同じよう

(番外編3)《有料・冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-82- 2007年 ベテランと新戦力かみ合い2位へ】

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(82)ベテランと新戦力かみ合い2位へ  【2007年スローガン『All Hands to The Flag! 〜結束、フラッグのために〜』】  【開幕前評価】  3年目を迎える交流戦が試合減少する。各球団とホーム・ロード3試合だったが今シーズンから2試合となり、総試合数が36試合から24試合となる。  日本一から4位に転落した前年だったが、WBCの影響やケガ人が続出したことを挙げ、戦力的には充実度は高いという評価は多かった。特にベニーの離脱で課題となった長距離砲に

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《全文無料》(番外編2)【マリーンズ略史 92~05/-81- 2006年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録】

(写真 左から、青野毅、小林雅英、渡辺俊介) (番外編2)(81)2006年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録  2006年は交流戦で連覇を果たしたものの、チームは4位に沈んだシーズン。ただ、記録的には様々な新記録、珍記録が生まれたシーズンでもあった。  【里崎、1試合5三振】※NPBタイ  5月2日のソフトバンク5回戦(ヤフーD)で4番DHに入った里崎が、1、3、5、7、8回の5打席で三振を喫し、1試合5三振のNPBタイを記録した。NPB12人目、パ・リーグ

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《全文無料》【マリーンズ略史 92~05/-79- 2002年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録】

(写真 左からネイサン・ミンチー、喜多隆志、清水直行、小林雅英) (79)2002年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録  開幕から11連敗を喫した苦しいシーズンだった。それでも、徐々に取り返していった。記録は少なかったが、小林雅英がセーブ、セーブポイントの連続記録を打ち立て、記憶に残るシーズンだった。  【強風で試合中止】※3度目  4月17日に予定されていた西武5回戦(千葉マリン)が「強風」のために中止となった。  強風中止は1995年4月23日、1997年

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《全文無料》【マリーンズ略史 92~05/-78- ファーム初の日本一(2005年)】

(78)ファーム初の日本一(2005年)  2005年、プレーオフを制しリーグ優勝、日本一になった歓喜の裏で、一足早く初めて「ファーム日本選手権」に出場したマリーンズのファームが日本一になったことを覚えているファンも多いと思う。  10月8日、古賀監督の下、イースタン・リーグで優勝したマリーンズは、神戸で一軍が日本シリーズで戦うことになる阪神のファームと、ファームの日本一を賭けて戦った。  【9年ぶり7度目のイースタン制覇】  イースタン・リーグがスタートしたのは195

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《全文無料》【マリーンズ略史 92~05/-80- 2001年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録】

(80)2001年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録  2001年は各種記録も少なく、トピックスも少ないシーズンだった。小林雅、ボーリック、ミンチーと主力3選手。そして、ボーリックとメイが30本塁打を記録したシーズンだった。  【小林雅、12連続セーブ】※リーグ新記録  6月20日のオリックス13回戦(神戸)で0回に4番手として登板した小林雅が3人で抑え、今シーズン20セーブに到達。これで、11連続セーブとしてリーグ新記録を達成した。小林雅は30日のダイエー1

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《有料・冒頭試読》【マリーンズ略史 92~05/-76- 投手陣成長を裏で支えた捕手・清水将海】

(76)投手陣成長を裏で支えた捕手・清水将海 (1997年~2004年在籍)  マリーンズは低迷期が続いたが、その要因の一つが捕手が固定出来なかったことだ。捕手には巧みなインサイドワークが投手陣の安定につながるが、やはり打席に立つ以上、一定の打撃力も必要になる。  1997年に衝撃的なデビューを果たしてファンから「やっとキャッチャーが出て来た」と安堵した気持ちは今でも忘れがたい。安定したインサイドワークは成長を続け、投手陣からも信頼を得て投手陣が安定した裏には、間違いなく

《全文無料》【マリーンズ略史 92~05/-75- 2000年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録】

(75)2000年 NPB記録/リーグ記録/球団記録/珍記録  山本功児監督2年目の2000年。前年は開幕から好調をキープして七夕首位に立ったが、このシーズンは開幕ダッシュに失敗。記録的な負け越しを喫した。また、投手起用でいくつか記録があった。  その他、移籍して4番に入った石井浩朗をはじめ、主力選手が骨折して離脱するシーズンだった。  【20試合のリーグワースト勝率】※リーグタイ記録  開幕ダッシュに失敗。シーズン20試合目となる4月28日の西武戦(西武D)に2-5

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《有料・冒頭試読》 【マリーンズ略史 92~05/-74- ケガに苦しんだ現役生活・大塚明】

(74)ケガに苦しんだ現役生活・大塚明 (1994年~2010年在籍)  2001年のオールスター期間の練習中だった。山本功児監督は打線の理想像について口にした。「コーチとして、監督として長年見てきたが、福浦、大塚、立川の3人はクリーンアップを組める力は持っている。3番に足があって堅実な大塚、4番に確実性の福浦、5番に一発がある立川。6、7番に外人、1、2、9番に小坂、諸積、セカンドにサブローを入れて状態によって入れ替える。打線が看板のチームになるんだがな」。  1993

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